日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

映画の感想 - カタブイ KATABUI ~沖縄に生きる〜

「カタブイ」とは片側は晴れているのに、片側は雨という夏の気象現象のこと。作品の中で晴れと雨のあいだに虹がかかっているシーンが、とても印象に残った。

ドキュメンタリーをとったダニエル・ロペス監督は、沖縄のローカル番組に出演したりしていて、沖縄では知らない人はいないという話。映画を撮るために番組を降りて制作に取り組み、この作品ののちもドキュメンタリー映画の構想があるのだそう。

三十カ国は旅したというロペス監督が沖縄に来たとき、二日目で「ここなら住める」と思ったのだという。他の土地と比べて何が違ったんだろう。作品を見終えてみれば、沖縄には古さと新しさがうまく混在しているところがあるのかな、と思ったりした。

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宮古島のがじゅまる

沖縄の文化に何かしらたずさわっている人たちへのインタビューでつむいでいくドキュメンタリー。戦争や戦後の沖縄の記憶を石に刻む前衛彫刻家から、商店街を盛り上げるために方言を交えたラップ音楽でライブをするおばあ、琉球空手琉球舞踊の担い手たち。

出てくる人たちはそれぞれ「文化は変わっていくもの」「やまと世、アメリカ世を経験して、いろんなものが混ざり合っているのが沖縄」と、混ざり合って変化していくことを受け入れながら、「それでも残っていく芯のようなものがある、それが本当に大切なもの」と話す。

作品の中で強く印象に残った言葉があった。「自由になるのに必要なのは、翼ではなく根っこ」
むかし私が京都で生活していたとき、この町ならずっと住み続けてもいいなとよく思っていた。じっさいよそ者が住むには大変とも聞かされたけど。ただ、その土地の共同体が大きく破損されることなく今日まで営みをつづけている土地の、独特な空気というものはあるのかもしれない。

映画の撮影中に肉親との離別があり、また新しい命をさずかった。個人的なできごとも織り交ぜた本作は、とても私的な物語にもなっている。そこに「根を下ろす」という言葉が立ち現れて、大きな物語と小さな物語が結びつく。撮影しながら、予想もしない場所に連れて行かれた、という感じだろうか。偶然のなかに運命が見いだされるような不思議な余韻があった。

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トークショー:ロペス監督と息子さんと、新城利枝子さん

上映後はロペス監督とラップのおばあこと新城利枝子さんの挨拶があった。東京でもマイナー映画を見に行くと、監督がふらっと入ってきて挨拶することがあったけど、実際に撮った人の声を聞けることは、自分がどう見たかとは別の視点をもらえたりするので、とても貴重なこと。今回も、作品の外側の話はとても興味深くて面白かった。

沖縄を訪れた初日、勇気を出して地元のお店に入ったら「言葉が通じないのになんで入ってくるんだ」と言われた話。でも隣の人が英語を話せて助けてくれて、さいごヤギ汁までご馳走になったとか。スイスでも上映された本作、東京、京都以外の日本のイメージがあまりないから、沖縄の風景や文化は新しい発見のように受け止められたと思う、という話。

お葬儀の骨揚げの場面がスイスの人には不思議に映ったらしいというエピソードから、沖縄の霊媒*1に監督が「スイスから来たの?でもあなたの護り人は海にゆかりがある人ばかりだよ」と言われて、じつは監督のルーツはスペインだったりして。でもそういう話はスイスでは出来ないですねって言っていたのもおもしろかった。

映画館の館長さんが「根っこ」の言葉について質問をしていたけれど、館長と監督それぞれ「土地に生きること」への個人的な思いを垣間見るようだった。沖縄に根をおろすのは位牌に名前が書かれたときだということ*2。一方で、スイスに帰れば、そこにも自分の根がある。

個人的なことを書くと、私もルーツがいろいろ混ざっているので、純粋性よりは、混在しているものを尊重したいという思いがある。そのためか子どもの頃は、他人の土地が自分の故郷になるということに妙なあこがれを抱いていた。それが結局じぶんの故郷に戻ってきているのだから、「土地に根を下ろす」という言葉には複雑な気持ちを抱かずにいられない。

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※買ってしまった。『沖縄時間〜美ら島暮らしはでーじ上等!〜』(著:鳥居美砂、写真:ダニエル・ロペス)

宮古島へもしばしば遊びにくるという監督は、とくに好きな場所に佐良浜をあげていらした。私も帰郷後間もないころ、カメラをもって島の町並みを撮影したいんだよと兄に話したところ、佐良浜はいいよと言われたことがある。昔ながらの町並みが残っている地域は、どんどん減っていっているんだそうだ。

沖縄本島は伝統文化に若い人たちが参加して、お祭りみたいになっている。宮古島は若い人への継承という課題はあるけれど、それでも地域には沖縄本島よりもっと古い文化が残っていると感じた。ロペス監督はそんな話をしてくださった。

ロシアの言語学者で、日本の古語を調べて宮古島研究にたどり着いた人がいた。ただ地元の習わしとして受け継いでいるものが、数百年前の海を超えた文化の遺伝子をはらんでいたりする。けれどもその文化の名残も、もしかすると私たちの世代で消えてしまうかもしれない。

古い時代から堆積した文化が、新しい時代の波に洗われて形を変えていく。その辺にある変哲もない風景の背景に時間と空間の広がりを想像してみれば、見えるものもちがってくる。文化をみつめる眼差しを教えられたような気がした。


関連情報

*1:ユタ、カンカカリャーなど地域によって異なる呼び名がある。沖縄では生活に結びついてきた面があるけど、スイスにいくとただのオカルトになってしまう可能性

*2:これは沖縄の先祖崇拝の信仰をよく理解している言葉だと思う。