日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

鈴木其一 江戸琳派の旗手 @ サントリー美術館

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やっと! サントリー美術館の鈴木其一展にいってきました。
行こう行こうと思いながら、いつの間にか会期も終了まぢか。おりしも六本木アートナイトの最終日にかかって、少々混雑気味でしたが、たっぷりの展示数で堪能しました。

琳派の集大成のような、はたまたカウンターポジションにいるような、曖昧なイメージに見ていた鈴木其一でした。しかしその画業を丁寧に追っていくことで、やまと絵の流れに近代的な美意識をとりいれ、新しい時代へとつないだ重要な絵師であることに気づかされます。

江戸琳派創始者酒井抱一に弟子入りしたのが18歳のとき。その4年後、酒井家家臣で兄弟子の鈴木蠣潭の急死を受けて、酒井家の婿養子となります。抱一の一番弟子*1として腕を見込まれた其一でしたが、師の逝去ののち工房・雨華庵を継いだのは、抱一の養子、酒井鶯蒲でした*2

と、書くと物語性を汲みすぎかもしれませんが、このあと作風ががらっと変わるのは、どこか師の影を振り払おうとするようにも見えたのでした。というのも其一の作品は、抱一に似た風雅な作風と、尾形光琳に似た強い装飾性のものと、はっきり二つに分かれるように感じるからです。

どんな心境が師と異なる作風へ向かわせたのか、どうやっても想像にしかなりませんが、二つの作風を切り替えたのは彼の器用さではなく、人生における変節によるものであったのかもしれないということは、ちょっとした発見でした。

このころ描かれた「夏秋渓流図屛風」は、明らかに尾形光琳の「紅白梅図屏風」を意識したもの。画面中央の奥から流れ込んでくる「紅白梅図屏風」と構図は少し異なり、画面両端から中央へと怒涛の流れがくだってきます。

屏風の屈折は木々に応答して遠近感をつくり、向こうの世界から、私たちの足元に水流の迫ってくる感覚は、「紅白梅図屏風」に負けず劣らずのもの。鮮烈な色彩や執拗な苔の表現には、いつもの冷静な筆とはちがって、こころ乱れる激しさを感じてしまうのでした。

とはいえ、やはり器用な面もあったのかな。人物を描いた作品もありましたが、どれも上手い。谷文晁の弟子である松本交山と交流があったようで、彼の琳派風の工芸品などとてもよかった。流派外の絵師との交流も続けながら、琳派にとどまらず作風を広げていくところには、其一という人、自分の技術を冷めた目で見ている絵師だったのではないか、と思いました。

「達磨図凧」は、凧に禅僧・達磨の絵を描いたもの。達磨さんの顔は西洋風の陰影をまぜた画風ですが、朱色の衣は、太い筆をさっと走らせた簡潔な線で描かれています。技術へのあくなき探究心を抱えつつも、技巧に溺れることのない其一の冷静さが垣間見えるようです。

落款を「噲々其一」から「菁々其一」へと変えた円熟期。この頃の作品に風韻漂わせる草花図があり、抱一の作風に回帰する時期があったと説明がされていました。一度は離れた師の作風に、自然と歩み寄る。その心につい思いを向けてしまいます。

そこから先に展示されるひときわ大きな作品が、鮮やかな青の印象的な「朝顔図屏風」。ここは思わず足を止めて見入ってしまう。金地にまばゆいほどの青と緑、その大きな画面を下からの照明が浮かびあげて、艶かしく輝かせる。絵とは体験なのだなあとしみじみ思わされます。

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鈴木其一「朝顔図屏風」(左隻) メトロポリタン美術館 所蔵

朝顔はこの時代に園芸で流行したのだそうで、蕾から咲きかけの花びら、大きく花開いたものまで、表情もさまざまに描くのは、当時の博物学の影響もあるのだといいます。そう言われてみると、図様的な花から離れて、少し写生の表現に近いでしょうか。

