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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

ピクサー展&キセイノセイキ展 @東京現代美術館

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東京現代美術館2016年冬春の企画展は、ピクサー展とキセイノセイキ展です。

うちからちょっと遠くてなかなか足の向かなかった東京現代美術館ですが、前回の「東京アートミーティングⅥ 」がとても良かったので、今更ながら東現美の企画って好みのもの多いかも…これからは足繁く通わないと!と思っていたところ、今年5月30日から改修工事で長期休館の予定だそうで…

今回は休館に入る前の最後の展示。いろいろ気づくのが遅すぎましたが、これはもう一日かけてゆっくり過ごそうと出かけてきたのでした。

ピクサー

ピクサー展は大混雑と聞いていたので覚悟していきましたが、大混雑でした。朝10:30ごろ美術館につきまして、しばし並んで30分ほど。ピクサー作品ってそんなに見てないけど、はたして楽しめるのかしら、と並んでいる途中で急に不安になったりしましたが、内容盛りだくさんで、とてもよかったです。

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物語の大枠を見るストーリー・ボードと、全体の雰囲気をつかむカラー・スクリプト。作品が出来るまでのアイデア出しからブラッシュアップの過程を見ることができます。ワンショットに使われるCGは、おのおの処理ののち、1台のマシンだと36時間かかるほどのレンダリングが待っているのだとか。

ピクサーの初期短編アニメなどの上映もあって、がっつり見ました。初期アニメ3編はおもちゃたちが主人公の、子ども向けなようで、どこか哀愁のある物語。近年のものはミュージカルの要素が入って、映像技術も凝ったもの、などなど、時代を経るごとの傾向も見えておもしろかった。

いちばんの盛り上がりどころは、映画の起源といわれるゾートロープ(回転のぞき絵)が見れたこと。メリーゴーランド風の装置が高速回転しはじめるのを眺めてると、ふいに照明がおち、一定間隔のストロボがたかれる。たちまち人形たちがコマ送りの動画のように動き始める。

目の錯覚と分かっていても目に映るものが信じられずに、三回くらい繰り返して見てしまった。

それから、物語の世界観をつくる際にさまざまなアーティストによって描かれるドローイングも、作品ごとに展示。たとえば「インサイド・ヘッド」だと、脳の中という世界を、ある人は抽象画風に描いてみたり、またある人は写実的に描いたり。でもどちらの要素も作品には取り入れられていて。

作品を知っている人は、仕上がりの世界観と比べながら楽しめるはず。一枚絵として見てもとてもよくて、とくにドミニク・R・ルイスの描くパステル画の世界は、光をざっくりと捉える印象派のような作品で、ほれぼれして見入ってしまった。

*読み応えたっぷりのasciiさんの記事にもルイス氏の作品が載っていました。

むかし読んだ大塚英志さんの本に、エンターテイメント小説をつくる要素は、ストーリー、世界観、キャラクターの三つだと書かれていたけれど、ピクサーのアニメーション製作も、まさにその三本柱の作り込みに、豊富にリソースをつぎ込んでいるのだなあと思いました。


「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展

ピクサー展とキセイノセイキ展の両方見るには、別々にチケットを購入しないといけなくて、そのためか、とても空いてるキセイノセイキ展でした。趣向が全然違うので、むしろその方がよかったのかな。

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印象的だったのは、藤井光さんの展示。展示室に入ると、展示ケースのライトが室内をぼんやり照らす、がらんとした空間。しばらくたたずんで、ようやく説明パネルがあるだけで、ケースの中は空っぽであることに気づく。

これは想像の展示品なのか、あるようで無い、ないようで在るものの境界を探る展示なのか。

ぐるぐる考えていると、最後のほうのパネルに、1990年代に計画された平和祈念館と、その際に歴史認識の問題で紛糾して、今なお都内美術館に保管される戦災資料についての説明がありました。この展示はつまり、当時の議会で棚上げされて、今日に空洞化した戦争の記憶なのです。

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独裁政権下にあるタイでは、表現規制に抵抗して「(芸術文化センター前に立って)時計を見上げる」「歩く」というパフォーマンスをして逮捕される例が起きているそうです。デモの内容が"何もしてない"からこそ、表現を規制しようとする圧力の強さが、むしろ滑稽味をおびて浮かび上がります。

くだんの戦災資料も、個人に貸し出すことができないと展示が叶わなかったようですが、むしろ何も展示しないことで、不都合な、あるいは面倒な戦災資料を、倉庫へと封じ込めてしまった心理じたいをあらわにするようです。

