日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

旅日記 九州:長崎、熊本、鹿児島

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博多港発のフェリー太古は、深夜のうちに九州北西の玄界灘を通って五島列島に向かい、それぞれの島に乗客をおろしていく。明け方には五島列島中通島にある青方港について、しばらく停泊したあと、中通島若松島あいだを通って福江島をめざす。

この海路からの風景をじっさいに見たい! と楽しみにしていたところ、明け方起きれずに、船が青方港を発ってしばらくしてから目が覚めた。窓の外に島影が過ぎ去っていくのが見える。スマートフォンで現在地を確認すると、今まさにリアス式海岸のあいだを進んでいるところ。

あわててカメラをつかんで甲板にでる。寝ぼけててピントのぼけた写真ばかりになってしまったけれど、溺れ湾の暗い影の間にさしこむ朝陽の紅色は、とても美しかった。

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五島列島は狭い湾が複雑に入り組んだ海岸線になっていて、この地形を利用して後期倭寇が根城にしたり、隠れキリシタンたちが平戸などから移り住んで集落をつくったりした。

倭寇といっても16世紀に入ってからは、私貿易をおこなう中国人が中心となっていた。それというのも明王朝が厳しい海禁令をしいたためとも言われており、とくに有名な王直という頭目は、五島列島や平戸を拠点として活躍し、近世へ移り変わる日本へ少なくない影響をもたらせた。

私貿易を禁止していた明と倭寇との対立で、大陸沿岸の人々が襲撃を受けた時期もあり、日本にとっては「貿易の利益をもたらすありがたい客人」であった王直も、中国の人たちからすると「倭人に寝返った中国人」とみなされているようだ。*1

王直という人物を追うといろいろおもしろいので、ドラマ化してくれないかなと思ったりしてるけれど、日本からすると外国の人だし、中国からすると罪人だし、なかなか難しそうである。

長崎県 福江島五島列島

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明人堂(長崎県五島市福江町)

そんなわけで、福江につくとまずは、王直の時代に航海の安全を祈願して建てられたという明人堂に行ってみる。とはいえまあ、ただのお堂なので、朝も早くから写真を撮ったりしていると、土地の人に不思議そうな目を向けられてしまうのだけど。

この日は福江島にある牧場に行った。ここではウエスタン乗馬の体験ができる。30分ほどのレッスンで馬とのひととき楽しんで、牧場の方に孔雀やら鶏を見せてもらう。しばらく歩いたところにあるカフェで甘いものを食べながら、バスの時間を待って宿に向かった。

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大阪あたりから体調を崩し始めていたのだけど、さいわいこの日とまったドミトリータイプの宿は他に同室の宿泊客もなく、夕方から洗濯したりして、だいぶ体を休ませることができた。

なにせ翌日の朝は早い。朝8時の船で中通島に向かう。島には港がみっつほどあって、福江島からの連絡船が通っているのは南の奈良尾港。いっぽう長崎や佐世保とつながるのは北東側の有川港。ふたつの港は島の真反対にあるので、その間はバスやらタクシーで行き来する。

五島列島の島々をめぐるにはレンタカーかタクシーが適当なのだけど、免許の有無とか予算を考えると、路線バスということになり、それはもう事細かに時間とルートを調べ上げた。連絡船が奈良尾港につくと、約10分後のバスを待って乗り込んだ。

長崎県 新上五島町五島列島

路線バスは集落をいくつか抜けて山道へ。峠道と湾の風景が交互に過ぎ去っていく。電光パネルに中浦停留所が表示されて、待ち構えていた降車ボタンを押した。

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中ノ浦教会は小さな湾に面した土地に立つ教会。椿の花をあしらった内部も可憐ということだけど、すぐに次のバスがくる予定*2なので、外観だけ数枚撮ることにする。バス停の標識柱が向こう側にしかないのだけど大丈夫かしら…とそわそわしてると、ぶじ20分後にバスが現れた。

この日は心配していた小雨がふって、海の色は暗い。それでも深緑のうつくしい湾が道沿いに続く。起伏のある道をゆくバス旅で、風景はぜんぜん飽きない。もしも晴れていたらどんなにきれいだろう。夏の日差しの明るい季節にまた通りたいな。

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青方でバスを乗り換え船先まで出る。ここには海水浴場があるのだけれど、春もまだ早くて、静かな漁港村という感じ。そこからてくてく歩いて大曽教会をめざす。徒歩20分ほどだけど、海の風景から段々畑、野花の咲く家々と風景が楽しいので、あっという間に目的の教会についた。

