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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

[感想]北斎と広重 二大巨匠の名品展 | 馬頭広重美術館

会期終盤だけど、行くなら連休中がいいなあと思って出かけてきました。
たてもの見たさでしたが、上野の森美術館でやってた北斎展をうっかり見逃したので、内容的にもちょうど良かった。

北斎と広重とのことで、名所絵を軸に展示。
ともに名所絵の二大絵師で、二人の関係性や相違など垣間見れて面白かったです。

以下感想。長い。毎回書いた後削ってるのになんでこんなに長くなるんだろう。
 

葛飾北斎

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葛飾北斎富嶽三十六景』2. 江都駿河町三井見世略圖

若い頃は貸本屋の小僧や木版本の版木の彫り師として修行をしていたという北斎
19歳で勝川春章に入門するも、師が亡くなった2年後に勝川派から破門された。理由は勝川派以外の画法を学んだためとも言われる。こののち北斎は江戸琳派の「俵屋宗理」を襲名している。

琳派は京都の俵屋宗達が創始し尾形光琳が大成し、後年の絵師たちがそれぞれに私淑して引き継いだ画風であった。そこには、しがらみにとらわれず新たな画風で道を切り拓いていこうとする北斎の意志があったのかもしれない。

弟子に宗理号を譲り、画号を幾つか変えたのち、文化二年から「葛飾北斎*1*2を名乗る。
狂歌絵本の挿絵を手がけていた北斎は、このころ流行の兆しを見せはじめていた読本に傾注する。
深い繋がりのあった曲亭馬琴の作品の挿絵を描き、馬琴とともにその名を一躍不動のものとした。

読本の挿絵には漢画的な力強い線と、緻密な表現を交えて、迫力のある画面を作り出した。
また、西洋の透視図法を取り入れた画法で、絵が浮いて見えることから「浮絵」と呼ばれた絵は*3、歌川豊春がその第一人者だったが、北斎もまた西洋画の表現に強い関心を持ち、作品に取り入れている。

富嶽三十六景』に取り組み始めたのは、北斎が70歳をすぎてからである。
学ぶことを恐れなかった北斎は、漢画・西洋画の表現を吸収し、独自の風景画を確立した。
また版元永寿堂が入手した新しい顔料、ベロ藍*4をふんだんに使用した『富嶽三十六景』は大きな評判となった。

富士を主題に据え、各地名所を大胆な構図で描く。『富嶽三十六景』の登場によって、新たに「名所絵」というジャンルが確立したのだった。

歌川広重

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歌川広重『京都名所之内 淀川』※今回の展示ではありません

八代洲河岸定火消同心の屋敷で長男として生まれた*5広重は、父親の死後、元服して同心職を継いだ。このころ浮世絵を学ぼうと歌川豊国を訪ねるが、希望者が多く断られ、貸本屋の紹介で歌川豊広に入門することになる。

豊広の画技は豊国に引けを取らないが、作品に派手さはなく、人気においては豊国におよばなかった。
しかし門人が少なく美人画、風景画を描く豊広に学んだことは、広重にとって幸運であったかもしれない。挿絵や役者絵、美人画、名所絵など、様々な絵を描きがなら、広重はどの道で活躍できるかを模索した。

27歳で同心職を息子に譲ったが、引退後も後見人として同心職を勤めたらしく、公務との二足のわらじ生活はしばらく続いたようだ。文政十二年、師の歌川豊広が没すると、周囲に豊広の名を継ぐようにと勧められるが、未熟さを理由に断っている。

文政末から北斎の描いた「富嶽三十六景」が人気を博したころ、35歳の広重は中期規模の版元から「東都名所」を刊行する。先行した北斎にならってベロ藍を使用し、透視図法を取り入れた名所絵だったが、版元の期待通り売れたようである。

さらに、天保三年に公務で東海道を往路する機会を得て描いたスケッチをもとに「東海道五十三次」が発刊されると、初版からたちまちに売れた。

これを機に多くの版元から様々な仕事が舞い込んできた。
天保十三年に住み慣れた八代洲河岸の屋敷を離れて大鋸町に転居した広重は、念願の絵師としての独立を叶えたのだった。

