日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

ちいさな星のための [前編]

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1996年の映画「ロミオ+ジュリエット」は、シェイクスピアの戯曲を現代のマフィア抗争におきかえて描かれた意欲作であるが、クレア・デインズ演じるジュリエットがベッドでひとり愛しいロミオ(若きレオナルド・ディカプリオ)に思いをはせるシーンで流れる音楽は、スウェーデンのミュージシャン、スティーナ・ノーザンスタームの「Little star」である。

Little star
So you had to go
You must have wanted him to know
You must have wanted the world to know
Poor little thing
And now they know

曲はこの後、賛美歌のフレーズがコーラスで入り、締めくくられる。

For Little star ...

好きな音楽が当時話題となった作品で使われたことは、とても嬉しかったけれど、少しばかりの違和感もあった。
ティーナはこの曲を、みずから命を絶った友人に向けて作ったのだから。
ちいさな星、と思いを込めて呼びかける相手は、去ってしまった友人ではなく、会えない恋人におきかえられてしまった。

もしかしたら、と考える。それは彼、彼女らを待ち受ける運命を予兆させる音楽だったのかもしれない。

世話をしていた子ヤギがなくなった冬の夜、夕飯のお皿を片付けようと流しに立って、ふとそんなことを思った。

So you had to go

ささやく歌声はどこか冷たく、感情もおさえぎみだけど、その青く冷たい空気の向こうに、怒りのような、悲しみのような、そして諦めのような、さまざまな感情が静かに燃え続けている。

子ヤギは牧場でアルファベット順X番目の子で、Xac(ザック)とかXian(シャン)とか考えたけれど、しっくりこず、結局ずっとチビと呼んでいた。でもここでは便宜上Xia(シア)と呼ぼうと思う。

シアの母ヤギ、リッキーは、生まれたときはくりくりした巻き毛で、立ってすぐ母乳にありついた兄クェンティンとちがって、部屋の隅で座り込んだまま。この子は身体が弱いのかもしれないと心配させられた。

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ベティに寄り添うリッキー、兄のキュー(クェンティン)

体が小さくても、母乳を飲んでいるうちすくすく育つもので、リッキーの巻き毛も、片方だけ垂れた耳も、成長とともに他のヤギと同じになったものだった。目の周りがピンク色なのがかわいらしく、小柄でどこか華のあるリッキーは、そのうえ人懐っこく、彼女に邂逅した人間はほとんど誰でも、子ヤギの愛らしさに打ちのめされてしまうのだった。

同じ時期に生まれた三匹のヤギのうちでも、内心、彼女を特別に見ていたと思う。

ある日の午後、彼女が、プラスチック・コンテナに座ったまま、遠い空をぼんやり眺めているのを見つけた。あとから兄クェンティンとピアの二匹が雌雄の組み合わせで人に譲られていったことを知って、いつも兄の後ろをくっついて走り回っていた彼女のことを思い、胸が痛んだ。それでも、牧場にのこったのが彼女だったことに、ひそかに安堵したのだった。

天真爛漫な彼女だったけれど、序列のある群れの中で苦労がなかったわけではない。彼女の母ベティはずっと群れの王女だったが、ある日、茶色のヤギ、タマラが群れに入ってきた。

タマラがいた島では、野生のヤギもままいる環境で、彼女も野性味の強いヤギであった。ウシ科であることを疑わせない体つきのザーネン種とちがって、タマラは鹿のような、細身で足も長く、すらっとした体つきをしていた。

どうやら群れにはいってすぐに、ベティと決闘がおこなわれたようだった。私がタマラに気づいたとき、彼女は別部屋に分けて住まわされていた。ほとんど自由のない状態なのをかわいそうに思い、群れになじむよう、毎晩一時間ほどヤギたちを庭に出して草を食ませ、彼らに交えて過ごさせてやったのだった。

一週間後タマラを牧場に入れてみると、他のヤギの反応も平常と変わらないものでほっとした。

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草をはむタマラ

時間がたってみると、過去にあったその戦いにおいて、タマラはベティに勝利していたということが察せられた。ベティは序列の二番手に落ちこぼれたが、彼女のプライドが傷つけられたのか、草の配給時も群れから離れ、遠巻きに眺めているありさまである。

序列の末尾だったイーダがいちばんタマラとうまくやっているのがおかしかった。イーダはもともと冒険心の強いヤギなので、野性味あるタマラとは相性が合ったのかもしれない。

ともかくリッキーの話である。ベティが王女の座からおりてしまったので、そのあおりを受けたのが娘リッキーだった。母のそばが最大の安住の場所である子ヤギにとって、母ベティが身を引いていると、彼女も草にありつけないのである。ベティは日に日にやせていくし、心配のあまり、夜の小一時間、庭で草をたべさせる日課が続くこととなった。

