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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

映画の感想 - 海よりもまだ深く

どうせ何も起こらないんだろうと思いながら見に行ったら、本当に何も起こらかなった。
けれども、上映中ほとんどの場面で笑いがおき、見終えた後も余韻が残る。日常を淡々と描いているだけなのにどうして面白かったのかな、と日が変わってからも考えていたのでした。

役者の会話や場面の切り取り方などの演出、主人公の心の変化というストーリー、現代社会を見る視点。その3つのどれもがしっかりしているから、心に残ったのかもしれない。

「このミカンの木、花も実もつけないけどね…あんただと思って水やってんのよ」とさらりと皮肉を言う母親役の樹木希林と、プライドばかり高くて自嘲気味な息子役の阿部寛の会話は絶妙だったけれど、その彼を慕う後輩役、池松壮亮との掛け合いにもほのぼのとした笑いがある。

日本の役者は演技が下手と言われることがあるけれど、なかなかどうしてどの演者も自然体で、その辺の通りがかりの人たちの会話を見ているみたいで、そこがまた愛おしかったりして。

かつて文学賞を受賞したものの、その後は鳴かず飛ばず、「取材」と言い聞かせながら興信所で働く主人公。不当な方法で手にしたお金も、すぐギャンブルに使ってしまう。離婚した妻には未練タラタラのくせ、子どもの養育費にも滞る有様。しかも彼女には新しい恋人ができて…。

「俺は大器晩成型なんだ」というけれど、一打逆転のチャンスは巡ってきそうにない。「あんたは父親に似て」という母の言葉に、家族を苦労させてきた父の姿が自分に重なる。けれど団地を終の棲家と受け入れている母は、問題ばかりの夫と生きた人生を静かに受け入れているよう。

家族の会話の端々に出てくるだけの父と、いい年して這いつくばって生きる主人公と、月に一度会う度に成長していく息子。いびつながら、それでもつながっている絆。父の後ろに一本道ができ、息子の前にはこれから歩む道、そして自分はというと、その道の半分を歩いている。

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演技に笑いあり、父親と息子というつながりの物語に哀愁がある。もうひとつ特筆すべきは、郊外の団地という都市空間を描いていることです。高度成長期には近代住宅として人気の高かった郊外型団地は、現在は入居者の多くが高齢となり、地域の衰退化が問題になっている。

しかし駅からバスに乗って向かう「おばあちゃんの住む団地」は、緑豊かな閑静な場所で、中高年どうし趣味のサークルのつながりもある。今ある問題へ視線を注ぎつつも、ユーモアを交えて、淡々と優しい風景の中に描いてゆく。

終わりゆくものと、続いてゆくものをつなぐ象徴として描かれるのが、タコの滑り台のある公園です。安全のため立ち入りが禁止された滑り台に、台風の夜もぐりこんで親子で過ごす時間は、次世代へバトンを渡す行為でもあるように思います。

作中にしばしば出てくる「こんなはずじゃなかった」というセリフは、今の私たちの社会に内在するつぶやきであるかもしれません。ひとつの時代を終えながらも、次の時代にあるべき新しい都市空間のモデルを見つけられずにいる。

けれどもそれを巨視的に描くのではなく、自分の周囲数メートルの事象として描いている。
"こんなはずじゃなかった"を受け入れる母と、「前に進むって決めたんだからね」と、自分に言い聞かせるように口にする妻。

だけどあの台風のタコ公園であった優しい一夜がそうであるように、それぞれが選ぶ異なる生き方は、冷たい決別ではなく、あの夜を根にして緩やかに結びついているのです。過去と未来は、世代とは、そういうふうにつなげていけるものなのだと、つい願ってしまうのでした。

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