日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

小田野直武と秋田蘭画 @ サントリー美術館

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開催期間もそろそろ終了の近づいたサントリー美術館「小田野直武と秋田蘭画」展へ行ってきました。本当は国立新美術館で開催のDOMANI・明日展と合わせて、と思っていたのですが、この日は国立新美術館がお休みだったりして。DOMANI・明日展いつ行こうかな…。

著名な一点とか有名な絵師ではないし、企画で勝負という内容でもないのですが、とても良かったです。小田野直武の才能と平賀源内の人脈、秋田藩主の佐竹曙山との親交など、その結びつきで歴史の中に「秋田蘭画」というきらめきを残しました。

平賀源内が鉱山の視察に秋田を訪れたことを端緒に、安永2年、小田野直武が25歳のとき、銅山方産物吟味役という肩書で源内のもとに派遣されることになり、これが小田野直武が源内を通して、蘭学者らと出会うきっかけになったといいます。

蘭画以前の作品も展示されていましたが、浮世絵、美人画風で、年齢を考えればなおのこと"上手い"という印象でした。その画才を推されてか、直武は解体新書の挿絵師に抜擢されます。

面白かった点をみっつ記していきますと、まずは「南蘋派」を丁寧に取り上げていた点です。

以前、若中と蕪村展で展示されていたのが珍しくて感激した沈南蘋(沈銓)ですが、今回はその沈南蘋に学んだ絵師たちを展示。とくに松林山人の水墨画が良かった。筆の勢いには桃山時代山水画を思い出しますが、画面を大きく斜め・S字に横切る構図はこの時代の特徴でしょうか。激しさや繊細さも筆一本で表現する巧みさにほれぼれします。

もうひとつは「眼鏡絵」です。江戸時代中期に流行した眼鏡絵は、レンズ越しに風景画を見るもので、レンズの中で奥行きが楽しめるように、遠近法が強調されています。小田野直武のほかに円山応挙の制作した眼鏡絵も展示。当時の絵師たちは、こういった娯楽の絵を通して、いち早く西洋画の遠近法を身につけていったのでしょう。

レンズ越しに局所を拡大するというのが、なんともミクロな楽しみ方で、ミニチュアリズムの美意識を感じました。拡大した時を想定して、人物を細部まで描き込むところは、覗き見趣味の面白さをも思わせます。

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司馬江漢「三囲景」天明3年(1783)神戸市立博物館 / 三囲景 - 司馬江漢 — Google Arts & Culture *public domain.

また、遠近法には強調も見られました。司馬江漢の「三囲景」では大きく湾曲させて、今でいう広角の画面のように仕上げています。あるいは梅の枝を大きく反らせて、弧を描いているもの*1もありました。もしかして広重の梅や松の枝をダイナミックに置く構図などは、眼鏡絵からの影響なのではと思ってしまうほど。日本絵画への影響を思い馳せてしまう眼鏡絵でした。

それにつけても面白かったのは、やはり小田野直武らの秋田蘭画です。眼鏡絵や銅版画など西洋画の影響から、絵画的な視野を拡げていくとき、その視界のひずみが作品に反映されるようで、見ていて本当に面白かった。

たとえば「水仙南天・小禽図」には、仰ぐように見た水仙と、遠くを見渡す目線でとらえた背景、複数の視点が混在しています。伊藤若冲蓮池遊魚図 」や、セザンヌピカソなどの絵画にも複数視点が出てきますが、小田野直武のものは、モチーフを見る角度というより、空間のとらえ方そのもの(被写体深度)に二つの視点があるという感じでしょうか。

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小田野直武「不忍池図」江戸時代 18世紀 秋田県立近代美術館 *public domain.

花かごを中央で切ってしまう「芍薬花籠図 」の大胆なトリミングは、琳派(もしくは浮世絵)的でもあります。「不忍池図」では、このクローズアップと、さらに南蘋派の細密描写を取り入れた前景に対して、背景は銅版画に影響をうけた霞がかる表現となっています。近景と遠景、焦点とボケの対比を相当に意識したのでしょう。そこもまた面白い点でした。

さらに「芍薬花籠図 」の、花かごの背後に引かれた二本の横線を、パネルではモチーフが”三次元空間”にあることを示そうとしているのだと説明されていました。ここにあるのは垂直と水平の均衡感覚*2、つまり人の目線に忠実な空間の意識です。その意識の芽生えが、たった二本の線に集約されていると言えるのではないでしょうか。

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小田野直武「富嶽図」江戸時代 18世紀 秋田県立近代美術館 *public domain.