何もしないことで、別の何かが浮かび上がる感じが、タイのデモの表現手段と重なりました。

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歴史を振り返るときには、公的機関の公式な資料がその解釈に採択されるものです。けれども、事情があって倉庫に眠った資料や、当事者の記憶といったものは、歴史のひとつであっても、取捨選択の捨てられるものに入ってしまう。

こぼれ落ちてしまうものをすくいあげる、光をあてることが、アートになしうることかもしれないと、そんなことを考えました。

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タイの事情を例に出しましたが、日本はまだまだ自由に表現ができる国ですね。それでも、2015年に東現美の展示のひとつが一件のクレームから撤去要請を受けたことは、美術館の過度な自粛ではないかとずいぶん騒がれました。

キセイノセイキ展は、昨年の一件への応答というほどではないにしても、普段は気にとめない「規制」の可視化といったものを感じました。表現をとりまく壁が、本当に存在するのかどうかは、壁に向かって球を投げてみないと分かりません。その、球を投げる行為。

映像作品は長くてヘビーなものが多い半面、その他の展示には、何も展示しないことが意向になっているものが多かったりして、実感のアンバランスさは感じましたが、ピクサー展の喧騒から遠く離れて、天気も良かったので、考えごとをしながらうろうろするのは楽しかったです。

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インストラクション・アート(指示する芸術)をもって、鑑賞者を次第にルールの外側へと導いていく橋本聡さんの展示。これはふたり以上で行ったほうが楽しめそう。

展示室を行ったり来たりしながら、ときおりこの部屋へ視線をなげると、「私を倒してください/私を立たせてください」と書かれた木の棒が、ある時は立ってたり、倒れてたり。隣の部屋で映像作品を見ていると、バターン!と音がなって、あ、倒れたな、と思ったり。

とかくシュールな光景が断続的に繰り広げられているのでした。

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横田徹さんの《アフガニスタン米軍従軍》は、紛争地帯を取材した映像作品。中学生以下に見せる映像として適当なものを話し合い、スクリーンの片面には表現の自粛を反映したもの、もう片面には作品の全編を上映しています。

ここで思ったのは、作品の作り手の意図と、それを展示するキュレーターの意図は、異なるばあいがあるということです。横田さんは表現の年齢規制を問うために戦場に行くわけではないですが、展示側はそれを問うている。

一方、鑑賞者の私たちは、紛争地域の現状が映し出されるスクリーンを食い入るように見ながらも、表現の自主規制という視点をも意識する。その側面から戦場の映像を見ると、表現の自粛がひとつの脚色にも感じられるのでした。

作家とキュレーターの意図が調和するのが理想的な状態なのでしょう。作品から感じるものがあるとき、そこにあるキュレーターの目線を意識しながら見るのも、ひとつの見方かなと思いました。

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アルトゥル・ジミェフスキ《繰り返し》は、40分もある記録映像です。初めから見たいなと思って、他の展示を見て時間を過ごしながらスタートの時間をさぐり、結局途中からみて、1.5回鑑賞しました。

スタンフォード監獄実験」を再現した本作。「人はシステムによって変わりうる」という教訓を知識で知っていても、その様子をつぶさに見ていくと、被験者たちの決断のひとつひとつや、空気が変わっていくポイントなどに考えさせられます。

この被験者チームの特色かもしれませんが、看守役の男性が、おそらくとても真面目で良識ある人なのです。誠実がゆえに、監獄内の秩序をどうすればよりよく保てるかにこだわってしまう。一方、囚人たちは看守の(時間を守らなかったというような)小さな不誠実に不満を持っていく。

囚人たちの不満や反抗心を察すると、看守たちは「秩序を壊されるのではないか」と、彼らを脅威に感じるようになります。反発心をもった相手をどう従わせるか。そうした怖れが、ルールの過度な厳格化につながってゆく。

この辺り、日常でも見る光景のように思うのですよね。会社などでも、リーダーの資質のある人は人望があったり、目標の共有化がうまかったりする。けれども、そうでなく責任者のポジションになってしまった人にとって、あるいは刑務所のように相互に協力しあう環境にないばあい、他人を従わせるための武器はルール(のふりをした暴力)しかなかったりする。

囚人側にもメンバーを自然とまとめてしまう存在の人がいるのですが、彼の言葉がまた印象的でした。「我々が人間らしくあろうとすることが問題を引き起こしている」それが彼の出した答えに聞こえて、複雑な気持ちになったのですが、いまはむしろ、重要な言葉として受け止めています。

物事がこじれてどうにもならないとき、人間性で解決しようとしてはいけない。なぜなら、人間性は環境によって変わりうるから。人間性を守るためには、人間性をさておいたところで解決の手立てを考えたほうがいいのだと。