名所絵 ふたりの絵師

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葛飾北斎富嶽三十六景』33. 凱風快晴

歳は違えど同じ時代をともに名所絵の絵師として生きた北斎と広重。
教えを請うて、老人北斎のもとを訪れることもあったという広重だが*6、比較されることも多い二人の絵師の間にあったのは、敬意か羨望だったか。

彼の没後に刊行された『富士見百図』の序文で、北斎についてふれた文がある。
いわく、「葛飾の卍翁は、絵組のおもしろさをもっぱらとし、富士はとりあわせの材料にすぎない。自分は、実際に眺望したものを写して清書したものである」*7
広重自身が書いた文章かは不明だが、世間が両者をそのように比べ見ていたことはうかがえる。

たしかに北斎が描く名所絵は、たとえば『琉球八景』など、他の人の記録をもとに描いているものも少なくない。また透視図法を模索し工夫した北斎の作品には、遠近感の不完全さがいくらか見える。
広重の名所絵にもデフォルメはあるが、遠近法はより正確で、北斎ほど誇張のない構図となっている。

逆を言えば、その誇張こそが北斎の魅力ではなかったか。
広重は「絵組のおもしろさ」と称したが、北斎には、幾何学の組み合わせを意図して好んだ面がある。
平坦な言葉で言えば「まる、さんかく、しかくの組み合わせ」である。

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葛飾北斎富嶽三十六景』45. 甲州石班澤 遠景の富士と重ねて、近景に親子と釣り糸の配置を三角にとる

また、一つの作品には、シンプルな象徴が込められている。『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」「山下白雨」は富士を主題に森羅万象を描いたものである。
一枚の絵が一句を詠むような、短くも鮮烈な叙情性。それが北斎の作品の魅力だろうと思う。

「名所絵」が人気を博したのも、北斎の才によるところが大きい。風景を写し描くのではなく「名所」を誇張し記号化したところに、「名所絵」が人気となった一因があるのではないかと思う。

北斎ばかりを褒めているようだけど、今回の展示に行くまでは、どちらかというと広重の方が色彩が美しいし詩情があって好きだなあと思ってた。今は、二人全く違うけど、それぞれにいいなと思う。

北斎と広重はともに江戸末期を生きた。二人の作品を見ながら思ったことは、この頃の日本は鎖国ではあったが、海外の文化がじわじわと入りつつあったということ。
西洋と和洋の出会う時に、双方の文化の濃淡が絶妙なバランスで融け合っている。とくに広重の作品にはそんな美しさを感じる。

余談 世界と北斎と広重

揃物(そろいもの)

今回の展示で好きな作品は、北斎の『雪月花』という三枚の連作で、タイトルの通り、雪と月と花をテーマに描いている。日本では「揃物(そろいもの)」と呼ぶテーマ性のある連作は、西洋ではモネの睡蓮や、セザンヌの「セント・ヴィクトワール山」に影響を与えたとされている。

前にミュシャ展に行った時に、「春夏秋冬」「月・星・太陽」といったテーマで女神を描いていて、西洋でも四季のテーマで連作を描くことがあるんだなあと思ったのだけど、もともと浮世絵の影響の濃いアール・ヌーヴォーなので、単にジャポニズムの影響だったのかも。

戦隊ものやアニメ、ゆるキャラもそうだけど、「揃物」ってけっこう日本的な感覚なのかもしれない。スーパー戦隊は色、セーラームーンは惑星?という「揃物」、ゴジラの敵もご当地怪獣*8みたいなもんだって誰か言ってた。思えば怪獣たちが各所を破壊するのも、名所絵的なエッセンスがある。

さておき、北斎の『雪月花』が素晴らしかったのは、『富嶽三十六景』の富士の絵のように、詩的で印象的な象徴性があるからだと思う。

エピソード

北斎の名が高まると弟子も増え、門下は二百人ほどいたとも言われる。庶民の表情や動き、動植物のスケッチを描いた『北斎漫画』は、絵手本として高い人気を誇った。はては陶磁器の包みに使われるほど版を重ねた『北斎漫画』が、陶磁器の包装紙として海を渡ると、フランスの版画家がこれに驚嘆し、ジャポニズムの発端となったという話。本人のあずかり知らぬところで、北斎は時代を変えたのである。

