日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

強いことと弱いこと。

弱さと強さについて考える。

子どもの頃、人と話すとかも思いつきもしないでいた。
近所のおばちゃんに「あんたの声はじめて聞いた、話せたんだね」とか言われたりした。

自分がヒエラルキーの中に入っても大丈夫っぽいって思ったのは中学校の終わりくらいで、高校のときもずっと大人しかったけど、友達とかはいて、漫画描いて見せあいっこしてて、それなりに幸せな時代だった。

大学のときに「このまま大人になったらやばくない」みたいな意識がやっと出てきたりして。

人生が苦しくなったのはたぶんこの辺から。でも多感な時代でもあるから、いろんなものが繊細に美しくも感じてたんだけど。

20代のとき、面接に行ったら「正直、君たちいらないんだよね」みたいな感じでさ。てか、もう忘れたんだけど、どんな風に言われたか。ただ、あー自分って別に社会に必要な存在じゃないんだなみたいなのはさ。

それで、すごく雑多なお仕事をたくさんやった。電話のクレーム対応とか、夜、グランドピアノで演奏してる感じのお店とか、一階が手品で二階にバニーちゃんのいるお店とか、電気やさんのキャンペーンガールとか、ま、そんな程度。

でも、自分にとっては大事な経験だったなと思う。自分に対する物差しが、その時期にできてきたかなと思う。特別でもなく、でもがんばればそれなりに社会に居場所は見つけられる。

そのあと、安定した仕事にも就くんだけど、いろいろあって、東京を引き払うことになった。

東京では、根を張ることができなかったな。糸の切れた凧みたいに生きていくには、若いうちはいいんだけど、年取ったらちょっとしんどいなって予感が、年々増してきた。

田舎の生活はいいも悪いもあるけど。ひとところではそれなりに仕事の評価はもらえてきて、それが、ここはここの規模でもらえてる感じ。今は、もっと個人として安心したいな、大切な人たちを大切にしたいなって気持ちがベースにあるんだけど、その一方で社会的に期待される役割が大きくなってきて戸惑っている。

世界を引き受けるなら、もっと本気で生きてかなきゃだし、まだその踏ん切りつかないし。

昨日だか、家路を急ぐ途中でふと思うことがあった。辺りは冬の夕暮れ。個人差はもちろんあるけど、人って案外強靭なんじゃないかな。だから、抑圧とか、ストレス与えると、それなりに成長していく。

なんだ、そんなこというとどっかのスパルタ塾みたいな考え方だけど、どういえばいいんだ。

物心ついたときのスタートは人よりずっとハンデがあって、後ろの方からのスタートだったけど、それなりに生きてきたし、10代は正直ぼんやりしてたけど、そのあとは割と自分に圧力かけて生きてきたかなと思う。

でも、たとえばむかし働いてた会社で声が出なくて、いま思えば場面緘黙症なんだけど自分で分かんないんで、発声を教えてくれる教室みたいなところに行った。したら、そこの人が電話でのやりとりのテストをしてくれて、コールセンターにもいたことあったんで、そこは普通にできたんだよね。

で、「あなたはそれなりに話せるから、グループワークとかでは嫉妬されてしまうかも」と言われて。だから、たぶん境界的なところにいたんだよね。

そしたらあとは、自分でがんばるしかないじゃん。だから人と話す仕事ばっかやった。話上手にはならなかったけど。

自分を成長させたかったら、新しい環境におくといいっていうじゃん。いきなり本番を何回もやって、そしたら絶対へたしたくなかったら準備したりしてね、そうやって成長してく。

なんか成長する条件ってあるんだよ。自発的に、負けたくないな、結果を出したいなと思うことが前提だけど。冬に力をため込む花のつぼみみたいに、ぐっと耐える時間が花を咲かせる。

なんでそんなこと急に書こうとおもったんだろ。繊細さって自分は大事と思っていて、風とか光とか、音とか、美しく感じる力って生きる実感そのものでもあるから。そう感じるにはゆとりも大事だし。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、みたいな感じ。努力して思うような結果になるわけでは必ずしもないけど、努力しなければ結果はでない。ひとは基本成長するようにできていると思う。

でも不思議と傷ついたり、なにか時間とかコスト的なものを犠牲にしたりしたくないから、努力しきれなかったりするよね。アドレナリンが人より少ないのかなと自分で思うこともあるし。

じゃあがんばりすぎて壊れないのかつうと、心が感じることを優先して大事にしていくことが大切なのかな。何事も適宜だけど、人はちゃんと成長するようにできている。と、来年はがんばるか的な、12月らしいことを書いておこう。