青方港からも、高台にあるその姿を見ることができる大曽教会。とくに教会内部のリブ・ヴォールト天井が美しいということで楽しみにしていたのだけど、なんと、この日は葬儀を行っていて、さすがに見学ができる雰囲気ではない。

しかたなく坂道を引き返す。道の途中には木蓮の花やすずらん水仙が咲いて、一足はやい春のよそおい。重々しい鐘の音が鳴り響くと、ややあってミサ帰りの人たちが教会から出てきた。人通りがやむのを待って、水辺をはさんで向こう側の、凛々しいファサードを撮りおさめた。

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青方までバスで戻る予定だったけれど、なんだか歩けそうなので、そのまま青方教会まで徒歩で行く。青方へと移住する人が増えたことで建立され、大曽小教区の巡回教会となったそうで、比較的新しい。教会内部でひととき過ごすことができた。しんと静かな空間で、この場所にとけこんだ祈りへと耳を傾けた。

青方港まで戻ると、海を借景にたつ白い教会、跡次教会があって、ここも行けるかな? と思ったけれど、バスの時間が心配になってきたので、この辺で切り上げて有川港行きのバスを待つ。

この日は有川港ちかくの民宿に泊まった。ここの女将さんが親切な人で、路線バスで教会を見学したと聞くと「もったいない」と気にかけてくれて、次の日に車で案内してくれるという。もう今思い出しても、ほんとうにありがたくて頭があがらない。

手作りの夕飯が美味しかった。もとは料理を出すお店をやっていたそうで、納得という感じ。宿には取り置きのシャンプーや歯磨き粉があって、五島列島は釣りの人にも人気があると聞いていたので、泊まり込みの釣り人が多いのかな?と思っていたら、島の工事やメンテナンスなどでくる業者さんが連泊することが多いのだそう。観光シーズンに関わらず忙しそうな感じだった。

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その合間をぬっての観光案内。翌日朝早めにバスで行こうと思っていた頭ヶ島天主堂へ。

島というだけあって、もとは離れ小島だったのだけど、上五島空港ができたときに中通島と橋で繋がったのだという。その頭ヶ島は、隠れキリシタンたちが移り住んで脈々と信仰をつないできた土地。潮風を受けて立つ荒い石造りの教会には重厚な雰囲気がある。

事前連絡が必要だけど、中に入ることもできる。荒々しい石肌の外壁とうってかわって、内部は椿をモチーフとした可憐な装飾。ステンドグラスから柔らかな朝の光が差し込んでいる。

朝早くから観光の人が来ていて、役場の方が教会の説明をしていた。夏などシーズンになると、人のいない教会を撮るのは難しいのだそうだ。教会の建築の工夫など説明していて、つい聞き耳を立ててしまった。

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次なる目的地の青砂ヶ浦教会は、プランにいれていなかっただけに行けて嬉しい場所。その前に坂本龍馬ゆかりの海岸に立ち寄ってくれた。竜馬がグラバーから購入した練習船が暴風雨で沈没してしまい、静養中の身をおして、失った同志への鎮魂の思いでこの地を訪れただそう。

岩場の多い海岸線に「釣りに良さそうですね」というと「よく釣れるよ!」とのこと。教会めぐりもいいけど、釣りも楽しそう。

有川港から北へ、しばらく行った先にある青砂ヶ浦教会は、奈摩湾の青い海をのぞむ赤レンガの教会。外観も良いけれど、なんといっても内部の空間の美しさは特筆すべきもの。天井には、白地に木のアーチが組まれて、幾何学の造形にステンドグラスの幻想的な光が満ちる。礼拝用の椅子に座って、しばし静謐な空気にひたった。

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車にもどると女将さんに「遅いけん中に入っとるなと思っとったよ」と言われて、ちょっと面白かった。東京タワーにいく人をみる東京人みたいな感じかしら。

五島列島の教会はほんとうに沢山あるのだけど、土地の拓けた感じのある福江島とまた少しちがって、中通島は起伏のある土地に湾がひらけ、ぽつんと教会が立っている。集落ごとに教会がひとつあるのだそうで、全部まわるのは大変そう。と思うのと同時に、生活とつながっている教会なのだなあと思わされた。

長崎を旅行していてひしと感じたのだけど、キリシタン史跡と教会群の世界遺産登録は、もう間もなくという期待感があるようだ。ただ、五島列島の人たちがどうかというと、きっと賛成もあり懸念もありと、言葉にはしないけれど複雑な思いもあるのではないかというふうに感じた。

フェリーで行く五島列島は行きやすい観光地ではないけれど、その代わり、旅した土地に自分を合わせる楽しさがある気がする。島の人たちも驚くくらい親切で、観光客というより旅人の気分になったけれど、世界遺産登録でにぎやかになったら少しずつ変わっていくのかな。

