日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

塩田千春「命がふるえる」展@森美術館

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雨のなか美術館へ向かうと入場70分待ちで、翌朝に予定を変更した森美術館
開場より少し早めにいくと、すでに列はできていましたが、前日よりはマシかな。30分ほど待って会場にはいると、この時間まだ人影もまばらで、混雑も感じず、各展示ゆっくり堪能できてよかったです。

全体の感想をいうと、とても素晴らしい展示で、きてよかったと思いました。

エントランスからまっすぐ、フロアの入り口で待つ作品は、小さな手が金色の針のもつれあう塊をすくうオブジェ。
個人的な身体性を思わせる手のひらという受け皿を出発点に、金色の針は、展示会に仕掛けられたイマジネーションが、これからひろがっていく予兆を感じさせています。

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入ってまず待ち受ける赤の部屋。フロア中に紡がれた赤い糸は、いったい何を意味するのだろう。身体をめぐる血であり、ほとばしる感情であり、あるいは存在の気配であり。それをどう感じるのかは、私たちそれぞれなのでしょう。

現代アートでこれだけ人が並ぶのは、振り返ってみてもあまり記憶がなく体験型アートとしてとらえられている気がしないでもない、と思ったのですが(そういえば去年の森美術館レアンドロ・エルリッヒ展も話題になっていましたね)、フロアに入ってみて、むしろそうなのではと思ったりしました。

この空間にいてあなたは何を感じるのか、と、何かしら感じている他者の存在を、感じさせるような空間でもあります。

私たちは視線をあわせることもないけれど、この赤い糸がつむぐ空間は、あなたとわたしの存在を、知らずとひそかに繋いでいる。

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あるいはこの糸を紡いだ作家の、その息遣いを感じる空間のようにも思います。この赤い糸にふれることは(美術館の鑑賞ルールとして)できないけれど、けれどもその赤がつくる響の中で、あなたの存在を感じている。

入った瞬間に、さまざまインスピレーションがあふれてくる空間に圧倒されて、しばし佇んでしまいます。

続く過去の作品集からは、塩田千春という作家をかたちづくったエピソードや、その形跡としての作品が並びます。このあたりのパネルにある作家の言葉も、触発をうけるものばかりで、表現にたずさわってもがく人には響くんじゃないかなと思うものが、たくさんありました。

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祖母が土葬になった場所で、草むしりをした子どもの頃の記憶。魂は植物の根のようなもの、という言葉が展示の後半に出てきますが、魂をつなぐものとして、植物の根をイメージしているようにも思いました。

とすると、彼女にとっての糸は、無数の人々の魂をつなぐものかもしれない。
アボリジニーの画家にエミリー・ウングワレーという人がいますが、彼女もまた、魂は皆つながっているというイメージを、ヤムイモの根をモチーフに描きました。

展示が進むと、糸にはさまざまなイメージがたくされていることがわかります。身体を包むものとしての糸。あるいは皮膚という膜の下に脈打つ、生の実感。

ある時期からドローイングをまったく描けなくなってしまったというエピソードも心に留まりました。自分のオリジナルな表現の開拓をめざせば、今やもう平面の世界では行き詰まってしまう。けれども「空間」というヒントが、その壁を超えるヒントになったこと。

塩田千春の表現に通底していることは、身体性なのかもしれない思います。手のひらを開いてみて、その手のしわをふとなぞってみるような自己確認。あるときは自傷的にも見えてしまうけれど、そのおのれの存在の確認が、この展示に興味をもって観にくる多くの人に深い共感を覚えさせるのではないかと思うのでした。

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黒の部屋は火災に遭った家から運びだされたピアノが着想のもとになっているのだそう。
この展示からもさまざまなイメージを受けることができます。

消失したあとに残るものは、魂のぬけた物体のようにもみえるけれど、しばらく眺めていると、黒の糸からは過去の幻影が立ち上がってくる。「魂はあるのか」「あるとしたらどんな形で、どんな色?」「魂は消えてしまうのか」「消えた後はどうなるのか」......ドイツの子どもたちに問いかけた質問が、この展示にもかかっているような気がします。

形は消えても、何かは残るかもしれない。その何かってなに? 記憶から消えてしまえば、私の存在も消えてしまうのかな。
その残滓のような黒い煤に、それでも私たちは音楽を聴こうとしてしまう。

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さいごのフロアは無数の旅行トランクが赤い糸でぶら下げられたインスタレーション。いくつかの土地を行き来する彼女にとって、旅人は、親近感ある他者かもしれません。見知らぬ土地で私たちは出会い、別れていく。

そのすれ違いにすぎない出会いもまた、赤い糸が結びつけているように思います。私たちが歩む人生という旅を、いましばらく続けていくーー

あまりによかったので二巡しました。
2回目は鑑賞客の姿もふえて、着飾った女の子がポーズをとるのを、がっつりしたカメラで撮影する男の子の光景など見られて......それぞれの楽しみ方があっていいですよね。

その展示と同時展示で観れるのが、会田誠が日本国首相に扮して国際会議でスピーチをするという政治風刺のビデオだったり、高田冬彦のスサノヲに扮した本人が日本列島を模した何かしらで個人部屋の物をなぎ倒すなどのビデオを集めた上映だったりして、展示内容のギャップに少し不安を覚えながら後にした森美術館でした。


参考URL

キュレーター・片岡真実が見た 「現代アボリジニ・アート」とは?|MAGAZINE | 美術手帖
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/353