前に行ったときには閉館一時間前だったりして、再訪を希望していたルーヴルNo.9 展ですが、ひょんなことから展示会の招待券をいただいたので、これ幸いと行ってきました。
一度は見ているので、まあさらりと見れればいいかな、と思ったけれど、やっぱりちゃんと見ると見えるものがちがってきますね。
展示品は漫画の原画などなので、大勢の展示には不向きな感じは否めなかったのですが、そこは前回で割り切っているので、今回はガイド機を借りて、作品というよりコンセプトを楽しむ感じで見てきました。
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ルーブル美術館がフランス語圏の漫画家を中心に、ルーヴル美術館を主題においた作品を依頼するプロジェクトの展示会です。あらためて見てみると、バンド・デシネの漫画家たちがアートよりな表現なのに比べて、日本の漫画家にあるのはエンタメ性であることが分かります。
荒木飛呂彦さんも同じことをおっしゃっていて、そこを踏まえてあえてエンターテイメントであることを軸に作品を描いたのだそう。言ってみれば、日本の漫画に慣れている私たちには、バンド・デシネの漫画は少々とっつきにくいかも。
それでも面白かったのは、ルーブル美術館という対象からそれぞれにどういう物語をつむいでいく腕比べになっているところ。夜になると別の顔を見せる美術館や*1、悠久の時間の果てから見る美術館を空想するもの*2、美術館の地下の秘密*3などなど、共通する物語も多かったかな。
美術館の品々にやどる幽霊を描くことで、美術品の裏側にある、陽に当たることのない人々の生き様を浮かび上がらせるエンキ・ビラルの作品は、なかなか進まない列に並んで辛抱強く鑑賞。
美術館の絵画や彫刻を象徴的に描く作品は、とくに印象に残りました。たとえば坂本眞一さんの作品。18世紀には王妃アントワネットのすまうヴェルサイユ宮殿に所蔵され、フランス革命後にはナポレオンが寝室に飾ったという「モナ・リザ」の数奇な運命に着目しています。
原画はなかったけれど、ベルナール・イスレールの作品もひかれました。フランス革命で誕生したルーブル美術館、キリストに代わる信仰対象として「最高存在」の絵画を依頼される画家は、戸惑いながらも、革命で殉死した少年と、両性具有の若者をモデルに制作に没頭していく。
こういう物語はいいですね。時代の熱は一人の画家の運命を狂わせてゆく。しかし革命の季節は無情にも過ぎ去っていき、あとに残るのは崇高なる芸術か、時代に忘れ去られた革命の残骸か。
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荒木飛呂彦さんはキャラクターのポーズに美術館の品々を取り入れていますが、作品の代表カットの岸辺露伴のポーズはミケランジェロ「瀕死の奴隷」のもの。ローマ教皇ユリウス2世の墓廟のためにつくられたこの彫刻は、肉体という束縛からの解放を描いているのだといいます。*4
怠惰や欲望という肉体の奴隷であった魂が、死によって天上へ飛翔する。こうした考え方は、ミケランジェロが傾倒していた新プラトン主義のものなのだそうです。魂と肉体の関係性や、肉体が持つ原罪といった情動の奥にある観念を、象徴するような彫像です。
ミケランジェロのピエタ(サン・ピエトロ大聖堂ほか)も、作品が象徴そのものになっている凄みがありますが、ルーヴル美術館のモナ・リザやサモトラケのニケにも、作品そのものが「謎」や「欠落の美」など、ある種のシンボルとなっている面があるように思います。
こういうことを、もっとちゃんと知りたいなと思ったのですが、そういう書籍あるかな。
音楽を担当している米津玄師さんについて、どうせなら絵も置いてほしかったと前に書いたのですが、絵おいてありましたね。すばらし。
ニコラ・ド・クレシーの漫画があったら買ってしまうかも・・・と思ってたら売れ切れでした。お目当てのマグカップと、前回も来たのにポストカードまで買って、ホクホクでした。
そうそう、音声ガイド機は声優の神谷浩史さんで、好きな作家のくだりは熱く語るという演出もあって楽しく聞けたのですが、先日、神谷さんのイベントのために上京した友人が、帰る当日の別件がなくなって、時間があるなあどうしようと言っていたのに、すっかりこの展示会を教えそびれたのを思い出して、罪悪感抱きながら帰ってきました。