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有川港発の高速船、昼の便に乗って長崎へ向かう。五島列島を行き来するフェリーにも少し乗りなれた。カーペットのエリアを選ぶと、枕と布団をお借りして、到着までごろんと横になる。ただこの日は五島列島を後にするということもあって、窓から遠ざかる島影をしばらく眺めた。

長崎県 長崎市

長崎につくと、ずいぶん都会に来たなあという気がした。宿に荷物を預けると、路線バスに乗って稲佐山ロープウェイへ。長崎といえば世界新三大夜景にも選ばれた夜景の名所。小樽の夜景も見たことなので、ここは長崎もおさえておきたい。

ロープウェイでのぼっていて驚いたのは、斜面にならぶ家並み。坂のまちと呼ばれるのもよく分かる。小樽や呉も坂の多い街ではあるけれど、長崎はそれを超えるものがある。長崎が抜きん出るのも、夜景が近いことがあるのかも。深く入り込んだ湾が街灯りをうつし込んで綺麗だった。

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展望台にある夜景の見えるレストランが空いてたので、まじかと思いながら入り、長崎の夜景を眺めながら皿うどんを食べた。

さて、長崎といえば外せないのが「明治日本の産業革命遺産」のひとつとして世界遺産登録となった軍艦島。ツアーを介して一部地区だけ上陸ができるようになっているので、わりあい手軽に行くことができる。団体ツアーが苦手な人は、軍艦島の釣りコースが良いかもしれない。沿岸部にしか入れないという話だけど。

朝の9時から軍艦島ミュージアムで30分ほど展示を見たりして事前知識をつめこんだら、港まで歩いていき、整理番号順にならんで船を待つ。ツアー主催のスタッフたちはとても親切で丁寧。寒ければベンチコートを貸し出してくれるし、船酔い防止に飴玉まで配ってくれる。

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水平線の向こうに島影が見えてきたときには、乗客席から思わず声があがる。島を周遊したら桟橋について、案内の人の話を聞きながら、30分ほどの上陸時間。

初めは小さな島だったものが、石炭がとれるということから三菱が投資して開発、ぼた山になるはずの土で人工的に島を拡張して、現在のかたちになったのだという。最盛期を迎えた60年代以降は、エネルギーが石炭から石油に代わったことで閉山を余儀なくされた。

世界遺産登録にあたって反対の声も強かったのだとか。登録後、島に渡る船で涙を流しているおじいさんに話しかけてみると、昔あの島に住んでいたと答えたのだという話。現在は放っておけば崩れていく建物を、維持する試みが行われているという。

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1940年代ごろ朝鮮の人や中国人捕虜を、徴用政策下で強制労働させたということは、今回調べながら知ったことだった。網走監獄博物館でも同じことを感じたけれど、ひとつの繁栄の裏には何かしらの犠牲があるということも、想像しないといけないんだろう。

昼からは時間があったので、歩いていける大浦天主堂へ。グラバー園が隣りにあったりして、たくさんの観光客。

大浦天主堂は、苛烈な迫害をうけて一時は姿を消したかに見えた長崎のキリシタンたちが、幕末この地を訪れた宣教師に、ひとりの農婦が信仰を告白したことにはじまる「信徒発見」の舞台でもある。五島列島でもキリシタン迫害(五島崩れ)はあったのだけれど、長崎にくると、その歴史の影がいっそう濃くなる。

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250年間、息をひそめて信仰をつないできた浦上村のキリシタンたちは、ここにきて信仰を告白し、ふたたび迫害にさらされてしまう(浦上四番崩れ)。しかし諸外国からの批判により、ようやく信仰に自由が認められ、浦上にも小さな聖堂がつくられたのだという。

その浦上大聖堂は、長崎の平和記念公園の近くにある。江戸末期から明治初期の迫害についで、昭和には原爆投下という悲劇に見舞われた大浦天主堂。この近くの宿に泊まったので朝早くに行ってみたのだけど、日曜日の朝のその時間は、ちょうどミサが始まるところだった。

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浦上大聖堂(長崎県長崎市

日曜日の朝、ぱらぱらと坂道をのぼって教会へ向かう人影の途切れないこと。五島でもそうだったけれど、いまだ息づく信仰の場所なんだなあと思った。

ミサの終わりを待って、平和記念公園にも行った。園内にある平和の泉は、熱に灼けて苦しんだ人たちの魂を癒すように、絶えまなく水をたたえている。爆心地には海外の人の姿が多かったかな。爆風にさらされた浦上大聖堂の柱が残されていた。

