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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

若冲と蕪村 江戸時代の画家たち @ 岡田美術館

art

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岡田美術館は2013年に開館したばかりで、風神・雷神図が迎えるエントランスが琳派にうんと強い美術館風をふかせていますが、そうかと思って入ってみると、中国・朝鮮の陶磁器から、安土桃山、江戸、明治以降の日本の美術、はたまた春画のコーナーももうけるなど、土台のしっかりした一方攻めるところは攻めるという、すごい美術館です。

そんな岡田美術館の館長をつとめるのは、「奇想の系譜」の著書で知られた辻惟雄若冲と蕪村を見に行ったつもりが、長沢芦雪曾我蕭白もたっぷり見れる贅沢なラインナップでした。

なにも琳派だけ特化してるわけではない岡田美術館ですが、行けば何かしら見れるのも特徴で、今回も尾形光琳の「菊図屏風」や「雪松群禽図屏風」、尾形乾山の「色絵竜田川文透彫反鉢」、酒井抱一の季節者の掛け軸など展示されて、そのそれとなく感いいのかと思ったりしました。

若冲と蕪村 江戸時代の画家たち

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《孔雀鳳凰図》伊藤若冲

2016年秋の展示は、生誕300年ということで、同じ時期に京都で活躍した伊藤若冲与謝蕪村のふたりを取り上げています。館内展示の順序は前後しますが、4階の企画展「若冲と蕪村」の感想を、なるべくさっくりと。

今年は上野での若冲展があったり、同様の企画は去年サントリー美術館でも開催されており、若冲はしばらくいいんじゃないかと思いたくもなりますが、広くて静かで照明もほのかな空間で、緻密な筆の作品に向き合うのは、なかなか得難い満足がありました。

日本陶磁器のひらけたフロアで先んじて展示されていた「孔雀鳳凰図」は、若冲40歳のころの作品。絵師の40歳は若い気がするのですが、しかしこの境地。この年、若冲家督を譲って隠居しています。寝ても覚めても絵が描ける、という喜びが漲っていたのかもしれません。

これだけ緻密に描く絵師の、筆をおくタイミングとはどのようなものなのでしょう。若冲の線の一本一本が緊張感に満ちていますが、かといって見疲れることはありません。立身出世をかけるのとは違う、好きで描き続けた奔放さが、どこかあるのかもしれないと思いました。

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《梅花小禽図》《花卉雄鶏図》伊藤若冲

若冲は見たままを描くのではなく、見ずに再現できるほど観察して描く人だったそうで、写生派の人だったかというと少し違うようです。しかし、与謝蕪村と比べると、やはり写生の側にいたのかもしれません。展示はこのあと円山応挙はじめ、写生を重視した絵師の作品が続きます。

それというのも、その先にある与謝蕪村への伏線のように思われます。俳人として知られる与謝蕪村文人画の大成者でもあり、その作品も情趣あふれるものが多い。写生をもとに描くより、俳諧の感性を描き込んだ風でもあります。いわば、おのれの実感をもとにしているのです。

そう言ってみれば、"私の見えたように描く"という描き方は、フランスの印象派にも似ているでしょうか。ただ印象派のばあい、西洋画の経緯上、写実性がベースになっていて、そこから主観の見え方へと転じていく。あくまで写実からの崩れであるように思います。

与謝蕪村のころには、円山応挙によって写生派がおこってきたというところ。写実という土台があるわけではないですので、「実感」は視覚に依ってはいない。では何かというと、空間というところに描き手の「実感」が委ねられているのではないかと思うのです。

山へと分け入っていく空間の深み。はるか向こうに見える峰の青い影や、すぐそばの水音。水気をふくんだ空気の質感とか。文人画のエリアでは、与謝蕪村のほかに池大雅、青木木米の作品も展示。とくに青木木米の菊と蘭を描いたもの、緻密な山水図などとても良かったです。

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《桃林結義図》《溪屋訪友図》伊藤若冲

文人画はもう少し見たかったのですが、展示はこのあたりで締めくくりに向かって、長沢芦雪、そして曾我蕭白の展示へと移ります。

これまで曾我蕭白の作品は、何かの企画のときにぽつんとひとつ出ているのを見る程度で、これが曾我蕭白かあ、くらいの感想しか持っていなかったのですが、こう色々な筆の表情をみっちり見て、さて蕭白の絵の前に立ってみると、かなり異彩を放っていることに気付かされます。