そんな北斎の年表に<放蕩息子に手を焼く>とあって、面白かった。
葛飾北斎は作画以外には興味のない、酒も煙草ものまないオタク的なイメージがあるけど、人間臭いエピソードが見えると意外でもあり、なんとなく可笑しい。伊藤若冲にもそんな話があったっけな。

一方、広重はというと、温厚で酒好きな性格で、甲州に招かれて制作をしていた折の日記には、酒のことばかり記しており*9、毎晩地元の人たちと酒を飲み交わしていたようだ。それもそれで抱いていたイメージと違って面白かった。

幕末と名所絵

西洋絵画の遠近法やベロ藍のグラデーションを取り入れるなど、さまざまな文化が伝来しつつあった江戸末期の空気の中から、北斎・広重の作品も作り上げられてきた。その雰囲気は、17世紀のオランダを生きた、フェルメールの作品を思い起こさせる。

生まれ育ったデルフトに住み続けながら、本職の合間に絵筆をとったフェルメールの作品は、庶民を描く素朴なものながら、そこかしこに貿易大国オランダの空気をにじませている。
望まずとも世界に開かれていく時代の賑やかさが、じわりと伝わってくるようでもある。

広重は横浜開港の前の年に62歳で没している。
開港翌年に桜田門外の変が起こり、日本は幕末の動乱期に入っていく。開国か攘夷かで揺れた日本は、ペリー来航から15年後の1867年11月9日、将軍徳川慶喜の申し出た大政奉還と翌日の許可をもって、江戸幕府に終わりを告げる*10
広重が「富士見百図」で長閑な横浜の風景を描いてから10年後のことだった。

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歌川広重『冨士三十六景』武蔵野毛横はま/相模七里が濱

今回の展示の図録はなかったので、別の展示のものを購入。
展示で気に入った「滝見巡礼」「雪月花」(どちらも北斎)が手に入らずで残念。
でも前々から気になっていた「琉球八景」が収められていたので、まあまあ満足です。
帰りしな、電車に揺られながらじっくり読みました。

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参考文献ほか

-
幕末の年表 - Wikipedia

*1:北斎は画号を頻繁に変えたことでも有名。主なものは勝川派の時の「春朗」琳派の時の「宗理」これを弟子に譲ってからは「北斎」「画狂人北斎」最も活躍した時期に「葛飾北斎」「戴斗」、有名な『富嶽三十六景』の時期は「為一」、74歳にして『富嶽百景』を発表するが、七十になるまで書いたものは取るに足らない、七十四にしてようやく掴めてきたといい、「画狂老人」「卍」を名乗った。晩年の肉筆画には「画狂老人卍筆」の画号を見ることができる(かっこいい)

*2:なお、漫画「無限の住人」のキャラクターが北斎の画号より命名されているのは(私の中で)有名なエピソード。北斎画号からキャラクター30人はつくれる。便利。

*3:歌川豊春画「浮画雪見酒宴之図」|たばこと塩の博物館

*4:第8回 ベロ藍を手に入れた北斎:日経ビジネスオンライン

*5:消防防災博物館:見て学ぶ-広重の描く江戸火消の世界-

*6:歌川広重・・・フランス印象派の画家に影響与えたヒロシゲブルー | 日本史や歴史を彩った人々の実像に迫る・・・歴史くらぶ

*7:学習院大学 ウェブライブラリー「小林 忠 浮世絵の構造 風景画の虚と実」

*8:万座毛怪獣キングシーサー熊襲怪獣ラドン蝦夷怪獣バラン、インファント島の怪獣モスラ

*9:浮世絵師歌川列伝「歌川広重伝」

*10:キリンホールディングス_企業情報_キリングループの歴史_ビールとワイン 歴史人物伝_麦酒を愛した近代日本の人々_第3回 マシュー・カルブレース・ペリー