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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

映画「夢窓 庭との語らい」「マイケル・ケンナの北海道」

movie

マイケル・ケンナは日本の風景をモノクロでばかり撮っている写真家です。ふらっと入ったフォトギャラリーで出会って以来、ずっと好きな写真家なのですが、ポレポレ東中野という小さな映画館で、彼のドキュメンタリー映画が上映されるとのことで、平日の夜に立ち寄ってきました。

とはいっても、フィルムは20分ほどの短いもの。ジャン・ユンカーマン監督の特集の一環で、日本の庭園を題材にした「夢窓 庭との語らい」という作品との抱合せ上映でした。

平日の夜、ぱらぱらとした人の入りでしたが、上映直前に映画館のスタッフさんが入ってきて「監督が急きょ来てくれたので、少しの時間お話していただきます」などと言い、幸運なことに、突然のユンカーマン監督トークショーが催されたのでした。

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*映画の予告などもないので、イメージ画像。滋賀県石山寺(9月くらい)。

「夢窓」が作られたのはバブルの時代。潤沢に資金があって、あまり入れないお寺や、夜や早朝の撮影をしたりと、贅沢に作ることができたそう。その中でも、前衛作曲家の武満徹さんに作品中で流れる音楽をお願いできたのは、本当に贅沢なことだったとお話しされていました。

目当てではなかった「夢窓」ですが、とても良かったです。与那国島の漁師を撮った「老人と海」ののち、人を撮りたいという思いを抱いていた時期とのことで、庭をテーマにしながらも、人を軸に撮っています。その中でも、武満徹さんの存在感が大きかった。

庭を見る眼が、そのまま彼の音楽観であること。武満さんは、庭を作るのは時間であると語ります。夏に降る雨、冬にむかって色づく紅葉、時間が積もるように、深みを増していく苔の緑。

庭にはことなる時間が何層にも重なっている。冬の空はゆっくり色を変えて、雪はしんしんと降り、川はたえず流れる。晩夏の風が木々の葉を大きく揺らせ、鹿おどしの音がのんびりと響き、絶え間なく聞こえる虫の声、時おり響く鳥の声。

そんな映像を見ていると、武満さんの音楽は、まさしくひとつの空間に、異なる時間が層をつくる音楽なのだと、はっきり感じられます。ぼんやり聴いていたのが、そう思い立ったのを境に、音の空間がどこまでも広がっていくように思われるのでした。

武満徹さんのアルバム名でもある「夢窓」は、鎌倉〜室町時代臨済宗の僧、夢窓疎石からきているのだそうです。夢窓疎石苔寺こと西芳寺や、天龍寺などの設計者でもあります。作品も西芳寺から始まるなど、「夢窓」にまつわる繋がりになっているのですね。

ユンカーマン監督は夢窓について、"夢"の内に向かう力、"窓"の外に向かう力、方向性の違う二つの力が同時にある、と話していました。

龍安寺の石庭を月の光に撮るシーンがあって、とても美しかった。そこにあるのは海に見立てた石の庭なのだけど、波の気配を感じることができたなら、自分の奥深くに世界がひらけた、ということなのかもしれません。つまり夢窓とは、自分の内にある宇宙にひらく窓なのです。

比叡山のふもとに抱かれた修学院離宮の、自然と造形の親和的なつながり。それと対比して、桂離宮の直線の整然とした美、その緊張感を緩める曲線の工夫。省略することで有機的な線を浮かび上がらせる華道の美意識。土門拳記念館(谷口吉生)はじめ現代建築にある空間の思想、などなど。短いけれど、けっこうな情報量でした。

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*むかし行ったマイケル・ケンナ写真展のフライヤー

それに比べると、「マイケル・ケンナの北海道」は、もう少しのんびり観れる作品。

監督自身がその写真に衝撃を受けて、写真家が撮影で北海道に来たときに同行させてもらって撮った映像だといいます。短い尺なので、上映する機会はほとんどないようですが、ケンナさんもこの映像を気に入っていて、自身の写真展でよく流しているのだとか。

これほど静けさを愛する人は、きっと神経質な人にちがいない、と長年思ってたのですが、ケンナさん北海道にある一本の木に毎回会いにくるのだそうで、これまで8回は会っているというその老木を前に、雪深いなかカメラを覗き込みながら、中腰でうろうろしたり、雪に寝そべってみたり…端からみたら変わりの者のおじさんじゃないですか。

天候も好み通りだったみたいで、満足気な笑顔を見せるケンナさんは、意外とひょうきんな人に見えました。彼が良いと言った天候は、雪のぱらつく曇り空だったのですが、雪の舞う冬の早朝ほどの光の少なさは、長時間露光にちょうどいいのかもしれない。

うっすらと光が積もっていく繊細な画面が特徴の風景写真ですが、べつに長時間露光にこだわりがあるのではなく、毎回シャッタースピードを変えて何枚か撮ってるけれど、つい長時間のものを選んでしまいがちって言っていたのも、ちょっと意外でした。

雪にぱらぱらと立てられた杭を音楽みたいだと言ったり、ケンナさんといい、武満さんといい、表現する人の言葉はとても豊かだと思う。二人とも、自然の声を聴くことが大切なのだといいます。空や木々や水のせせらぎが、何を語ってくるのかは分からない。けれど、そこに耳をすまそうとする心がないと、その語りは決して聴こえてこないのだと。

マイケル・ケンナは今年、北海道にまつわる受賞があって、夏に来日する予定なんだそうです。写真展ないかなと思ってたら今年2月に開催済みじゃないですか…情報こぼさず拾うの難しい。

関連URL

武満徹さんをあまり知らなかったのですが、武満さんの訃報に際して、立花隆さんが「(海外では)世界的な音楽家の喪失として悲しんでいる人が多い」「日本ではあまり話題になってなくて驚いた。彼のことを知っている人が少ない」(私も…)というようなことを言ってて、そういえば映画館の観客にも海外の人の姿がありました。海外での評価が高いんですね。
西洋音楽ではA→Bと相対のものの間を移動するけれど、武満徹の音楽は、AとBの間にいて両方を視ている。絵や書を見るような、全体をとらえる音楽。ジャズではこれまでの音楽理論を解体していくけれど、武満さんは同じ流れにいて、ダダイズムではなくて、解体の先の新たな音楽に必要な独自の構造をつくりあげた。
指揮者サイモン・ラトルはじめ各音楽家の彼について語る表情がきらきらしてて、ああこの人たちは普通にファンなんだなあと思いました。

北海道に行く度にケンナさんが会いに行く「屈斜路湖畔の樹」について語ったインタビュー。

影技術についての質問が多くて、「長時間露光の間、何をしているのですか?」とか、ちょっとおもしろい。

「ケンナの木」こと「屈斜路湖畔の樹」について詳しくて、しんみりしてしまった。

マイケル・ケンナ公式サイト。表紙の一枚は「屈斜路湖畔の樹」。はじめはヨーロッパの町並みなどクラシカルな風景が主なのですが、そのうち、北海道はじめ日本各地、韓国などの風景を水墨画みたいに撮るようになりました。
自然そのものよりは、人の痕跡が見える風景が好きとのことで、特徴的な自然や遺跡なども多く、滋賀県の白鬚神社など海の鳥居や、沖縄の残波岬などの写真が個人的に好き。