尾形光琳の「燕子花図屏風」からの展開であることは確かでしょうが、伊勢物語の場面をもとにした光琳の屏風絵と異なって、古典文学の文脈は消え去り、視覚的な美が根源となっています。図様から博物学的な視点、そうして普遍の美へ。近代への過渡期にあって、まさに鈴木其一は時代の旗手であったのでした。

前に見た貝や果物を描いた其一の作品に、オランダ絵画のヴァニタス(命の儚さ)主題の静物画を思わせるものがありましたが、今回は輪廻を描く虫草図があったり、さらに描表装の作品は、絵画の世界をメタ的にとらえるあたり、シュールレアリスム的じゃない? と思って、ひとり楽しくなったりしました。

とくに良いのは、其一と息子の守一ともに描いている「業平東下り図」。絵は冬の富士をのぞむものですが、枠は秋の紅葉で彩られています。紗をかけた背景に見えるのは春の桜。横展開に四季が彩る作品は珍しくありませんが、この一枚では四季を奥行きに重ねているのです。

感傷のない其一の作品ははじめ理解しにくく、機知的な魅力に気づいたころに風流な作品も描くのを知って、その器用さに驚いたものでしたが、多面的に見えても人となりは一本筋が通っている。知れば知るほど興味が深まる鈴木其一展でした。

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六本木アートナイトは金曜の夜にふらっと見たくらいで、堪能したとは言えないけれど、サントリー美術館をたずねた日は、ミッドタウンの芝生の公園のカーテンのインスタレーションものにちょっと触れ合ってきました。なんでも脳波でカーテンが開閉する仕組みらしく。

カーテンを引っ張ったり走ったりしないでねと注意書きがありましたが、子どもたちは大はしゃぎで駆け回っています。気まぐれに開いたり閉じたりするカーテンが、追いかけっこを楽しくさせているようでした。ループする邂逅と離別の演出。

ちょっとした工夫があるだけで、子どもはあきもせずに遊ぶものなんだなあと思いながら、ずいぶん長らく眺めてました。

江戸の名工・原羊遊斎に師事する蒔絵師の理野は、師風と自身の理想との間で苦悩する抱一門下の画家・鈴木其一に惹かれ始める。日陰の恋にたゆたいながら、異色の女流は独自の表現を求めて自らの生をも染めてゆく。

なんと・・・気になるじゃないですか。
 

関連URL

Google Cultural Institute、鈴木其一のページ。展示にも出てた風神雷神図。師たちと異なり、金地ではなく絹地に描いた。華やかさは息をひそめますが、水を含んだ筆であらわされる雲の表現が他の絵師に抜きん出た風神雷神図です。

http://www.metmuseum.org/art/collection/search/48982

メトロポリタン美術館の鈴木其一「朝顔図」のページ。他にも作品があるけど、抱一よりの雅趣あふれる作品が目立つ感じ。今回出展もぽつぽつ見られたファインバーグ・コレクションのものは、思えば真逆の、機知的な作品が多いかもしれない、と思いました。

「夏秋渓流図屛風」根津美術館のもの。屏風絵はそろいで見たほうがいいなあとしみじみ思うので、参考まで。

展示作品の写真や動画がふんだんなインターネット・ミュージアムさんのレビュー記事。

酒井鶯蒲(さかい ほう)についてはWikipediaが詳しいくらいで情報は少ないですが、作品などはこちらのサイトで紹介されています。

*1:其一が絵を描き、抱一が書を書いた作品も数点、「文政三年諸家寄合描図」は抱一の還暦のお祝いに、谷文晁・渡辺崋山らも筆をふるった豪華な寄せ書きですが、ここでも抱一と其一は近くに書いており、弟子の中でも右腕ほどの地位であったのでは、という説明がありました。

*2:天一流と逸刀流みたいですよね。舶来の武器を使ったことで免許皆伝の候補から外された天津三郎は「私はあの時あなたを救おうとしたのだ、師よあなたはそれをーー」…って、実際の其一は一回り年下の鶯蒲や、その跡継ぎとなった鶯一を支えたりしていたようですが。日曜美術館では、独り立ちした其一にあったのは開放感であるようにお話されているようでした。いずれにせよ、この時期が作風が変わるきっかけであったのかなと思います。