先日、新国立美術館のチューリヒ美術館展に出かけたら、オルセー美術館展もやってたので両方とも見てきた。
オルセー美術館展は、バルビゾン派など印象派の前夜の時代から始まって、ラトゥール、マネなど印象派には加わらなかった同世代の画家なども展示する。いっぽうチューリヒ美術館展は印象派のその先、キュビズムや抽象主義、シュルレアリスムあたりまでの作品を展示。
見るならオルセー美術館展>チューリヒ美術館展という流れがよかったかなあと思った。
いつものように、メモがてら。
チューリヒ美術館展
モネ 時間を写実する
クロード・モネ 《睡蓮の池、夕暮れ》1916年
そういえばこんな横長の絵画ってヨーロッパにあまりないんじゃないかなとふと思った。
でもこの二枚の絵画を左右に並べて、より広い空間を描く描き方には、親しみがある。そうそう、日本の屏風絵に似ている。
睡蓮のいくつかの特徴はすでに浮世絵からの影響を指摘されている。くわえてここで屏風絵の右隻左隻のワイドな画面、移ろいゆく時間の意識などを考えてみる。
低い障子の窓から庭の池を眺めるような、時間と空間の再現。
横長の睡蓮の絵は、20世紀初頭に西洋で描かれた屏風絵なのだと想像すると、新鮮な思いがする。
ホドラー パラレリズムと身体の記号化
ホドラーは反復を繰り返すことで全体に一定のパターンを与える”パラレリズム”を絵画にとりいれた。
彼の作品は一種奇妙なんだけど、癖になる。
反復によって対象は記号化され、作品にリズムを生む。
フェルディナント・ホドラー 《ケ・デュ・モンブランから見たサレーヴ山》1914/15年
見ていて「群鶴図屏風」が思い浮かんだ。「群鶴図」は江戸時代、さまざまな絵師によって度々描かれていて、とくに鈴木其一の作品は、単純化された鶴を同じポーズに並べることで、強い反復性をつくりあげている。
ホドラーの作品は人間の身体そのものを記号化する。身体を反復させることで太古に立ち返らせ、あるいは無機質化して、自我を消失させる。それなのに実際には身体の生々しさが際立つような、奇妙な味わいがある。
ナビ派 色彩の解放と装飾性
ナビ派の画家たちはゴーギャンの象徴主義に強い影響を受けている。その特徴はふたつあると思う。ひとつは色彩、もうひとつは装飾性。
ゴーギャンの言った「赤みがかっているところには一番美しい赤を、青みがかっているところには一番美しい青をおきなさい」という言葉は、絵画から色彩を自由にした。
さらにゴーギャンはモチーフを単純に描き、画面にリズム感を与えた。
西洋絵画の歴史においてナビ派の重要さは、絵画のその後の発展につながっていく色彩と装飾性、そのふたつの大きな特徴を内包していることにあるように思う。
フェリックス・ヴァロットン 《日没、ヴィレルヴィル》1917年
ピカソ 空間を再構成する
ピカソの絵を見るとき、彼の絵を自分が本当に理解できているかどうか疑わしいと、いつも思う。
ピカソの裸婦画に官能的って説明書きがされてても、それ本当?と思ってしまう。
でも、それなりに感じるものがあって楽しい。
子供でも描けそうな静物画は、あるべき絵画のルールを無視している。
光の当たる方向は一定でなければいけないとか、遠近感だとか。
ピカソは実はデッサンの腕は早熟で、奔放な構図は、既成概念を取り崩す行為だったんだという。
パブロ・ピカソ 《ギター、グラス、果物鉢》1924年 | いろんな方向から光が当たっている。
絵の中の世界では画家自身が創造主になる。
イメージの世界で美しい裸婦を描くのも、神々しい聖人を描くのも、画家の自由ではあるけれど、ピカソは空間構成すら自分の手の中に落とし込んだ。
クレー 古代の絵画と寓話性
この頃になると絵画から写実性はほとんどなくなり、幾何学を組み立てる抽象絵画の時代になる。
クレーの作品はいっけん合理的なデザインの領域にいるように見えるが、主題を洞窟絵や象徴文字などの古代芸術や児童絵などに求めるなど、作品に独自のテーマ性を潜ませた。古代壁画や文字などに、限りなく純粋な寓意性を求めているように思う。
パウル・クレー 《深淵の道化師》1927年
展示はこのあと、カンディンスキーやイッテン、モンドリアンなどの抽象絵画へとうつる。
じつはこの辺りが見たくて展示会に行ったのだけど、ここらあたりは点数も少なく駈け足気味だったのが残念。逆にシュルレアリスムの展示室は点数もわりとあって楽しめた。
印象派のその後に、絵画は現実を離れ、どんどん理論的になっていった。
同時に心の奥深くを表現しようとする内面性も強まっていく。
最後の展示室はジャコメッティの彫刻。
