日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime @ 国立新美術館

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今回の東京美術館巡りの旅でいちばん楽しみにしていたのが、国立新美術館のクリスチャン・ボルタンスキー回顧展でした。東京都庭園美術館で開催されたボルタンスキー展では、土地の魂を聴く映像インスタレーションを観て、とても良いなあと思ったものでした。

田舎住まいをしていて物足りないのは、現代アートにふれる機会がないこと。古典的な絵画などはテレビでも取り上げられることもあるのでともかく、価値観をひっくり返されるようなアート作品との出会いが恋しくなったりします。

急きょ夏期休暇をとれることになったので、これを機にと東京まで足をのばすことにしたのですが、どの美術展をみるか悩んだなかで、ボルタンスキー展はぜひ観たいとおもった展示。時間も多めにとって、国立新美術館へ出かけてきました。

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ボルタンスキーが分かりやすい作家ではないことは重々承知のつもりでしたが、それでも、思った以上に難解で困惑してしまう。

まっさきに観客を迎える二本のビデオ作品は、えっこれ最初に見せても大丈夫?という内容のもので、そのうえ小さな部屋で上映されるために客足が止まってしまい、しょっぱなから混雑を引き起こしているのでした。

展示はじめの作品は、その展示会のすべてを象徴するものである可能性を排除できなかったため、人の入れ替えを二回待っての視聴でした。

その映像が、展示会を象徴するものであったかーーそれは人の見方にもよるでしょうが、私の理解では、回顧展であるため、初期の作品を冒頭にもってきたにすぎないという印象でした。

困惑も冷めやらないまま、うす暗がりの部屋に、写真やオブジェ、小さな画面に映し出される複数のビデオなど、謎めいた作品が続きます。

キャプションがまったくないため、鑑賞者はみな、疑念の海に投げだされた遭難者のような顔つきで、手元の作品紹介リストを開いたりするのですが、これがまた新聞紙のように大きく広げなければ読めないうえ、フロア内も薄暗く、明かりをもとめて照明の当たった作品に近寄り、説明文に目を落とすなど、シュールとしかいいようのない光景が広がっているのでした。

ただ、私はこういう状況が好きなところがあるので、変な満足感を得ていました。

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映像インスタレーションを見ているベンチで、隣の人たちのおしゃべりが聞こえてきます。酒が残っていてよく分からないという感想に答えてか、「いや、しらふでも分かんないっす」。
ほうぼうから漂ってくる、高尚なものにふれようと思ってやってきたけど、なんかどうでもよくなっている感じが、とてもよかったです。

とはいえ、分かんなかったと言って帰るのもくやしいので、私も薄明かりの中で作品リストを読んでみました。心なしか、タイの美術作家(映画監督でもある)アピチャッポン・ウィーラセタクンのテーマに似ているような気もしました。

記憶、存在、自我。そこにあると思っているけれど、見ることも、ふれることもできないもの。そいういえば、庭園美術館でのボルタンスキーの展示は「さざめく亡霊たち」、東京都写真美術館でおこなわれたアピチャッポンの展示会も「亡霊たち」でしたね。

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ボルタンスキーの選んだ土地で、風鈴の音色が響くのを聴く「アミニタス」は、その土地にいる霊性のさざめきを聴くような作品です。今回の展示でも、死者たちが踊る影絵のトンネルの向こうから、その鈴の音が聞こえてきて、まるで別世界に誘われるような感覚になります。

気配はあるけど、見えないもの。写真や衣類といった記憶の残骸で浮かび上がる、いまはもう存在しないものたち。海原に呼びかける咆哮も、そのクジラの不在を、大地に横たわる骨が示唆しています。

インスタレーションのほとんどは曖昧でぼんやりして、実存の周縁に眼を凝らすような展示だと感じました。存在とは、魂とは、生きるとは何か。実存を見ようとすると、真っ暗で何も見えない。だから周縁に浮かび上がる稜線から、その姿を想像しようとする。音の向こうにあるもの、死者の写真たちの向こうにあるもの。記憶や思い出の向こうにあるもの。

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彼の作品が描いているものは、本質そのものではなく、本質のまわりにある曖昧な影なのかもしれません。だから彼の作品は、目を凝らすほどつかめなくなってしまう。

本質をとらえるのではなく、目を凝らすのをやめて、遠くから聞こえてくる音、私たちの周りを動き回る影、ささやく声、ふとよぎる遠い日の光、そういうものを体の端っこで感じることが、大切なのかも。

時間がたつにつれて、ひとつふたつと光が消えて行く無数の電球は、私たちの生命に終わりがあることを思い出させます。ゆれる電球の影は、光によって姿を変えてしまう、実存の影のその曖昧さをうかがわせるようです。