対象を見ないで描けるほどに写生するという日本の絵画では、ものの命が観念のなかで生き始めるときに、はじめて描かれるものだったのかもしれません。

西洋絵画は対象を見ながら写していくものでした。視点の位置も、ものの比率も自在だった日本の絵画から、科学的な視点と比率に変えていくときの視界と世界観。そこには日本と西洋それぞれの魅力が浮き上がるようで、大変あじわい深い展示でした。

江戸でふれた最新技術をはじめ、西洋の銅版画、南蘋派の絵画などに学んで、独自の画風を築いた小田野直武でしたが、安永8年に秋田藩から突然の謹慎と帰郷を命じられます。同じころ江戸では平賀源内が殺人の罪のため獄死。理由は不明ですが、小田野直武も翌年に死去しています。

同じ歳で交流も深かった佐竹曙山も5年後に亡くなり、秋田蘭画は下火となっていきます。しかし、昭和5年に秋田生まれの日本画家、平福百穂によって「日本洋画曙光」が著され、司馬江漢に先立つ洋風画として秋田蘭画の再評価をした貴重な文献となりました。

中央の歴史や文化は残っていくものですが、地方の歴史・文化は散逸しやすいですね。当地の人が自身のルーツとしての土地にある歴史の深みに気づいて、編纂して、ようやく残るものかもしれません。その思いにふれるようで、静かな感動を覚えた秋田蘭画展でした。

平福百穂「日本洋画曙光」は今でも購入できるみたい。小田野直武が江戸にのぼってから、数え32歳で逝去するまでたったの7年です。この短いきらめきは、平賀源内はじめ当時の自然科学への好奇心や博物学の賑わいをも写し込んだものにちがいありません。この7年の功績を「その輝きは、近代を告げる閃光だった」と記した解説の一文に感服しました。

会期終わり間近で慌てて感想を書きました。展示会のコーナーのひとつに、博物大名ネットワークという相関図が紹介されていて、なかなかのパワーワード秋田藩佐竹曙山はもとより、熊本藩の細川重賢、高松藩の松平頼恭あたりが博物大名の重鎮らしく、細川氏は昆虫好き、松平氏は草好きといった傾向も伺えます。長島藩の増山正賢(雪斎)「虫豸帖」も展示されて、当時の情熱がひしひし伝わってきました。

 

関連URL

内覧会のおりの作品をふんだんに載せてくれるインターネットミュージアムさんの紹介記事。松林山人の水墨画や、若中と蕪村展のときの沈南蘋(沈銓)など、検索してもなかなか出てこないレアな作品が見れてとてもありがたい。図録買えばいいだけなんですが…。

個人ブログは引用に躊躇してしまうのですが、こちらは内容も面白く、情報も豊富だったので。「芍薬花籠図」(花鳥画)にある美人画という背景を汲み、たんに「装飾画」ではなく文学性をおびたものであったことの示唆、それに眼鏡絵のことなども。

展覧会に際しておこなわれたトークイベントの記事。すごく面白かったです。

遠近法を使っていますが、複数の視点が混ざっているため実際にはこのような風景は成立しえないというTV番組での実験も、かつて話題になりました。芍薬を選んだのは、健康への祈りとも、花を女性に見立てたともされます。描かれた目的も諸説あり、秋田・薩摩の両藩間の婚礼調度品を想定していたとの推察などがあります。
サントリー美術館に聞く! 学芸員インタビュー「なぜいま、小田野直武か?」: artscape

いまこれらと対峙することは、私たちがまったく異質な表現と対峙したときにどうリアクションできるか、その判断の一助にもなるかもしれません。より広い視点で見れば、私たちが自らの立脚点を定めるとき、それをどこに置くか──例えば日本か、アジアか、あるいはそのいずれでもないどこかなのか?──
サントリー美術館に聞く! 学芸員インタビュー「なぜいま、小田野直武か?」: artscape

秋田県立近代美術館秋田蘭画」の作品が一部、Wikipedia,で見れます。遠近感のおもしろさでは小田野直武のものが飛び抜けていますが、佐竹曙山のものは琳派的な、機知な趣をかんじさせますね。

*1:小田野直武「梅屋敷図」/歌川広重名所江戸百景 亀戸梅屋敷」は同じ場所を描いたもの。大きく弧を描く枝向こうに花見の客が見える。広重の作品で眼鏡絵の「覗き込む」構図を意識させられるものは、ほかに「上野山内月のまつ」「水道橋駿河台」など

*2:西洋絵画ではカラヴァッジョのとくに晩年のものに強く表れている。