日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

[感想]ホイッスラー展 | 横浜美術館

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展示会ポスター(見開き)

横浜美術館で開催中のホイッスラー展、三連休だし行っておこうかなくらいの気持ちだったけど、本当すごいよかった。ルネサンス絵画な雰囲気の印象があったけれど、晩年の風景画は感覚的。途中から、すごい好みかも、と気づいてしまった。

いつも長文になってしまうので、手短に感想を。

前半はホイッスラーの生涯を追うようなつくり。後半は「ジャポニズムとホイッスラー」というテーマ。全体を通して、音楽の言葉で絵画を語ろうとする画家の試みが感じられる。

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「肌色と緑色の黄昏:バルパライソ」1866年 | テート美術館

「肌色と緑色の黄昏:バルパライソ」は、画業にもプライベートにも行き詰まったホイッスラーが、逃れるように旅に出た先で描いた風景画。空の色が刻一刻と変わるわずかな間に、軽い絵の具でさっと描く。藤色の雲に照る淡いベージュが清々しさを感じさせる。

音声ガイドのナレーターがリリー・フランキーさんで、皮肉屋でダンディなホイッスラーとどこか被る。そのリリーさんが気になった作品がこのバルパライソの風景なんだそう。

ホイッスラーという人はきっとすごく自我の強い人で、自分や他人との自我との戦いがずっとあったんだろう。疲れてそこから逃げ出したくなる心境や、逃避先で見た心がリセットされるような風景を描いているようで、気になった一枚、というようなことを言って、重みがあるなあとしみじみした。

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チェルシーの通り」1888年 | イェール英国芸術センター

油彩・銅版画の他に、水彩の作品もあった。
もしかして水彩の表現が向いている画家なんじゃないかな、と思っていたら、中盤で水彩画が出てきて、それが本当に良かったので嬉しかったです。

光と影を荒いままに把握してざっくり描く。細かな部分の描写は、色の出方をある程度計算しながらも、最終的には画材の偶然性にまかせるような感じ。

後半は「ジャポニズムとホイッスラー」。
ポスターにもなった代表作「白のシンフォニー」も伝統的絵画に異国趣味という感じなので、ジャポニズム云々はあまり期待していなかったけど、実際見たらとても面白かった。

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「艀」1861年 | フィッツウィリアム美術館(ケンブリッジ大学付属)

対象をクローズアップして描くのは、それまでの西洋画にはない構図なんだそう。同時代の作品の水平目線の構図やクローズアップは写真の影響もあるのかなと思っていた。
ホイッスラーのこのエッチングは、焦点距離の長いレンズで撮った風景のようだと思う。

また、歌川広重の作品に影響を受けたと思われる「クターン:青と金色-オールド・バターシー・ブリッジ」は、川辺から見る夕暮れの空に花火が打ち上がる、情緒的な風景。

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ノクターン:青と金色-オールド・バターシー・ブリッジ」1872-75年頃 | テート美術館

線遠近法を使わずに描いた風景画で、これも西洋画にとっては新しい表現だった。絵画から合理性を取り除いて、限られた色彩で描いた詩情あふれる一枚。「シンフォニー」と名付けられた連作の風景画は、遠景と近景で構成される東洋的な遠近法を用いて、色彩表現の存在感をより強めている。

今回の作品ではないけれど、「黒と金色のノクターン-落下する花火」は、参考資料として展示パネルで見ただけで、とても気に入ってしまった。

ホイッスラーは筆を斜めにざくざく引くことで雨の表現を試みているけれど、それは浮世絵ではおなじみの表現だったりする。絵の中に動きを描きとどめるというのは、当時の西洋では斬新なことだったのではないかと思う。ホイッスラーがスケッチをしている時、レンガが降ってきたことがあって、彼はその時、画面に一本の線をさっと引いたのだそうだ。

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「黒と金色のノクターン:落下する花火」1875年 | デトロイト美術館(*今回の展示ではありません)

「黒と金色のノクターン-落下する花火」は、その延長線上にあるように思う。絵画の中の動きの意識。夜の暗がりの中にはじける花火。上空へあがる煙と、落下する火花。次の瞬間には消えてしまう、一瞬の鮮烈な光景。

すごい!と思って、図録を買って、帰りながらも同じ絵を何度も見たけれど、この絵は当時物議をかもしたらしい。「絵の具をぶちまけただけ」と酷評されたことに憤ったホイッスラーは、発言主のジョン・ラスキンを訴訟したほどだった。

エピソードを聞いた時にはとくに感想もなかったけれど、論争の的となった絵を知ってしまうと、いかに重要な裁判だったかと思い直す。当時の西洋画壇で批評家ラスキンに見えなかったものがホイッスラーには見えていた。西洋絵画ががらりと変わる前夜に起こったラスキン裁判だった。

* * *

好みと違うかなーと思いながら行ったら、直球で好みなホイッスラー展でした。うむ。

美術館行くの好きというと、どんな画家が好き?って聞かれて、もにょっとなるけど、今度からホイッスラーのノクターンって言おう。うーんでも、ちょっとマイナーかな。


ホイッスラーについてもう少し詳しく書きました。ぐだっと長文。