日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

平均を歩く~道の先にあるもの

おれには野心がないんだよ、とその人が言うのを聞いてから、私の中でも何か燃え続けていたものがふと灯りを落としたような気がする。

こんなことを言うと、みんな頑張れなくなるからな。続けるところまでは続けるけど、先の地図は白紙なんだよ。人ひとりの存在の求心力というのは大きいんだなと思った。翌日の、式典の形式ばった挨拶を上の空で聞きながら、この先の道は一人一人が歩いていくしかないんだな、私は別に、一緒に歩こうと思ったわけでもないのに。

それでもあの時、それは賭けのような判断で、結果は勝ちが出てしまった。この場所を箱舟に例えて考えれば助け合うほうが最適解なのに、頑張れと言われて放り出されたような感じもする。それも甘えか、人の倍、成長しないとだめなんだな。

バトンを渡すと決めたら、あとは若いみんなを目を細めて眺めるように穏やかに、期待しているぞと言うのはずるいではないか。

いつだったか仕事を辞める上司が私たちを呼び出して、「僕は誰もやらないことも率先してやった、それが自分の成長にも周囲の信頼にもつながっていったと思っている」というようなことを言ってきたことがあったけれど、どんなに仕事をクソほど真面目にやっても一定の評価の域を出ずくすぶってる私に向けられていたのだと、あの時の息苦しさを思い出す。

彼は正しかったのだと思う。私に天から配られたカードの役は弱く、これでは企業の中ではどう頑張っても認められない。そこを超えるには、人のする努力のその上をいかないといけない。当時もおせっかいにもほどがあると感じたものだが、普段はどこか計算尽くしている冷静な人に見えたから、よほど言っておかねばと呼びだしたのかもしれないと微かに思う。

分かってはいるけれど遅すぎた春で、もうその会社にそれほどの忠誠心を持てなくなっていた私は、それから間もなく会社を辞めた。

けれどもあの言葉は、今でも繰り返し思い出される。影のようにどこまでもついてくる。私を置いて先に行ってしまう人が、ずるいと思う。あなたのように器用には生きれないのに。

二つの道をシミュレーションしている。いっそのこと今の仕事を辞めてしまえば、空っぽになった分、新しいことが私の中に入ってくる。そういうことを望んでいる自分もいる。ある程度、無理の効く年齢のうちに新しいことを始めるのもいいんじゃないかな。

けれども、待て待てという声もある。あなたに賭けた人たちがいたのだ。オセロゲームの重要な位置にあなたがいて、ここをひっくり返されてしまったら、取り返せないことになってしまう。そのことも分かっている。「いちばんやりたくないことをやるんだよ」と、声が聞こえる。分かっている。

なんと未熟なのに、そんな重要な位置に自分がいるなんて。「誰もやりたがらないことを率先してやった」簡単に言うけど、大変なんだよ。やればやるほど、自分の未熟さがさらけ出される。できなさを毎回乗り越えられるほど、そう強くはない。ごまかしながら生きるほどに細かい傷が増えていく。

それなのに、最後に立っていたときだけに、あなたが声をかけてくれるのだとも思う。傷ついていないふりをして立ち続けるしかないのだろう。

なんだ、私はもう、あなたが降りるなら、私も降りてやろう、いつかは分からないけど、その次の道を見て歩いていこうと思ったのに、なんだか逆のことを書いているな。

子どもの頃は大人しくて声も聞いたことないと言われてたけど、社会に出てから、その経験を取り戻すように人と話す仕事ばかり選んだ。一番やりたくないことをやる人生なのかもしれない。

それでも、このレールはどこまでも続いているものでもないかなという気もしている。いや、レールの終わった先を見ている人生の方が、健全のような気がしている。あなたの言った「野心がないんだ」という言葉が、私の中に響いてしまっている。

人の倍やって結果を出そう。誰もやらないことをやって、強いカードに替えていこう。レールが続いていると思うことをやめよう。ゲームは一回ずつ勝っていこう。その先に次のゲームが待っているかなんて、誰も分からない。いつかこのゲームを降りる日だって来る。

その時、あの影のようについてきた言葉が振り切れているように。