日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

音に繊細でいることについて

最近、お、ブログに書いとくか。と思うときはだいたい、誰かの書いた文章に触発されたときだ。

note.com

大勢の人のいるところで声が聞き取れない(言語として認識できない)というのは、私もわりかし経験あるのだけど、頭の中の言語の思考が、音と言うより書き言葉に特化していて、ノリとしての言葉のやりとりが苦手なような気がする。

ただ、そういう傾向とうまく付き合っていけないかなと思うことはあって、瞬発力の必要な言葉のやりとりみたいなのの訓練プログラムとかあれば、いくらか改善の手助けになるんじゃないかと考えてみたり。もっとも手軽な方法としては、動画配信とかで、おしゃべりをただ聴くというのは良いかなと思う。

わたしはとにかく話し言葉が苦手なまま20数年間なんの努力もせず、社会人になって非常に苦労したので、「話すこと」もとい「発声すること」については、意識して身につけたところがあって(ふつうの人は意識しないでも身につくと思うが)、その分、妙なこだわりがあるし、いまだにその訓練の途上にいるような気持ちでいる。

それはそうとして、塩谷さんのnoteの文章でとくにひかれるのは、後半の自分なりの工夫の部分で、ここではわたしの書いたような「訓練」のような自分を世界に順応させていくのとは逆の方向の、どう自分の無理のないところに環境を近づけるかということが書かれている。

自分に圧力をかけながら自分を変えていく、ということも大切。でもこの、もともと持ってる自分の心地よいと思う環境をつくっていくということも、すごく大切だなと思わされた。

たとえばnoteの中にもでてくる高木正勝さんの曲は私も好きで、特別なものがある、と思っている。むかし高木さんがプロモーションビデオのなかで「風に色がある」と言っていたのだけど、周囲の環境との対話で音楽を作る人なのだなあというイメージがあった。その後、高木さんは「マージナリア」というアルバムを出した。

家の窓を開け放って、自然界の音を聞きながら、音楽はその伴奏になる。音楽のために環境音を取り入れるのではなくて、環境音があって、そこに音楽がさりげなく加わっていくような。塩谷さんの音に関するnoteの文脈に高木さんが出てきたのは、たまたま好きな音楽がそうだったからではなくて、これはもう必然の選択だろうとわたしは思う。

高木正勝さんを知ったのは関西ローカル局でのクラブ音楽を紹介する深夜番組だった。ほんの数秒流れた音楽がとても気に入って、音楽の好みが近い人に教えたら、その人のほうがいたく気に入ってしまって、逆にいろいろ情報をフィードバックしてくれたものだった。

わたしはそのころ京都で生活をしていて、いま思えばそれなりに友人もいたのだけれど、根本的なところで自分がすごく孤独のように感じて、またそれが心地よいようでもあり、休日になるとカメラひとつさげて賀茂川沿いをふらふら歩いたりした。

上賀茂神社など行くと、ならの小川の夕暮れは、とむかしの人が詠んだ小さなせせらぎがあって、ちろちろと水の流れる音が絶え間なく聞こえていた。境内の紅葉の葉も、夏は美しい青葉をそよがせて、風の気まぐれにざっと音をたてるなどした。

雨の日に大きな樫の木の側に立って、しっとりと濡れる木肌にふれてみたこと。木々や、雨を降らす湿度の高い空気や、雨粒を受け止める無数の葉の音。人の世界を隣にして、もうひとつの世界があること。大きく豊かな世界の中にたたずんで、そのなかの命のおしゃべりにそっと耳を澄ませる。

そんなとき、人の言葉は役に立たない。木々やあたりをめぐる風や、虫や鳥たち、めぐりゆく水の流れ、その中に身を落ち着けること。自分を透明にしていくと、いつしか自然のなかのおしゃべりは、わたしの中にも沁み込んでいく。

高木さんの音楽は、その自然のおしゃべりが体に入ってきたとき、それとなく旋律を奏でていくような、彼らと同じ言葉で対話をしていく音楽だ。だから他の音楽家と一線を画す特別さがある。

また、京都にいるときには環境音楽ブームがひそかにあって、そういう音楽ばかり集めていた中で最終的に気に入ったのが、水琴窟という日本庭園のしかけの音を集めたCDで、こういうのを好んで生み出してきた京都という土地もまた少し特殊なのではないかとおもったりする。

そういえば当時友人がお茶を習いにいくというので、1年ほど一緒に通ったことがあるのだけど、お茶の世界も、音という観点からとても魅力があって、寒い冬の朝など、くつくつとお湯の湧く音、ひしゃくから水をすくう音、また茶筅で茶をたてるときの水をかく音など、音を楽しむ文化でもあるのだなと思う。

ああいう環境の音や自然の表情に繊細な時期があって、年齢のせいか、住む土地のせいか、さすがに当時の濃密な感覚はいまはもう薄れてしまった。大きなきっかけは東京に出たことだったと思う。灰色の風景をあおぎながら、本当にこの街で生きていけるのだろうかと呆然とした思い出がある(上北沢あたりだった)。

それでも五月の雨にバスを待つあいだ、光が丘公園の小雨にぬれる緑を眺めるのは好きだったし、東京で良かったなと思うのは、美術館がたくさんあって、いろいろな美術作品に出会たことだ。深く感覚世界と対話したあとの一枚に、たくさん出会えたと思う。

離島の田舎に戻ってきて、四季がないといわれるこの島にも、むしろ豊かに季節の表情があるのだと思う。とくに季節ごとの大気の揺らぎは、都会にいるよりもっとダイレクトに感じられる。冬から春に変わるころ、大気が不安定になると、遠く西に雷が鳴る。闇を裂いて稲光が走るのを見る。

夕暮れ、カメラをもって西の空が見える場所に車を走らせる。大気のおだやかな夏の頃、空はゆっくりと水平線の向こうへと光を引き上げていく。東の空はいちはやく暗い群青に落ち、星がまたたき始める。西の空はまだ光をのこして、ほのかなピンク色に染まり、日没の数分間、薔薇色に燃え上がる。

京都にいて、あの調和する自然のささやきにそっと身をおく幸福感はもう味わえないけれど、小さな島にいて、この惑星を気ままにめぐる荒々しい大気を直接感じるような凄みや、太陽と月の巡りに刻々と色を変える空の色が奏でる音楽とか、この場所ならでは感じるものがある。

けれどそのことは、もしもわたしがこの場所から出ずに過ごし続けていたら、はたしてその自分を透明にして自然を感じるような感覚を持ち得ていただろうかといと、自信はないなと思う。もっと言えば、京都という特別な街に生活することがわずかな時間でもあったから、その感覚を覚えることができたのではないかと思う。

繊細さは大人になって薄れていってしまうけれど、強くなろうとするほどに消えていってしまうように思うけれど、ふと繊細であるままに、そのことを大切にしている人や作品に出会うと、ふっとそこに強く惹かれてしまう。このまま年をとっていく先に、どんなふうに自分が世界を感じていくのか、ということも、大切にしたいなと思う。

www.youtube.com

むかし、高木さんについて書いた記事

https://www.billboard-japan.com/special/detail/3181

マージナリアについての高木さんのインタビュー

京都市:北区・区民の誇りの木 エリアB
施工実績:『世界文化遺産 上賀茂神社』の境内にある危険木の伐採を行いました。 | 施工実績, 特殊伐採 | 株式会社アーボプラス

もしかして京都というより上賀茂神社がきっかけだったのではないかと思ったりもした。