日々帳

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[感想]メトロポリタン美術館展 大地、海、空—4000年の美への旅 | 東京都美術館

自然への眼差し アール・ヌーヴォージャポニスム

自然にまつわる芸術家たちの視線をもとに構成された今回のメトロポリタン美術館展。
とくに面白かったのは、19世紀末にヨーロッパでたち現れるアール・ヌーヴォーの作品だった。

アール・ヌーヴォー期を担う人々の作品を間近で見たのは今回がはじめてで、いちばんの収穫だったとおもう。
そこには印象派と同じ流れを感じる。それは、オリエンタリズム、もっと限定して言えば、日本的なものからの影響、ということだ。

主観ながらジャポニスムは、ヨーロッパ世界から遠く離れた東の国への偏見を含んだ羨望というニュアンスの言葉としてイメージすることが多かったのだが、むしろこの時期の日本の芸術から影響を受けた芸術家たちは、たとえば現代の私たち以上に、日本のもつ文化の洗練された特異性に気づき、その根底に流れるものを汲み取ろうとしていたように思える。

かれらが日本の美術工芸品に感じていたものは、自然というモチーフ、非対称性、平面的な構図、そしてその鮮やかな色彩などである。
日本的なものは、西洋絵画にとって、よりデザイン的であったのだろうと思う。

デザインとは何かというと、その言葉が使われる文脈によって答えも違ってくる。
ここで私が西洋絵画に対してよりデザイン的であったと考えることは、日本の芸術品が意図にあわせて記号的、象徴的に作品を構成したということだ。

たとえば、写実を原則とすると、目の前の対象そのものを忠実に再現することが良しとされるだろう。
しかし多くの場合そうはならない。対象に込めた、賛美や時に批判といったメッセージの表現のために、構成や明暗が調整される。
現実に則した表現を脱ぎ去り、ある面を省き、ある面を誇張する。さらに遠近と陰影を捨て、時に構図も色彩も、目に映るものとは異なるものへと単純化される。
構図はより意図を伝えるために機能的となり、感性はその象徴の中で濃密化していく。

完全な写実も、完全な記号ももはや芸術ではないだろう。
その写実と記号の間にあるのが芸術であるというふうに考えることができるのではないかと思う。

絵画が写実性の意義を問われたとき、答える術をなくしていく時代性のなかで、日本的な芸術品に宿る象徴性は、かれら西洋絵画において、新たな展開を予期させるものであったのだ。

ルイス・コンフォート・ティファニーのガラス工芸品は、自然をモチーフとし、花や草木のもつ優美な曲線をそのまま残した造りとなっている。
また、エーミール・ガレの「セリ科植物の飾り棚」は、植物のフォルムを大胆に取り入れながら、非対称性にこだわり、まさしくアール・ヌーヴォーらしい作品といえる。
ぼんやり眺めれば気がつかないほど、その非対称性は全体をもって統一感を備え、彼が余白という美をその中に意識したであろうことを感じさせる。
植物の伸びやかな曲線が棚全体を包むように飾り、棚の扉には蝶の絵が描かれている。やはりここでも自然の持つシルエットの美しさがテーマとなっている。

ガレの作品の隣には、アメリ印象派の画家チャイルド・ハッサムの「桜の木」。
対照的な構図であるはずの正面から捉えた桜の木は、強い風にあおられて柔らかな枝をしならせ、非対称となっている。
移ろう時の一瞬の光をとどめようとする作品。抑えた彩度とやさしい配色。静けさの中に枝と花びらのあらぶる影が残る。その前にたつと、春の風が吹き起こる、その一瞬に立ち会っているような気にさせられる。

メトロポリタン美術館展は、作品の種類も絵画に限らず、点数も多いので、それぞれの視点で愉しめる展示会だと思う。
もともとゴッホの糸杉に惹かれて行ったのだけど、アール・ヌーヴォーの作品との出会いがすばらしかった。

ひとつ思うのは、あと十年、ゴッホが生きていたら、これらの作品に出会えていただろうか、ということだ。
ティファニーの「ハイビスカスとオウムの窓」の前で私が感じたものを、彼ならもっと強い衝撃とともに受け止めたのではないだろうか。
教会のステンドグラスのような色彩を描きたい、と語ったことのあるゴッホは、その神秘的な配色に関心を持っていたように思う。
そして、自然の持つ美しさと象徴性を題材にしたティファニーの作品に宿る構図の新しさに、彼なら気づいただろう。
自然への賛美は、宗教的な謙虚さに近しいように思う。そして非対称性や中心をずらした構図は、これまでの古典的な美からの解放であり、彼が浮世絵の模写以降に試みようとした、表現の新しい展開であった。

ゴッホを知るうちに、彼に与えられた狂人こその画力という評価に気づくようになったのだけれど、果たしてそれだけだろうかと思う。
美のあり方が変わる時代に生きながら、常に新しいものを取り入れようとした彼の模索があった。そしてその根底には、宗教への厳かな想いを深めながらも、人ひとりが素朴に生きる美しさへの眼差しがあった。
それらはまさしく彼の死後に花開いて行く表現の潮流のひとつであったように思う。
やはり、あと十数年生きてほしかったなと、繰り返しながら思った。