日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

ボーカロイドは不気味の谷をこえるか 後編

ボーカロイド不気味の谷を超えるか問題の、技術面の話は前篇で書きました。後編は「機械音に聴くべき魅力はあるか」問題についてです。

2014年はボーカロイド楽曲の再生数が著しく下がって、ボーカロイド文化も終焉かと言われた年でした。その後の盛り返しについて、ボカロPの二人が対談している記事があり、とてもおもしろかったです。

―[…]逆に言うと、去年とか一昨年とかは「ボカロシーンがつまらなくなった」という声も聞こえるようになっていました。実際、お二人はシーンの状況をどのように感じていましたか?

DECO*27:再生回数を伸ばすためのテンプレートみたいなのができて、みんながそれを模倣することで、曲が似てしまったような傾向はあると思います。あとは、ランキング上位をベテランが占めることで、個性的なんだけど技術が足りない作り手が入って来れなくなったのも感じていました。

2012年頃からボーカロイド楽曲が小説化したりアニメ化したり、有名歌手が歌ったり、投稿音楽の領域をこえてコンテンツが広がっていきました。

文化がビジネス化していくのは必ずしも悪いことではないと思っていたのですが、たしかに今思えば"個性的なんだけど技術が足りない作り手"が入ってきにくい状況はあったように思います。

私が聴きたかったのは技術的に遜色のない音楽ばかりではなくて、個性的だったり、どこか変な音楽もそうなんだと思います。

ここから2016年の話。「Alice in 冷凍庫」は、ひとつの楽曲の中でメロディが多様に変わり、曲の途中でリズムが変わったり、アウトロに転調があったりと情報の多い不思議な曲です。先人が磨き上げたテンプレートにそって音楽を作っていたら出てこない楽曲じゃないかと思います。

メロディの遷移を書き出してみると下記の通り。印象的な前半のサビは一度しか出てきません。一回聴くと、次の展開を待って最後まで聴き入ってしまう曲です。

Aメロ→A'メロ・Bメロサビ(間奏)A'メロ→Cメロ(間奏)Dメロ大サビ

ちなみに楽曲の前半を、後半再びくりかえすというテンプレをくずした例は、ボーカロイド曲では先例があって、前編であげたKeenoさんの楽曲などは、こうした展開が多いです。

この曲も変わった曲です。何回か聴いて何が変なのかを考えてみると、独特な声質とメロディに気を取られがちですが、むしろ複雑に展開しているのは背後の演奏です。あと、演奏に対してメロディがところどころ和音を外しながら続いて、サビで和音に合う、ような感じがします。

基本的にポストロック調の演奏で進行する(途中でジャズサックスが入る)ので、そちらに集中してボーカルの和音と不協和音を行き来するメロディをアクセントとして聴けば、やみつきになる曲です。合う人と合わないひとは分かれそう。

こうしたテンプレを外した展開が計算づくかそうでないかは分からないですが、どんな音楽をルーツにしているのか固定化されていなくて、いろんなジャンルの音楽の要素が自由に混ざり合っていることは、ボーカロイドを聴いていて面白いところです。

というところで、構成は安定してるけど個性的な曲をひとつ。歌詞は英語ですが、空耳日本語に置き換えされています。めちゃくちゃセンスいいのに変なタイトルで変な動画。久しぶりにボーカロイドを聴いて、いちばんびっくりした曲です。

ニコニコ百科事典では別人というコメントがあったりするんですが、私はこの方はたぶんアキバヲタPと同じ人なんじゃないかなと思っていて、ヲタPさんは以前ツイッターかなにかで「打ち込みの演奏は聴いたらすぐ分かる」「楽器は自分で演奏する」と言っていたので、凄くいいピアノソロやギターソロは本人演奏のはず。

これは2011年の楽曲ですが、調声の参考に。声の設定もすごく細かいです。「ら」や「れ」が巻いたり、「嗚呼」の前に「ぅ」か何か小さい音が入っていたり。ハチさんがニコニコ動画でギター練習の生放送などやっていた時期に、ヲタPさんも調声の生放送を流していたことがあったのですが、サクサク調整してくのを見るのはとても面白かったです。

ここで始めの「機械音に聴くべき魅力はあるか」問題に話がもどってくるんですけど、いろんな投稿者の曲があふれている中で、売れるノウハウとか偉い人の評価とかにしばられずに、独自の発展をしていくものもあると思うんですよね。

前篇では「人間らしさ」に近づいていくボーカロイド曲を紹介したのですが、そことはまた違った展開をみせる楽曲を聴いてて私が感じることは、「人間らしさ」にこだわる必要はなくて、機械音のボーカルもひとつの楽器で、エッジを立たせたキンとする声も楽曲のムードをつくるひとつの材料だということです。

ボーカロイドの声が苦手というのは仕方ないけれど、「機械の声だから無味乾燥、人間味がない」というのは、ちょっと違うかなと思っていて、楽曲のムードにどうボーカルを合わせるかについては、制作者の感度や好みがかなり反映されるし、そういう向こう側にいる制作者の存在を含めて、私はボーカロイドが好きなんだと思います。

私はべつに音楽の才能があるわけではないけれど、ボーカロイドの調声技術であれやこれやと切磋琢磨している人たちを見ていると、あーこういうところに気づいているんだすごいな…とか思えて楽しい。作る人のクセや感性だったり、耳の良さとか、こだわるところだったり、いつもいつもじゃないけど、見える瞬間がある。

ボーカロイドがほとんど調声しなくても人間らしい自然な声になる時代は、そう遠くないと思っています。ボカロ文化が廃れても、ボイスロイドなど需要はあると思うので。

今は自動車でいうマニュアルの時代かもしれない。そのうちオートマチック操作になって、調声にこだわる人は減っていくのかも。でもマニュアル操作のものの面白さってありますよね。仕組みを感じながら操作するような。今はその過渡期にいて、機械音ならではの魅力を味わえる稀有な時期なんだと思います。

たぶんこの文章をボーカロイドが苦手な人が読むことはないと思うので、自己満足でしかないんですけど、数十年たって「そんな時代もあったね」と読む日のために書きました。おしまい。