日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

永劫回帰と時間の矢

永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた。われわれがすでに一度経験したことが何もかももう一度繰り返され、そしてその繰り返しが際限なく繰り返されるであろうと考えるなんて!
いったいこの狂った神話は何をいおうとしているのであろうか?

『存在のたえられない軽さ』(ミラン・クンデラ

ニーチェの”永劫回帰”の考えを冒頭に持ってくることで、クンデラの言いたかったことは、"永劫回帰"などありえないということだった。

永劫回帰は熱力学の第二法則から言っても明確に否定されるのである。冷えたコーヒーは温まらない。熱は拡散し、時間は一方向にしか進まない。ニーチェの想像した”回帰しつづける時間”は成立しないのだ。

そのことは人生の不可逆性を想起させ、ゆえに存在はたえがたいほどに軽いものとなる。世界の前では。あるいは時間の前では。

ニーチェはなぜ”永劫回帰”というビジョンを信じたのか(信じたのか?)。その考え方は仏教の輪廻を思い起こさせるけれど、人生こそが修行で、生まれ変わるごとにステージアップしていく想定の観念というもと、ものの順番もそのままに同じ時を繰り返す”永劫回帰”とは異なるものなのらしい。

この小説を読んで、小説の冒頭とは思えない出だしに惚れ惚れしてしまったのだが意味は分からず、それから数年がたってしまった。

そんなあるときに、ほとんど啓示のように、思いつくことがあった。

「メッセージ」というSF映画がある。映画というのはたいてい子どもの頃に見たものが至高になっているものなのだけど、この映画はずいぶん大人になってから出会ったにも関わらず、マイ・ベスト映画のかなり上位にいる。

この映画には未知の地球外生命体がでてきて、言語学者である主人公は彼らにコンタクトをとる任務を与えられる。しかし彼らが敵か味方か判断できない人類は、一刻も早く彼らを排除しなければという声を大きくしていくのだった。許された時間がほとんどない中、彼女は未知の生命体と対話することができるのか――

という内容で、地球外生命体・ヘプタポッドの送ってくるメッセージには、環が印象的に使われている。環といえば禅宗でいう「円相」であり、輪廻をあらわすものである。

メッセージ (吹替版)

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  • 発売日: 2017/07/21
  • メディア: Prime Video

けれど、今からおもえばそれは、輪廻をあらわす「円相」ではないのだろうと思う。あの環こそが、ニーチェの言う「永劫回帰」なのである。

なお、以降はネタバレにふれるので、もう見たよという人か、今後も見ることはないだろうという人か、読んでもすぐ忘れるから気にしない人で読み進めてほしい。

考えてみてほしい。主人公ルイーズは、話が進むにつれてある能力を身に着けていく。それはヘプタポッドの授けた言語により、その感覚に目覚めるのであるが、その能力は、たんに未来を見れることなのではない。時間がまっすぐに前方向に進むという概念から解放された彼女は、ゆえに過去にも、未来の彼女じしんにもアクセスすることができるのである。

さらに言うなら、今日は明日と一体であり、過去もまた、未来のいつの日かと一体なのであり、すべての時間がひとつに繋がり、また無数に散らばっている。

この辺は映画を見るなりすると感覚的にわかると思う。

「ときおりヘプタポッドB(ヘプタポッド言語)が真の優位を占めるとき、わたしはひらめきを得て、過去と未来を一挙に経験する。(中略)それは、わたしの残りの人生を抱含する期間であり、あなたの全人生を包含する期間でもある。」
映画『メッセージ』哲学的SFの直系、そして一期一会。ネタバレ・詳細レビュー。 — in movies

私がここで言いたいのは、この映画に現れる印象的な「環」とは、当然時間のことを指すのであるが、しかしそれは東洋的な輪廻転生を表すものではない。むしろそれは、西洋的な価値観からの解放としての永劫回帰的な循環なのだということである。

そこには本質的な進歩も堕落もなく、「最後の審判」もなく、ただ、この地上の生が、かたちを変え、違った姿で永久にめぐり、戻ってくるだけのことである。
この発想を、ニーチェは、根本的な生の肯定の文脈の中で着想した。「神」が死んでも、人間は生き続けるのだった。永遠に流れる時間の中で。
ペルパタオ −我歩く、故に我あり 茂木健一郎 第64回 | 集英社学芸部 - 学芸・ノンフィクション

ニーチェ永劫回帰説は、キリスト教進歩主義への批判として現れたものなのだ。

キリスト教の束縛からの解放が進んだ19世紀には、自由に思考し人間や社会の本質に迫る哲学が生まれていった。[...]フリードリヒ・ニーチェは『ツァラトゥストラかく語りき』で永劫回帰で進歩を否定し、繰り返されていくだけだとした。
7月26日の文化:世界史に残る思想と文学#4 | まいにち世界の文化史 | WANI BOOKS NewsCrunch

「神は死んだ」と言ったニーチェは、キリスト教以前のヨーロッパの哲学、あるいは仏教など東洋の哲学などの影響があったと見受けられる。19世紀の西洋美術に次第に現れてくる傾向*1にも重なるように思う。当時絶対であったキリスト教的世界観からの脱却である。

ダーウィンが記した「種の起源」(1859年)による進化論は、本人の意思と乖離して、のちの社会ダーウィニズムの参照となった。その背景となったのは、世界は低次から高次へと進化するという進歩主義の思想ではなかったか。

ダーウィンの進化論で示されたはずの、自然界に善や悪の区別のない「あるがゆえにある」という見方は、ニーチェの「永劫回帰」の思想にも通ずるものである。彼は神の国による救済を否定し、時間はただ永久にめぐり続けるのみと言ったのだ。

映画「メッセージ」がニーチェの「永劫回帰」を引用したとまでは言えないが、時間が未来に向かって進む、という、ある種、進歩主義のベースになる世界観を壊し、それゆえにおこる虚無主義と、そこから立ち上がる生への強い肯定は、図らずもニーチェの理論に重なるものがある。

ニーチェの思想が新しさを見出され少なからず評価を得た一方で、永劫回帰説を信奉したものは、ほとんどいなかっただろう。しかし、21世紀になった今日、SF映画で「時間は一方向ではない」「時間は連続しない」「ミクロレベルで見れば過去も未来も同じである」との見方を提唱されても、笑う者はいない。

物理学においてもすでに「時間に方向性はない」とされ、時間の矢が未来に向かって一定方向に進むというのは、私たちがそう認識しているに過ぎない。とすると……アインシュタインによる一般相対性理論(1915年)より以前に、ニーチェ量子力学的な時間概念のヴィジョンを得ていたのだろうか。

それは妄想の域ではあるが、狂気にいたるほどの孤独な思索者の人生に思慕をよせて、そんな勝手な空想も個人的なものならば良いのではないかと思う次第である。


カントについてはまたちょっと書きたいことがたまってきたけど、言語化難しいよね。


関連URL
映画『メッセージ』言語SFを映像化するむずかしさ - エキサイトニュース
ダーウィン進化論に生じる誤解 | NHKテキストビュー
「現在」と「連続性」の崩壊~『時間は存在しない』概説【前篇-2】|ばる|専業読書家(人文学)|note

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*1:19世紀の西洋美術には東洋趣味はもちろん、ギリシャ美術からの影響は大変大きく、ゴーギャンタヒチへ渡ったように、南半球の国々への憧れも強く表れた。このあたりの雰囲気を手軽に知るにはジョジョの奇妙な冒険の第一部を読むのが良い。