日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

平均を歩く

議事録の残る会議で事実と相違のある説明があって、「再度、皆に説明する機会を作りましょうか?」と打診すると、担当の人は上長と相談したうえで、個別に説明することで収めるのだと言う。

事務方に無理を言って調整しかけていたので、あらら、良いのねと、どうせ定時も過ぎているし、やりかけの書類をあらかた仕上げて廊下に出れば、もう照明も落ちてしんとしている。

フロアの向こう奥で残業組の明かりが点り、また残業してしまったという感覚が、懐かしく思い起こされた。

役所の人は窓口時間の30分前に受付を締め切るのだと不満をもらしていた友人に、残業しないためのテクニックなんだよなと内心ひそかに思ったことがある。

民間企業と役所の違いがどれほどあるか分からないけど、あの頃、仕事量は減らないのに「残業を減らせ」という上司に内心怒りながら、それならと編み出したのがクライアントからの依頼を終了時刻30分前に締め切るという方法だった。

もちろんクライアントはご不満になるが、手を動かすスタッフたちを定時であがらせるために、クライアントにしつこく事前周知を行い、遅れたら翌日に回すと徹底することで、よほどの緊急がなければ定時後30分程度であがれるチームになっていった。

しかし残業が削減されると「リソースが余っている」とみなされ…と、これ以上、前職の思い出にはふれないが、中間管理することにテクニックとある種の怒り…もとい情熱が必要ということを学べば、仕事の効率化や業績アップに個人の努力を強いることが、どれほどマネジメントの敗北なのかという話なのだ。

だが、それほどまで残業は仕組みでなくせると知っていても、残業してしまう人というのはいる。自分自身が完全にそうなのだけど、「今日の仕事を整理して、明日に備えたい」とか考え、時間に追い立てられず、拘束されず、今日の仕事が整頓されてから帰りたい。

なので、チームとしては残業が減ったが、自分自身の残業は減らなかった。深夜残業組のシマに明かりがぽつぽつ点るなか帰るのは、なんとなく懐かしいようで、あの頃、詰め込んで仕事をしていた気持ちが思い起こされた。

それでも外に出れば、薄暗くなった空に、遠く入道雲が稜線にかすかな夕暮れの色をひっかけて浮かんでいる。ここは実質時差一時間の南国なのだ。それに少しばかり遅くなっても、たかだか夜の初めの時間。あの頃と今は、ずいぶん違う。

詰め込んで仕事をするのが好きだったな、と思った。宵の風は少し秋めいて、冷たく感じた。

納品物があって、期限があった。帰宅前に明日のタスクを整理して、ある程度の準備をし、朝はメールをさばきながら投げれる作業から投げていった。定量的なゴールがあって、いかに品質をあげ、いかに回転率をあげるかを考えた。

今の仕事にはその実感がない。イベントに出るとか、誰それにご挨拶に行くとかいうことが重視され、解決すべき課題が飛び込んできた時に、どこかほっとする自分がいる。

自分の中のKPIみたいなものを変えていく必要を感じているけど、なかなか進路変更できずにいる。今のルールで結果を出さないといけないのに、まだ定量的ゴールの達成感を必要としている。

この仕事を選んだ時もう人生は壊れていると、先輩にあたる人が言った。狂った羅針盤で進むような人生。でも、かつての羅針盤を、私は捨てられずにいるのかもしれない。

クライアントから成果物の対価をもらうこと。雇用主から労働の対価として給与をもらうこと。その社会的な繋がりの中で自己のポジションがあり、初めはほぼ匿名のような個人から、信頼を得て仕事を得ていくこと。

社会のほとんどの人たちがその営みに生きて、その中で己の評価をし、感情を揺れ動かしながら、自己を形成していく。

今の仕事に就いてから、初めのころ頻繁に考えていたのは、人は鈍感になるのが生き方としては楽なのだということ。そしてそのためには、日常のほとんどを忘れ去っていくと良い。

しかしそう分かっていても鋭敏にならざるを得ないのは、私たちはつねに自己を見つめ、他者との違いを測り、他者の群れの中でバランスをとっていくからだ。他者とのはざまで、自己のあり方やふるまい方について、つねに微調整しつづけていくからこそ、他者にアンテナを張り、その摩擦に鋭敏にならざるを得ない。

記憶とは、そのためにあるのかもしれないと思った。日常細かなことを記憶し、無意識の中に整理し、積み重ねていく。深い層の下で、しかし記憶は、世界と自己とのバランスを取り続ける鏡となる。

鈍感になれば楽なのに、結局自分は鋭敏さを完全には捨てられないだろう。

荒れ狂う海原では、羅針盤はもう必要ないかもしれない。おのれの感覚を磨き、波との綱引き、風との綱引き、星のしるべを頼りに大胆に乗り越えていく方が楽なのかもしれない。

そうとは思いながら、この波がおさまった時に羅針盤を失ってしまっていたら、本当のいのちの危険はそこにあるかもしれず。結局私はふたつの道をシミュレーションし続けている。

これから波はさらに高くなるだろう。私は怖がりなので、ふたつの人生に備えるのだろう。でも今はひとたび羅針盤を閉じるときなのかもしれないとも思う。

駐車場の車に近づいたとき、薄暗がりで自転車から「おつかれさまです」と声をかけられた。自転車の人は通り去って、知り合いなのか、知り合いではないけれどそこに人がいたから声をかけたのか、よくわからなかった。

それでも少しだけ、これから頑張ってみようかと思うから、人の心は簡単だ。

神様は意地悪だから、たくさんのものを与えて、いつか奪い去っていくのだろう。
今、与えられたものは使命と思って懸命に真摯に消化するしかない。
新しいKPIも、羅針盤なしの人生も、どこまで行けるのか分からないけれど、今はもう少し歩いてみようか、と思う。