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平和公園・原爆落下中心地/平和公園 裏手の階段

長崎県 島原

坂と教会のまち、長崎を堪能したあとは、長崎本線と島原本線を乗り継いで、島原外港へ。夕方ごろ熊本へフェリーで渡るまえに、少しばかり島原観光をしよう。久しぶりに在来線の旅を楽しむ。のどかな田園風景のむこうに、やがて雲仙岳が見えてきた。

島原の乱の舞台となった原城島原半島の南にあって、島原駅から更にバスに乗って南下しないといけない。時間も少ないので、駅周辺の散策にとどめることにした。

島原駅をおりて、まっすぐ歩くと行き着くのが島原城。左手に曲がってしばらく行くと、白土湖という小さな湖に出る。気になっていた島原教会がこのあたりにある。しかし、ぽつぽつしていた雨が本格的に降り出して、あわてて近くの珈琲店に入った。

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島原城長崎県島原市)*島原城の築城による過重な年貢の取立てが島原の乱の原因になったとも言われる。

雨がやむのをまってケーキセットで一服。明るくて心地の良いお店。静かな町だったけれど、お店は案外と人の姿があって、近所の人がよく来るお店なのかもと思った。

島原教会は喫茶店のすぐ隣りにある。天気の頃合いを見計らってお店を出た。ドーム型の教会で、五島列島や長崎の教会とはまた少し違う印象があった。厳しいキリシタン迫害と多くの殉教者を生んだ土地で、今はその魂をいやすように白土湖のそばにひっそりと建っている。

中に入ると、グレゴリオ聖歌が流れているのに気づいた。高いドームのはるか上に明かり採りの窓があって、ステンドグラスを通した青色の光が天井を満たしている。入って前面には木の十字架にはりつけられたキリストの像がかかげられていた。

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カトリック島原教会(長崎県島原市)*↓曲は記憶をたよりに参考まで
全知全能の神よ

全知全能の神よ

  • Nova Schola Gregoriana & Alberto Turco
  • クラシック
  • ¥153

厳かな音楽とやわらかな陰影とで、何かしら語りかけられるものがあるようで、しばらくその場にたたずんでしまう。人はなぜ信仰を必要としてきたのか。これまでとこれから、その意味は変わらないものでありうるのか。

長崎のどの教会もそれぞれに歴史があって、その重みがあったけれど、その中でもここはちょっと忘れがたい空間だなあと思った。

駅に戻りながら、ちょっと寄り道。湧水庭園四明荘は島原独特の湧水庭園をもつ明治期の建物。入館は無料で寄付用の箱がひっそりある。この日はコスプレイヤーさんの撮影と一時重なったけど、確かに雰囲気が良くて写真を撮りたくなる空間。さらに人が引くととても静か。

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湧水庭園四明荘(長崎県島原市

湧水の池は澄んでいてきれいで、水面へと枝を低くのばした紅葉も、秋の頃はさぞ見事だろうな。屋敷の方と少しお話をしたところ、夏の青もみじがいちばんきれいなんだとか。

もう少しゆっくりしたかったけれど、このあと熊本へ渡ると言うと、あら、船着き場までの時間は大丈夫?と聞かれ、急に心配になってくる。予定より早くおいとまして駅に戻るも、電車の時間まで30分ほどある。結局タクシーをつかってしまった。

最終便の一本前の便で熊本港へ。雲仙岳を眺めながら島原をあとにする。夕日を背にした雲仙岳の存在感たるや。子どもたちがエサをあげて、たくさんのカモメが船を追いかけて飛んでいた。

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熊本県 熊本市

熊本港につくと、次のバスはなんとフェリー最終便の後にくる一本だけ。あと一時間もある! 島原もっと観光できたなあ。缶コーヒーを飲んだりしながらやり過ごして、すっかり夜になったところで姿を表したバスへと乗り込んだ。

バスは熊本港から市内へと向かう。震度7地震があってからまだ一年たっていないけれど、中心部のアーケード街はとても賑やかだった。薬局行きがてら、夕食に一風堂で赤丸ラーメンと餃子を食べた。久しぶりのこってりした食事は沁みるものがある。

それでも翌日行った熊本城は予想以上に地震の影響をうけていて、堀のあちこちが崩れている。今は崩れた石をいったん撤去して、ふたたび元の場所にもどす準備をしているそう。城内には入れなかったけれど、頬当御門から加藤神社までの外側は歩くことができた。

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熊本城(熊本県熊本市

3月も後半で、例年なら桜の咲いている時期のはずなのだけど、このところ九州では寒い日が続いていて、ちらほら咲く早咲きの桜のほかは、蕾をいっぱいに膨らませたまま。桜と熊本城のとりあわせを見るはずだったのにな。