死を意識するとき、命の稜線が浮かび上がる。全体に死の影を漂わせるボルタンスキーの作品は、ひるがえって生命のかたちを描こうとする試みなのかも。だからこそ彼の作品は、死を思う(ゆえに生を思う)「メメント・モリ」という言葉で表現されるのかもしれません。

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夜は六本木ビルボードライブへ。→Pia-no-jaC←ピアノジャック)は友人に勧められて聴いたりしてたけど、ライブに行くのは初めて。演奏も素晴らしかったですが、HIROさんとHAYATOさん、ふたりのトークの掛け合いがよかったです。

ゲストで参加されたバイオリン奏者の末延麻裕子さんの音色が、演奏をぐっと華やかなものにしていました。彼女をゲストに迎えて、普段楽譜を見ない2人は、リハーサルのとき困ったという話がおもしろかった。

何よりもつよく感じたのは、2人とも、お互いに惚れ込んでいるから出せる音なんだろうということでした。カホンのリードで始まったように思ったのですが、ライブが進んでいくと、最後はピアノが勢いづいて、演奏はどんどんと音楽の高みへとのぼっていく。

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初めて聴いたときはインストルメンタル演奏に合いの手が入って何ごとかと思いますが、聴いているうちに、グレン・グールドみたいなものかなと受け入れるようになりました。高木正勝さんのライブ演奏にもよく歌声が入ってきますよね。

お互いの掛け合いの微妙なやりとりとか、盛り上がりに向かっていく開放感とか、そのものが超絶なコミュニケーションで、大変盛り上がったライブでした。今度はひとりじゃなく、彼らを教えてくれた友人と行きたいなあと思いました。

塩田千春「命がふるえる」展@森美術館

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雨のなか美術館へ向かうと入場70分待ちで、翌朝に予定を変更した森美術館
開場より少し早めにいくと、すでに列はできていましたが、前日よりはマシかな。30分ほど待って会場にはいると、この時間まだ人影もまばらで、混雑も感じず、各展示ゆっくり堪能できてよかったです。

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東京都写真美術館&国立新美術館「モダン・ウィーン展」

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吉岡徳仁《ガラスの茶室》(国立新美術館 2019年展示)

都内美術館めぐりの旅、西洋美術館モダン・ウーマン展のあとは東京都写真美術館へ。
田舎に移り住んでから写真を撮ることが増えて、「撮ること」に今いちど向き合うつもりで、行きたい美術館リストに入れました。

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モダン・ウーマン―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち @国立西洋美術館

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7月、東京美術館めぐりの旅行。幕開けは西洋美術館のモダンウーマン展から。
朝早めに出て、上野公園のスターバックスで前日見た映画の感想をちょいまとめ。時間があえば足をちょっと伸ばして、上島珈琲店でもよかったんだけど、効率を考えるとここかな。

開場少し前に西洋美術館へ行くと(田舎の人からすると)すでに長い列! 企画展の松方コレクションが人気のようでした。

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母ヤギは子ヤギの夢を見るか

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ふと考えたことがある。子ヤギと離れ離れになったとき、母ヤギは「あの子だいじょうぶかしら」と心配することがあるだろうか。

ヤギは現金な生き物で、目の前にあることによく反応する。おいしい草に惹きつけられても、視線の先を別の餌に向けてあげれば大丈夫、今度はそっちのほうに夢中になる。

哲学的ゾンビという言葉がある。私たちは自分で考え、判断しているような気になっているが、それが本当に自分の判断だったのかは、科学的に証明できない。他者との会話で、私が「そうなんだ、すごいね」と答えたとき、脳からの指令より先に「答える」という行動をおこしている。

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マウンティングするヤギ

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いやよいやよも好きのうち、というと怒られるにちがいない昨今である。しかしヤギの世界でメスヤギはしばしば「いやよいやよ」をしてみせる。

オスがその気をもよおしてマウンティングを試みるとき、メスヤギはその気があってもなくても、さっと逃げる。人の目から見てヤギたちが「いやよいやよも好きのうち」をして見せるのは、あんがい判別がつくもので、そういうときのメスはオスからそう離れず、それどころか誘うそぶりさえみせる。

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ヤギの話:ベティの恋

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子ヤギたちは日に日に大きくなって、牧場の柵をくぐり抜けて外界を楽しむものの、夕方になると戻り方が分からずメーメー鳴く。夜遅く仕事から帰ってきて牧場に近づくと、どこからか飛び出してきて「戻りたいの」と近寄って来たりして、勝手なものである。

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