ソファーに沈み込むようになって見ていて、スクリーンが暗くなったのではっとして周囲を見ると、いつの間にか数人ほどが後ろに立ったり座ったりで、誰もが黙然と映像に見入っていた様子。そそくさとソファーを明け渡して、明るい午後の光へと逃れ出たのでした。

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すっかり疲れ切ったので、下階のレストランへ。いつも二階のカフェのほうへ行ってたけど、このレストランとても雰囲気がいい。窓の外にはらはら降るものがあって、なんだろうと思って眺めていたら、どうやら桜の花びらだったよう。いい場所じゃ。もっと通えばよかった。

ショップなど見ていたら、コレクション展の時間がなくなってしまい、前回もコレクション展までエネルギー持たなかったことを思い出した。東京現代美術館は一日で見きれない美術館のひとつだなあ。改装後は、さらにグレードアップして帰ってきてほしいな。

キセイノセイキ展については、賛否両論、辛口の意見も多いみたい。Togetterまとめ、なんだかんだ全部読んでしまった。

美術館メタ的な展示は、去年だと国立近代美術館の「これからの美術館事典」もそうだったけど、素人目には「美術館関係者の自己意識」ってけっこう新鮮に思ったりしました。でもその自己意識の確認だけで終わっているところが、物足りないところかもしれない。

辛口な意見の多くは「美術館とアーティストの共犯関係」にふれていました。たしかに、権威の側面を持つ美術館と、既成の枠を壊そうとするアート作品と、それぞれ違う方向性にあるのに、今回の展示では、方向軸の異なる力が緊張関係にならず、予定調和的だったかも。

ジミェフスキの《繰り返し》も、美術館をひとつの監獄と考えれば、ルールに閉じ込めようとする力と、反発しようとする力の衝突を示唆していて、もっとも美術館とアートとキセイを象徴する作品であるような気がしなくもないのでした。


関連URL

ドリームワークスのアートディレクター、ドミニク・R・ルイス氏へのインタビュー記事

ゾートロープで、ローマの家庭内虐待をテーマにしたもの。ヘビーだったので記事内には引用しなかったけれど、造形的には見とれてしまう。

東京都平和祈念館(とうきょうとへいわきねんかん)は、1990年代に建設運動が始まり1998年当時の青島幸男都知事に陳情された東京大空襲を記録する都立施設である。[…]先の大戦でこれほどの多数の戦争体験者の証言を集めた資料は国内には他にない。 […]都は2011年現在も、平和祈念館での公開を目的に収集した資料として、非公開扱いとし目黒区の都施設に保管したままである。
東京都平和祈念館 - Wikipedia

キセキノセイイ──「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展レビュー:フォーカス|美術館・アート情報 artscape
810号の英雄的行為はシステムから離脱することによってシステム全体を内側から瓦解させるイメージを暗示しており、これがジンバルドーの監獄実験には見出すことができなかった側面であることに違いはない。ジミェフスキはジンバルドーを批判的に継承しつつ、映像のなかでその芸術的な側面を押し広げたのである。[…]美術や芸術もまた、こうした閉鎖的な監獄性と無縁であるわけではない。[…]アルトゥル・ジミェフスキの作品が他に類例を見ないほど傑出しているのは、こうした現代社会の監獄性を照射しながら問題提起を図ることに自足するのではなく、この問題含みのシステムから降りる可能性を、そのやさしさとうつくしさにあふれた──言ってみれば、「奇跡の誠意」に満ちた──瞬間を、ある種の回答として、私たち公衆に示してみせたからにほかならない。

キセキノセイイ──「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展レビュー:フォーカス|美術館・アート情報 artscape

ジミェフスキ「繰り返し」の解説。美術館を監獄に重ねるイメージはこの記事を読んだからだなあと、たった今気がついた。

国内外の映像アート作品の上映、レクチャーを定期開催。古典的名作 から、最新の実験映画まで
本作品は、科学の名の下に人を測る「実験」の信頼性を批評し、論理がいかに脆く、解釈がいかに恣意的であるかを示唆する、複雑でそれゆえに意欲的な試みである。それはまた、世界を極端に単純化し矮小化する流れに抗う、芸術による「実験」でもある。

CINEMATHEQUE

ジミェフスキ作品、イメージフォーラムで上映したのかな。いいな。時間を巻き戻して見に行きたい。引用部分、ひっかかるけどまだピンときてない。

スタンフォード監獄実験」の責任者フィリップ・ジンバルド氏の著作本の紹介。

関連して。イラク戦争時、米軍が管理するアブグレイブ刑務所で発覚した捕虜への虐待事件について、何が学び取れるのか、「スタンフォード監獄実験」責任者ジンバルド氏へのインタビューした記事。