とくに円山応挙などの薄味の線からすると、蕭白の線はうねりもあれば尖りもある。若冲に似ているけれど、引き算も知っている若冲に比べると、もっと執拗なものがある。蕭白とは、これほど異質だったかと驚きました。

中国や朝鮮の絵画からも学んだという蕭白若冲も朝鮮の絵画を手本にしていたと見られ、若冲「葡萄図」*1のもとになったとされる李氏朝鮮正祖の葡萄図も、本展の常設展で展示されていました。それとない伏線に、このとき改めて気付かされるのでした。

と、この辺で閉館の案内が流れてきたので、図録だ、図録を買うぞ。と思ったのですが、図録は若冲と蕪村中心で、青木木米も曾我蕭白も入っておらず、残念でした。若冲の筆づかいや絹地の質感が分かるほどの印刷はすごかったです。

この他、中国・韓国と、日本の陶磁器の展示もあり堪能したのですが、感想を書いたところ長くなってしまったので、投稿を分けることにしました。また後日にでも追加します。たぶん。

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この日は一日好きなだけいるつもりでいたのですが、本当に閉館までいてしまったのでした。途中、遠隔で仕事をしたりしたので、ずっと鑑賞三昧だったわけではないのですが。それに、離れのお食事処で休憩したり、庭園をぐるりと歩いたりもしました。

開化亭は庭園に面した日本家屋で、この日は豆アジ天うどんをいただきました。天ぷらサクサクで、うどんにのっけるのサクサクのはかなさを味わうためなのかしら。などと思いながら、アジ天まっさきに平らげる。つゆは薄味で、その分ネギの香りが爽やか。美味しかったです。

午後遅くからはカフェになって、コーヒーなどいただける。本当はコーヒーと甘いものでゆっくりしたかったのだけど、ちょっと時間不足だったのです。

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何度か足を運んでいる岡田美術館ですが、庭園に入るのはじつは初めてでした。そうとはいっても小さな庭園だろうと思って、お散歩がてら少しだけ寄り道。すると行く手が「庭園」と「渓流」に分かれている。渓流…?

カフェから庭園の池にそそぐ滝があるのは見ていましたが、たしかに滝があるのだから、さかのぼれば源流があるのでしょう。それじゃあ渓流のほうに行ってみようかな。と、道はだんだん山の方へ、あやうい石段になってゆく……渓流を完全に甘く見ていました。

ひんやりした山道を登っていくと、その先に小さな橋があり、川の流れを眺めることができます。夕方でひとけもなく、これはナイス撮影タイミング。安定した足場にカメラをおいて、30秒ほどの露光で数枚とりました。

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美術品から庭園までとくと楽しめる岡田美術館でした。ただ、足湯に寄る時間は結局とれなかった。うーん、まあ"今度"という課題がのこるっていうのは、ある意味良いことです。

そういえば、喜多川歌麿「深川の雪」のパネルがエントランスでお出迎えした岡田美術館でしたが、この「深川の雪」は2017年1月からコネチカット州ハートフォードワーズワース美術館に貸出されるそうです。ついで同年4月からはワシントンのフリーア美術館での展示。

というのも、ワーズワースには「吉原の花」、フリーアには「品川の月」が収蔵されており、三作品あわせて喜多川歌麿「雪・月・花」ということで、今は遠く離れ離れとなった三作品が揃うということなのです。とはいっても、フリーア美術館の作品は貸出しない原則のため、本物が揃うのはフリーア美術館だけなのですが。

岡田美術館でも、遠く旅した秋以降でしょうか、2017年内に「深川の雪」の展示予定だそう。「品川の雪」は難しいですが「吉原の花」と揃うと嬉しいな。でも、あんまり期待値あげると…また雪の降るころ、箱根に「深川の雪」を見にたくさんの人が訪れるといいですね。
 

その他

漫画家の藤田和日郎さんが曾我蕭白好きと知って、なんかすごい、2つのものがカチッと音を立ててつながる気がしました。クリックケミストリー。

"18世紀の京都の町では、幻の傑作を残した円山応挙伊藤若沖曾我蕭白長澤蘆雪与謝蕪村池大雅の6名の画家たちが同時に活躍し、画像イタリア・ルネサンスにも引けを取らない一時代を築き上げました" この時代すごいけど、その時代に焦点をあてた展示会だったなあと改めて思いました。

*1:プライス・コレクションの記念すべき一作目でもある