日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

六畳一間から見る空は。

このところ、桐島聡氏のニュースばかりタイムラインに流れてくるので、積極的にこの報道を読み込まなくても、なにか言葉にしきれない哀しみのようなものが日がな心に漂っている。

保険証が云々と騒がしい話題がひととおり過ぎ去ったあと、長く残るのは白檀の香り、みたいにしつこく沁みついて離れない。

早々に捕まって刑をまっとうしたほうが、少しは救われた人生を歩めたのではないだろうか。
どこかで読んだところによると、恵まれた家庭に生まれたことに背徳を持っていて、そこが事件の動機に繋がっていたとも聞くから、世捨て人のように生きることが償いだっただろうか。

通っていた店があって、案外普通に生きていたような証言もあって、どこかほっとするものもある。一方で具合が悪くなっても病院には行けなかったし、仕事を辞めるわけにもいかなかった。彼は自分の末路を、それなりに受け止めていただろうけど。

どこか善人の雰囲気や、真面目ゆえにはまり込んだ袋小路にも見えて、あの時の自分たちの起こした事件を、その後の人生でどう振り返っただろうか、知りたいおもいもある。

あの時代に革命と言って行動を起こした人たちの思想を、私じしん嫌っている部分がある。昔は「革命かっこいい」と思ってた気持ちもあったと思うんだけどな。でも、方法を間違ってしまうと取り返しのつかないことになる。むかし、アルカイダがどうして興ったのかって番組を見てて、あのエジプト政府の民衆弾圧の中からテロリストの萌芽が生まれてくるんだけど、その動機には共感しても、手段には同調できない。悲しい選択だと思った。

また権力側は、彼らの過激化する行動を利用して、さらなる弾圧の正当化に繋がってしまうんだよな。だから、どんなに時間がかかっても、どんなに根気が必要でも、われわれは「共感」によって世界を変えなければいけないのだと思う。そこをたやすくもぶち壊してしまうテロの手法には、やっぱり怒りを感じる。

連合赤軍日本赤軍は違うという話でタイムラインがワイワイしてて、そうかと思って眺めていたんだけど、関連記事の中で、テルアビブ空港事件だったか、犯人の証言として犠牲者にたいして、世界が変化することに伴う犠牲だととらえていたという話があった。

どこかで自分たち以外がモブ化しまうような、つまりそれはあまりにも主観的な世界で起きたことなのだと思う。誰かにとっては別のものがたりがあり、別の景色があることを、想像できなかった。その独善的なものの見方を許してしまったのは、「正義」ということなのだと思う。

2022年には、安倍元首相を狙撃した山上徹也氏の事件が起こった。テロか否かでは異論があるものの、事件当初わたしが感じた思いも、テロに対する怒りと同じものだった。

おりしも参院選の投票日直前、選挙の結果に大きな影響を与えるだろうと思ったし、翌日にはもう弔い選挙の様相を呈していた。世界を変えるために、暴力という方法では成せないのだ。

しかし救いは、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題を根気強く追い続けていた弁護士とジャーナリストがいたということだ。

彼らの積み重ねたエビデンスがなければ、あの事件はむしろ反感しか呼ばず、日本があやまちを犯したエバ国として、その主権をかれらの神の国に「復帰」することを信者に説き、政治家に秘書を送りこみ、選挙応援をする宗教と、この国の自民党はじめ多くの政治家が、持ちつ持たれつの関係となっていたさまが問題視される状況は、さらに遠のいたかもしれない。

そういうことから考えても、いかに時間がかかり、突破口が見えないままでも、人々が納得し共感する道を選び続けるしかないと思う。

しかし、あれから半世紀が過ぎ、ぽつぽつと彼らのその後が語られる時代になった。

ついこないだまで統一教会がこの国の首相と懇意であったことを思うと、あるいは裏金還流問題や増える国民負担率など、政権末期と感じるものの、支持率は頑なに他の野党勢力を引き離す状況を見ると、たしかに左派は敗れてきた50年だった。それにはかつて人々の共感が離れることとなったこうした事件の存在は大きいと思う。

理想を目指しながら、権力闘争に堕していく。闘いの中には、つねに敗けもなければならないのかもしれない。立場の異なる人の声を聞き、ある時はそれを飲み込み、粘り強くともに未来を切り拓く努力をする。

良い未来のためにはゴールの共有が必須だと、いつも思う。ともにそのゴールに近づけば、互いに勝利だし、一人だけの勝利にこだわれば、ゴールは遠のく。自分が勝つかどうかは、ほんとうは問われなくていい。そういうのを、まあ、全体最適解というらしいけど。

いろいろ言っても5文字で解決してしまうよね。

で、イスラエルの空港で自爆テロを起こして生き延びた岡本公三氏は、いまも政治亡命者としてレバノンで暮らしているという。

現在75歳、パレスチナ解放人民戦線は彼を英雄として扱い、世話を続けているそうだ。しかしこの事件では26人の乗客が犠牲になり、生還の望みの無い自殺的攻撃だったことが、イスラム過激派の自爆テロという手法へ道を拓いたのだとする説もある。

多くの宗教で自殺は罪なんだけど、日本ではその思想は薄いというか、むしろ「死ぬことと見つけたり」という死の美徳みたいなのはずっとあるような気はするよね。

www.cnn.co.jp

イスラエルがガザを攻撃してまもなく4か月になろうとしている。いくらハマスを理由にしようとも、報復も連帯責任も国際人道法では許されていません。幼い子どもたちがミサイル攻撃にさらされて良い理由にはならないのです。

でも、この歴史はわたしたち多くの日本人の知らないところで50年も続いていたのだな。そして50年前にパレスチナの側に立って命を懸けた日本人がいたのだな…… それは、世の中のいびつさを是正するどころか、余計にもっと複雑に、いびつにさせてしまった。評価はしないけれど、でも、と複雑な思いが残る。

繰り返し思うエピソードがある。太宰治はいつも家にあがりこんでくる近所の人がいたんだけど、飯食って帰るみたいな傍若無人を大目に見てたんだそうだ。それは良い家庭に生まれ育ってきた自認のある彼の、貧しく弱きものへの罪滅ぼしであったというような話。

どこで読んだかな。あの思いがずっと胸の奥にある。貧しく弱い者の側に行って、ともに座ることなどできないことも分かっている。だからといって上から施しをやったり、さげすんだりもできない。ただその傍若無人を受け入れることが、自分の贖罪なのだ。

世界のいびつさを眺めながら、その現実にいかに向き合うべきだろうか。欺瞞にまみれぬよう、正義にまみれぬよう。祈る以上に何ができるだろうか。

中村哲さんみたいな生き方ができるといいんだけどね。それにもノウハウというか、技術を学ぶ力は必要な気がするな。