こういうモノづくり動画大好き。ずっと見ちゃう。ツイートでは「伝統的な日本のティーポットの制作」みたいに言っているんだけど、まあふつうに見ても、日本の人じゃない感じはするよなーってのはあるよね。
🤨
— Zhao DaShuai 无条件爱国🇨🇳 (@zhao_dashuai) 2023年6月26日
Yet ANOTHER video of Chinese culture being reposted as Japanese.
This is the Yixing pottery, made from Zisha (purple sand clay) mined in Jiangsu China.
This style of pottery has a history dating back to 1000BC https://t.co/qbpkFdwaPK pic.twitter.com/OmpwsQlBiy
でも、ポットの胴体部分を作り始めたあたりで、これはどちらかというと中国の美的感覚っぽいな~と思っていたので、リプライで「中国人ですよ!」「中国江蘇省の宜興紫砂ですよ」などなど突っ込みが入っているのを見ると、当たってた!!!とちょっと眠気が覚めた。
東京にいた時に美術館は足繫く通って、日本や西洋の時代ごとの美の基準はある程度分かるのだけど、最後まではっきり分からなかったのが、中国の美の基準だった。
というのも、水墨画などとなると、日本の美と、中国の美と、その中にある美意識や精神的な美の違いを、はっきり見つけることができなかったから。
例えば朝鮮半島については、江戸中期に伊藤若冲などが作風に取り入れていて、朝鮮の規範的な美とまでは言わないけれど、日本(という朝鮮の外界)から見た朝鮮の持つ独自の美については、垣間見ることができる。
そういうこともあって、自分の中で、ずっと見つけられずにいた中国の美の意識については、片付けられない宿題のように心に残っている。
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唯一の手掛かりは焼き物について。中国の陶磁器は、おうとつのない滑らかな面をして、色合いも乱れやムラ、曇りのない澄んだ色をしている。中国の美はどこか端正で、欠けのない、緊迫感のある美だ。
いっぽう日本の焼き物は、その正反対を行く。でこぼことした面に、ずんぐりした形、わざと複数の色が混在するよう刷毛で乱暴に塗って、意図しない偶然からできた模様を「風景」と呼んだ。
もちろん、そのような無秩序の美は、日本の美術史において一貫していたわけではない。ある時代、とりわけ戦国時代が終わりを迎え、江戸時代へと入っていく時期に強く現れた。
京焼など、薄造りで華奢さをもった華やかな焼き物もあるけれど、織部焼などはやはり、なぜ当時これを美としたのか、強く興味をそそられる。
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鎌倉時代から武士の時代となって、一方、時代の対流の中で新興の仏教が興ってくる。鎌倉仏教は、時の政権と緊迫関係にあり、時に近づきながら、存在感を強めていった。
戦国時代においては仏教徒勢力は、僧兵などの武装集団でもあったということは、現代でもよく知られていることだけど、それだけに必ずしも時の政権になびくものでもなかったよう。
当時、宗教の存在は政権と一体ではなく、むしろ政権に相対するものであった面も感じられる。
安土桃山時代、千利休は秀吉の怒りにふれて切腹をら命じられるが、理由はよくわかっていない。ただ、きっかけは何にせよ、千利休の存在感の大きさが秀吉に危機感を持たせていたのだろうとは定説であろうと思う。
江戸初期に洛中から洛北鷹峯に移り住んだ本阿弥光悦も、その理由を、徳川家康から体よく洛外に追われたのだという説がある。光悦はともに信心していた法華宗徒を連れ洛北へ向かい、光悦村を築いた。
この16年前には法華宗の不受不施派(信仰のない者からの施しを受けない)が江戸幕府から禁制を出されていて、そのことが遠因ではないかともいわれる。
法華宗は政治権力になびかず、長らく受難の歴史を歩んでいる。
こういうような背景を見ていくと、当時彼らが工芸品に現した美は、権力に寄り添うものではなく、むしろ権力から独立を保って凛としようとするものだったのではないか。
と、ふとそんなことを悪戯に思いつくなどした。
絵画で言えば、狩野派などは日本画壇の中心であり続け、江戸時代には幕府の御用絵師として役割を果たした。その画風は、中国宋・元の画法を元にした「漢画」からの影響が長らくあった。
日本の権力の中央における芸術は「漢画」「漢文」など漢文化が基軸で、中央から距離がでるほどに独自の画風が出てくるように思う。町人や商人がおもな担い手となった「やまと絵」などは、身近にある素朴な草花の情景を描いた。
さらに、本阿弥光悦や古田織部といった江戸初期の芸術家にいたっては、政権になびかなさも持っていたとするなら。
日本の江戸初期の焼き物にある、そろわなさや乱れ、あえて欠けやずらしを配する美というもの、権力からの距離感として、それらが現れてきた可能性を思う。
やまと絵をはじめとした日本の美術にある素朴さや機知性や、見るものへの対話性は、その国の人の気質という面ばかりではなく、美の担い手と権力の距離といった時代性からも興ってきたものではなかったか。
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私は日本の美術品が好きで、とくに焼き物に見る「無秩序の美」は格別だと思う。また、やまと絵にある機知や、侘び寂びといった静けさに感じ入るような感性も好きだ。水墨画にあるおおらかさも好きだと思う。
こうしてみていくと、今の日本人像とは少しかけ離れているようにも感じる。日本人は真面目で、丁寧で、どこか潔癖なところがある。
江戸時代、朝鮮半島の官僚の人が日本に来たら、通りで女性たちが隠れもせず水浴びをしていたということで、驚き、さげすんだという記事をよんだことがある。そういうずぼらさや大らかさが、昔の日本にはあったのだなと思う。
では江戸時代が終わり、明治時代が始まっていく中で、何が変わっていったのだろう。この時代の美術品を見るのは、時おり心が苦しくなる。西洋の価値観が流れ込み、日本が世界を知って動揺し、かえって日本を強くしようと抗う時期。
美術の世界でも「日本人らしさ」や、この国とは何か?を探しもとめはじめ、西洋からの逆輸入で日本の輪郭を描いていこうとする。その時に、日本らしさと中国らしさが入り混じって、シミュラークルな日本像が出来上がっていってしまう。
あれから日本は「大日本帝国」としての道を歩きだし、美術工芸と政治権力は近づき、表現のもつ伸びやかさは失われてしまった。単純大まかにいえば、そんな感じがする。
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なおタイトルを「あなたの」としたのは、私は中国人でも、やまと人でもないので。かといって琉球人という思いがあるわけでもない。
HIPHOPの誰かの言葉で、おれらはアフリカ人じゃない、かといってアメリカ人というわけでもない、サンフランシスコで育った、それが自分のアイデンティティだみたいな話があって、それが感覚的に近いかも。
最近は「沖縄」についてそんなことを考えている。形から沖縄と自己アイデンティティを確立しようとすると、かつての日本がそうだったように、シミュラークルなものにならざるを得ない。
今、この時代を生きることとして感じていることの表現や共有を大事にしたいと思う。また、もうひとつ踏み込んでいうなら、歴史を知ることもすごく大事かなと思う。
かつて琉球という国だったこと。二重宗主国であった時期と、アヘン戦争で力を失っていく清国。琉球処分を受け入れざるを得なかった経緯。先島分割。そして沖縄戦、ひめゆり学徒隊、鉄血勤王隊、戦後のケーキや、米軍統治下時代・・・
と、違う話になったのでこの辺で。
それぞれの中にある美の意識を大切にしていきたいし、それには相手を知らないうちからも尊重し、よりよく知りたいと思うことが大切。
そういう間柄であるといいな。