日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

頭のなかの箱庭

子どものころは寝つきが悪くて、あるとき父親に「楽しいことを考えるといいよ」と言われた。「”明日何しよう”だと考えすぎるから、現実と関係ないことを考えるんだよ」とかそんなこと。

楽しいことを考えようとすると、むしろ何が楽しいことなのか分からなくなるもので、そのときはよく理解できなかったけれど、この言葉はあとあと役に立って、布団に入ると私はよく物語を考える。今日あったことや明日の予定ではなくて、自分から遠く離れた別の世界の話。

会社のすごく仕事のできる先輩が、「家に帰るとスイッチオフしたみたいに頭の中が空っぽになる」と言っていて、たまに何にも考えず数時間過ごすこともあるんだそうだ。それを聞いてびっくりしたのは、私はいつも考え事をしていて、頭の中を空っぽにすることが出来ないからだ。

たとえば仕事をマルチタスクでこなさないといけない上にタイムリミットがある場合の、頭の中の稼働率を90%だとして、休日に友だちとの待ち合わせに、頭の中で乗り換えルートを組み立てるのが60%、ブログの文章を考えているときが40%くらい。

15〜20%くらいでゆるく稼働させておきたいときに、物語を考えるのはちょうどいい。いつも頭の中に言葉があると疲れてしまうから、放電する時間が必要なのだと思う。作品にしようとかそういうこととは少し違って、頭の中で登場人物たちが動き始めるのを、好きにさせておく感じ。

ライフゲームみたいに、初めに一定ルールの環境とコマを配置すれば、あとは勝手にコマが動き回っていく。どんなパターンを描いていくのかはプレーヤーにも分からない。創作というよりシミュレーションみたい。箱庭療法の箱庭のようなものかもしれない。

最近よく考えているのはこういう話。王様に仕える戦士たちがいて、彼らはその名誉と引き換えに、土地や財産を所有する権利を手放している。でも彼らのコミュニティから「名誉なんていらない、おれたちに必要なのは自決権と自由だ」と独立派の人たちが出てくる。

内部分裂をへて、最後は独立派の人たちが勝つ。では彼らが王様の主従関係から解放されたとして、幸福になれたかというと、そうでもなかったりする。起承転結あって考えている話ではないので、必ずしも大団円になるというわけではないのだ。

これは自分で考えていて、ちょっと意外だった。「名誉」という価値観を壊したときに、これまで結びついていた仲間たちとの絆もバラバラになってしまう。自由は手に入ったけれど、でもこれからどうやって生きていけばいいのか、みな戸惑ってしまう。
 

最近のニュースで、震災地から転校してきた子どもが「菌」と呼ばれていたという話があった。報道ではそう呼んだ教師も呼ばれた当人も、当初いじめという認識はなかったのだという。別の地域の似た事件を知って、いじめかもしれないと思うようになったのだそうだ。

また、先日ある裁判にふれて「幼いころから性的虐待を受けいていた子どもは、大人になってから虐待だったと気づいて、トラウマになるケースが多い」という専門家の話を紹介した記事を読んだ。真実を知らないままでいれば、彼や彼女にとってそれは、いじめでも虐待でもなかったんだろうか。たとえば『差別』とは、世間の認識がそれをもたらすのだろうか。

もうひとつ、さいきん移民のメイドの話が話題になっていて、そのこともいろいろ考えてしまった。シンガポールのメイドは近隣国の移民が多く、副業は禁止、住み込みで給与3万ほど、それでも彼女たちのほとんどは「今の仕事に満足している」と答えるのだそうだ。
 

戦士たちの参謀格の人が親友に悩みを打ち明けるくだりがあって、こう言う。「昔に戻りたい気持ちはない、(都合のいいように使われていたことを)何も知らなかった頃にはもう戻れない」
”名誉”は搾取の構造を覆い隠すものだった一方で、彼らを結びつけるものでもあった。けれども真実を知った後は、もうその無知蒙昧な幸福には戻れない。

彼らを覆う世界の仕組みの真実を知り、それを打ち壊して自由を得た彼らに確かに残ったものは、彼らが世間から遠ざけられがちなマイノリティであるという事実だった。

これは、ある種の不幸ではないか。参謀役もその親友も、今さら自分が土地や家族を持つなど、新しい価値観に生きていけないことを感じている。彼らは時代のはざまに陥ってしまったのだ。しかし、若い世代が困惑しながらも新しい価値観に順応して生きていこうとする姿に、そのことだけが彼ら二人が感じている、ささやかな希望なのだと互いに気づく。

私という個人が生きている世界の構造が、歳をとるごとにリアルに見えてくる。社会に出る前や出たてのころは、社会の構造にがんじがらめの自分なんて、まだ実感しないけれど。

日記を書いていると、むかしこういう事考えていたんだなあと思うことがあって、今はブログで映画や美術館や旅行のメモを残すつもりで書いている。頭の中で繰り広げられる物語も、あるていど熟成してくると、年齢ごとに感じている社会のとらえ方が見えてきて面白いなあと思う。