魂そのものを表現するような作品は、一種の到達地点にいるように思う。
アルベルト・ジャコメッティ 《広場を横切る男》1949年
個人的には、ココシュカ、シャガールの作品がとてもよかった。
理論武装しないでも味わえる感じ。
ココシュカの遠近感や光と影の混ざり具合はとても不安定で、その繊細さが伝わってくる。
シャガールは強い感受性をもとに色彩と寓意がちらばっている。
オスカー・ココシュカ 《モンタナの風景》1947年
オルセー美術館展
チューリヒで力尽きてしまったのでざっくり。
マネの「笛をふく少年」をメインビジュアルにもってきているように、マネに始まりマネで終わる今回の展示。その他にもミレー「晩鐘」など、教科書級の作品が続く。
カイユボットやマネといった印象派を支えた画家の作品や、印象派の画家たちがアトリエに集った作品などの展示もあって、さすがはオルセー美術館展。印象派づくし。
フレデリック・バジール 《バジールのアトリエ、ラ・コンダミンヌ通り》1870年
マネの「草上の昼食」に触発されて描いたモネの同名の作品は、家賃が払えず一度は売ってしまった絵をふたたび取り返したため、損傷があり一部分断せざるをえなくなったのだとか。
また、マネがアスパラガスの束を描いた作品をある美術史家に800フランで売ったところ、1000フランが支払われてきたので、「先日お送りしたアスパラガスの束から一本抜け落ちていました」と手紙をそえて、新たな絵を送ったのだそう。
ユーモラス、というか偏屈! モネもマネも経済的に苦労しながら創作活動を続けていたんだなあ。
と、そんな画家たちのエピソードも垣間みれる展示会でした。
思わず足を止めたのが、ラトゥール作「テーブルの片隅」。
この作品は当時の気鋭の作家たちの肖像だけど、画面左にヴェルレーヌとランボーを描いたことで、時代を描いた貴重な一枚となったのだとか。
アンリ・ファンタン=ラトゥール 《テーブルの片隅》1872年
そういえば、TX「美の巨人たち」ラトゥールの回で、こんな言葉を見つけた。
新しい芸術を求めるあまり、反逆の画家といわれたマネ。毒舌家のドガ。いつも人を笑わせていたルノアール。モネは、ひとり離れて議論を聞き、セザンヌは意見が合わなければすぐ席を立ったといいます。最年長のピサロは、芸術の話より、政治談議が好きでした。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/061007/
今は巨匠と呼ばれるひとたちが、アトリエに集まってわいわいやっていたとか、不思議な感じがする。
雑感
最近どこかで読んだもので、日本が西洋絵画に与えた影響をことさら取り立てるのはどうかと思う、中国だってアフリカだって与えているでしょう、というような意見があって、ああ、この人が私の文章を読んだらいったいどう思うんだろうと考えたりした。
思うに、浮世絵や屏風絵などの日本の美術は、西洋絵画を既成の表現から解き放つきっかけになった。装飾性とリズム感、風景をトリミングしたような構図、ひとつの作品に異なる季節や場所を組み合わせるなど、そこには時間と空間の自在な姿があった。また、奥行きのない平面性や、陰影のない配色、はっきりした輪郭線は、これまで西洋絵画の常識とまったく相反する表現方法だった。
19世紀のヨーロッパ社会で既成のものを覆したい気運とあいまって、浮世絵や屏風絵の特徴は、伝統的絵画からの解放の手段として受け入れられたのではないか。
多くの画家は、単に手段としてそれを取り入れただけかもしれない。それが手段にすぎないにせよ、日本の美術は、西洋美術の伝統性を解体させる役目を担ったのだと思う。
いっぽう作品のテーマを自己のもっと深く、原始的なところに求めようとするときに、オセアニア・アフリカの美術はそのインスピレーションの源となってきた。
早くは制作環境をタヒチに移したゴーギャンがそうであったし、クレーもチュニジアを旅したことが彼の画家人生を大きく変えることとなった。ジャコメッティの作品も、オセアニア・アフリカ美術に強く影響を受けている。
西洋美術がその他の文化とどうのように出会い、受容してきたか、それらはどのような変化をもたらせたのか。それらに優劣はないが、等しいわけでもない。日本の美術がいわば解体の手引きとなり、オセアニア・アフリカ美術との邂逅が何を描くかを発見させた、とも大げさには考えられるかもしれない。
とはいえ確かに印象派の絵画展に比べれば、抽象絵画あたりは展示会の機会が少ない。
その点で今回のチューリヒ美術館展は、印象派に始まり、抽象絵画、シュルレアリスムと変容していく絵画の道筋を辿ることができて面白かった。