野性味があって高貴なタマラ、と思っていたが、意外にいじわるなところもあって、牧場の格子の柵から首を出して外の草を食むリッキーが、ツノのせいで頭を戻せなくなってしまうと、タマラは後ろからツノでつついて彼女をいじめるのだ。そのたび、裸足ででも走って行ってタマラを止めに入り、リッキーの頭を柵から外してやる必要があった。

前の雄ヤギはそうでもなかったのだけど、時の群れの王者ケニフは、若いヤギでも交尾の対象にしてしまう。これが心配で、リッキーも近くのカフェに貸し出ししたりしてたのだけど、妊娠していることが分かったのは、いじわるなタマラからリッキーを救ってやったときだった。リッキーのおなかのあたりにこぶのようなものがあって、それが時々場所を移動しているのだ。

これはもしかすると胎児の位置が悪いのかもしれないと憂慮して、リッキーの出産時にはなるべく立ち会いたいと、しばらく注意して見る日々がつづいた。

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リッキー。群れからはぐれないので紐で繋がず遊ばせることが多かった。

心配をよそに、まず生まれたのはイーダの子だった。イーダにとっては2回目の出産。初産は遠くのカフェに貸し出しをしてたおりだったが、若い母ヤギにありがちな育児放棄で我が子を育てきれなかった。

(彼女の名誉のために付け加えると、出産前後イーダは体調をひどく崩していた。母ヤギに体力がなければ、お乳をあげることすらできないのだ。)

このことを心配して、牧場に連れ帰ったのが昨年春のこと。体調不良の波もあって心配したが、秋には出産となった。産後イーダはすぐに我が子であることを理解して、不安げにンーンーと鳴いて、赤ちゃんを可愛がった。イーダの母ヤギもまた子煩悩だっただけに、彼女が一丁前の母親のふるまいをしていることの嬉しさはひとしおだった。

翌日にはベティが出産した。彼女は三度目である。大きな赤ちゃんだったためか珍しく苦しんで声をあげた。鳴き声を聞いてあわてて牧場へ走ると、私より先にイーダがかけつけて、産まれた赤ちゃんを一生懸命なめている。当のベティはしばらく放心状態なのだった。母性本能が強すぎるのか、自分の赤ちゃんと混乱したのか、イーダのその様子がおかしかった。

生まれて三日もすると、新しい仲間であるヴァネッサとウィニーは庭中を走り回るようになった。出産ラッシュもひと段落したかと思った二週間後、小屋のほうから三度鳴き声がする。様子を見にいくとリッキーが座り込んでいた。出産がはじまったのだ。

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畑で遊ぶヴァネッサとウィニー

やはり、小さな体での出産に苦しんでいるようだった。ビニールの手袋をつけて彼女に近づいた。前脚から先に出ていて、赤ちゃんは正常な位置のようだった。

介助しようと前脚をひっぱると、リッキーは苦しがって立ち上がり、奥の部屋へ逃れようとした。すると赤ちゃんの頭が産道から出てきて、今だ、と引っ張り出す。ずるずると体が出てきた。頭さえ出てくれば、あっという間だった。

リッキーは自分のお腹から出てきた我が子を、なんとなく気にしている風で、赤ちゃんをタオルで包んで見せてやると、鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、それから頼りなく舐め始めたのだった。他のヤギたちが外に出ていくと、思わず後をついていこうとするが、我が子がメーメー鳴いているのに立ち止まって気にしている。まだ母ヤギとしてあやうさがあった。

彼女と赤ちゃんヤギを別の部屋に移動して、乾燥草を敷いてやった。
ところが彼女のお腹のこぶは、まだ消えていなかった。二匹目がいるかもしれない、と心配になる。胎盤も排出して、赤ちゃんヤギも初乳をのんだ。お腹のこぶさえ除けば、お産は一通り終わったように見えるのだ。

もしお腹に二匹目がいた場合…ネットで調べると、母体も危険らしい。出てこない赤ちゃんヤギを人の手で取り出したという話もあった。帝王切開をするケースもあるらしいが、ヤギを診る獣医のいない島では厳しい。実例にならって、ゴム手袋に食用油で膣の中を探ってみようと試みたけれど、怖くて奥まで手を入れることはできなかった。

出産後の体をこれ以上疲れさせるのはやめようと、その日は対応をあきらめた。こぶは気になったけれど、胎児と決めつけることもできなかった。夜遅くまで親子ヤギの様子を見ていたけれど、二匹とも落ち着いた様子で、そっとしてあげるのが良さそうだった。

翌朝、少し遅めに起きて庭に出ると、小屋の方から赤ちゃんヤギの激しい鳴き声が聞こえた。悪い予感がして走り出す。走り込んで見たものは、敷き藁のうえで倒れているリッキーだった。ダメだったのだと思った。どこかで覚悟していたのかもしれない。動揺はさほどなかった。

子ヤギをどうにかして保護しないといけないと思った。朝早く、飼育者のおじさんがきた時には元気だったのかもしれない。いくらか残った青草にまじってイチゴがあって、その甘い香りがあたりに漂っていた。

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