風はまだ冷たいけれど、先んじて咲いている一本の桜の木の下で、二組ほどブルーシートを敷いてお花見をしている人たちがいて、熊本のひとは何かたくましさがあるような気がした。

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鹿児島県 鹿児島市桜島

熊本城の周りをぐるりとお散歩したあとは、高速バスにのって一路、鹿児島へ。夕方前には高速をおりて、バスは鹿児島駅へとついた。賑やかだった熊本市内よりはいくぶんかこじんまりした市内。市電が走っているのは長崎、熊本とも同じだけど、街の雰囲気はそれぞれにちがう。

夕方は城山公園の中にある展望台にのぼってみた。旅疲れの体にむちうって急な階段をあがっていくと、公園駐車場の手前で景色がひらけて、鹿児島湾の向こうに桜島が見えた。

威風堂々の桜島に感動しながら展望台まで行ったのだけど、東の空に低く垂れた雲から煙る雨脚が見えて、これはあまり無理せず退散しようかな。来た道を戻りつつ、夕焼けの桜島を断念した代わりに、帰り道にあった天ぷら屋さんで美味しい夕食をいただくことにした。

久しぶりのホテル泊で、次の日の予定を丹念に立てる。桜島にはフェリーで行けるようなので、明日一日は桜島で過ごそうか。11時ごろの便にのると、フェリーは少し遠回りをして桜島周遊してくれるらしい。さらに桜島内は周遊バスがあるようなので、それも利用しよう。

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桜島(鹿児島県鹿児島市

桜島についてはほとんど知識がなかったので、桜島ビジターセンターなども楽しめた。県庁所在地に活火山があること。何回か噴火もしてるのに人が住んでいること。もともとは島だったけれど、火山活動の結果、大正のころ大隅半島と陸続きになったこと。

火山の島ということで、温泉が湧いている。なぎさ公園では鹿児島湾を眺めながら足湯につかれる。風の冷たい日だったけど、足湯は温かくて、しばし潮風にふかれながら温まった。

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桜島桟橋と、奄美・沖縄フェリーターミナルは少し距離がある。夕方一便だけバスが出ているので、それに間に合わせたい。明るいうちに桜島をあとにして、停留所でシャトルバスを待った。

奄美・沖縄航路船は、鹿児島を発つと那覇へ向けて、奄美、徳之島、沖永良部、与論と南下しながら乗客を乗せ降ろししていく。旅行の人もいるけど、離島住まいの人も少ないくない印象だった。五島列島もそうだったけど、まだまだ離島間はフェリーが活躍してるんだなあと思った。

船が鹿児島新港を離れるとき、遠ざかる鹿児島の街並みを眺めようとオープンデッキに出た。学校の合同合宿でもあったんだろうか。中学生くらいの子どもたちが、搭乗橋からバイバイ、またね!と手を振っている。やっぱり船は別れをおしむものなんだなあとしみじみしていると、出港した船を追って子どもたちが走り出したので、よく分からないけれど感動がこみ上げてきた。

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ああいう中から長い友情というのもできてくるのかな。デッキにいた人たちが引いたあとも、大学生くらいの男の子が三人、海の向こうの火山島を眺めながら話し込んでいた。

鹿児島駅の観覧車の影を探したけれど、夕日に照らされた街がまばゆくて、見つけることができなかった。桜島は斜陽をうけてやわらかな桃色をしている。人生は一度きり。過ぎ去っていく瞬間もまた一度だけ。いろんな人の人生をのせて大型客船は暮れの波間を進んでいくのだった。

旅の読書

アイヌの母と日本人の父のあいだに生まれたチカップ。幼くして孤児となった少女は外国人宣教師に拾われて、キリシタンの一行とともに新天地マカオをめざす。チカが兄しゃまと呼ぶ少年ジュリアンとの寄り添うような旅路。アイヌキリシタンという日本の歴史の中の境界人(王直のような海賊もそうだけど)東北から日本海をくだり、九州、マカオまでの旅は、ウトロから五島列島へとくだった旅行と重なって、なんとピッタリ、と、ちょっと感慨深かった。

Information

福江島

中通島上五島町

長崎

島原

*1:参考文献: 【PDF】 倭寇と王直 - 桃山学院大学

*2:2017.3現在、中浦停留所を通るバスは朝夕二回、平日のみ朝二回通っている。バスを待っている間、タクシーで来た観光客の人たちが教会に入っていたので、タクシーのほうがゆっくりできるなあと思った。バス旅もいいけど参考まで。