日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

呪術的ノスタルジー

つらつら書く文章です。

君の名は。を見に行ってすぐ感想を書いたのですが、そのあと映画評論家の町山さんの解説を聞いていたら、あれっ過去作いろいろ思い違いしてるかも…と思って、検証する余裕もないし、ひとまず記事を下書きに戻しました。

そんな折に池袋の新文芸坐新海誠作品の上映があったので、これを機会に足を運んだ次第。「秒速」はだいぶ昔に見たきりで、「雲のむこう、約束の場所」は初めて見ました。

君の名は。」でも印象的に描かれた電車でしたが、「秒速」では、北に向かうほどに寂しくなっていく風景の中を、ごうごううなって鉄の塊が走っていく、田舎の電車の感じがリアル。かと思えば、種子島の風景も、暗くなっていく田舎道とか、これもまた肌感覚がある。

「雲の向こう」も良かった。北海道が国境の向こうにあって、そこに象徴的な白い塔がそびえ立っている。津軽半島の高校生三人は、未知の対象として塔に憧れ、いつか自作の飛行機でたどり着いてみせると夢を抱いている。世界の構造も、廃墟の建物や古びた校舎などの舞台もいい。

自意識が世界と対峙しないセカイ系が云々というのもあるけど、今日書きたいのはそのことじゃなくて、ノスタルジーについて。これね、「秒速」見て切ない気持ちになっても「あ、でもそんな青春なかったわ」と気づくわけですよ。それって別に自分が特殊なんじゃなくて、この作品に描かれる「あの日」は、たぶん存在するようで存在しないんだと思う。

いや、甘酸っぱい青春時代を重ねる人もいるかもしれなけれど、でも「本当にあった青春」よりも、「あってほしかった青春」の方が濃密なんじゃないかな。最近、ちはやふるとかも見て、青春っていいなと思ったけれど、「秒速」や「雲の向こう」にあるノスタルジーの濃さは、なんかもう現実を超えてるのです。

新海監督の作品を見たら、急に岩井俊二監督のふるい作品をたくさん見たくなった。今年の東京国際映画祭で再上映されて、少し話題にもなったLove Letterは、亡くなった恋人へ届くはずもない手紙を出したところ返事が返ってきて、不思議な往復書簡がはじまる、というストーリー。

失ったものの周縁をそっとなぞるようで、これも切ない物語。「打ち上げ花火」とか「四月物語」もある種のノスタルジーなんだけど、喪失を描いてるという点では「Love Letter」が抜きん出てるし、今でもたまに思い出して、よかったなあと思う作品です。

あと「あの花の名前を僕たちはまだ知らない」にも、強いノスタルジーがあると思う。「あの日のぼくら」を描いているのだけど、かつての日々だけでなく、幽霊となってあらわれる芽衣子の存在が、物語に落ちる大きな「喪失」の影となっているのです。

じつは新海監督の作品や世間の反応を見ているうちに、新海誠作品って村上春樹に似ている気がする、と思ったのです。ずっと言わなかったけど、思い切って書いたのは、Wikipediaで「村上春樹に強い影響を受けていると公言している」というのを読んだからです。

自分の身近なことと世界の終末が直結する「セカイ系」の起源が村上春樹にある、と東浩紀さんが言っていたのですが、村上春樹作品のいくつかは確かにそうで、個人的な事柄、もっといえば自意識が、セカイ(実際の世界ではなく表象としてのセカイ)に反映するというのは、まさに両者共通するわけです。

それだけではなく、村上作品につねにあるのは、何かしらの「喪失感」です。平凡な日常を生きているだけなのに、ある日突然、大切なものを失ってしまう。それが何かすらも時にははっきりせず、しかし理不尽に奪われた「何か」は、人生を決定的に変えてしまう。

「秒速」や「雲の向こう」にあるのも、ただ「過ぎ去ったきらめき」だけではなく、人生にぽっかり空いた理由の分からない喪失です。「喪失」に対する強い感性が、新海監督じしんにもあるのではないかと思います。

セカイ系文学としての「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」、失われた女性を探し続ける(彼女を失うことは日常との均衡を失うことでもある)「ねじまき鳥クロニクル」。

映画見たあと感想かくつもりはなかったけど、家帰ってからも「One more time,One more chance」がぐるぐるしているので、ああこれは辛い。なんでこんなにつらいんだと思っていて、そうかあれはただのノスタルジーではなかった、われわれに取り憑いたシミュラークルな郷愁、つまり呪術的ノスタルジーなのだ、と思い立ったことから、今この文章を書いています。

僕の気持ち

僕の気持ち

おまけ。「秒速」見てて思い出した曲。イントロが似てる。卒業式の曲なんだよね。

夢見る頃は過ぎても

夢見る頃は過ぎても

これは完全に似たような題名のドラマと同じテーマを歌ってるような気がする。「青いきらめき」にぐらりとさせられる、大人になっていく自分と遠ざかってゆく日々。秋から冬の空気感で歌っていて、たまに無性に聴きたくなる曲。