日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

ミレー・バルビゾン派の世界 - 山梨県立美術館

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以前に山梨にミレーを見に行くか、熱海に光琳を見に行くかと迷って、熱海に行った思い出がありますが、今回は山梨へ旅行がてら行ってきました。

ミレーやバルビゾン派の作品のコレクションがある山梨県立美術館は、常設展のほかに、年四回の企画展があります。今回どちらも見応えあってよかったので、気になる企画展と取り合わせていくと、一度で二度おいしく楽しめるかも。

美術館は芸術の森公園の中にあって、公園内も広くてとてもきれい。ところどころのオブジェや文学館も気になったのですが、時間が足りなくて行けずじまいでした。

感想さっくりと。

ミレー・バルビゾン派の世界

常設展のフロアに入ってすぐ迎えるのが、「ポーリーヌ・V・オノの肖像」。ポスターなどで何度か見ていたつもりだったのですが、絵を前にすると、引き込まれるよう。描かれた華奢な女性は、のちにミレーの結婚相手となった女性。病弱だったために、結婚生活は長くはなかったようです。

内省的な雰囲気のあるこの女性へ注がれるまなざしが、いとおしむような優しいものであるように感じ、しばらくの間みとれてしまいました。

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ジャン=フランソワ・ミレー「 ポーリーヌ・V・オノの肖像 」(1841-42頃)山梨県立美術館

その印象が絵の持つものであるのか、または絵のストーリーがそう感じさせるのか。ただ、時がたてば消えてしまう、けれども陽の傾きで浮かび上がる時、それが今もっともあざやかで美しい。そのあやうくも鮮烈な印象は、恋のまばゆさでありながら、存在のはかなさゆえでもあったように思えるのです。

ミレーの人を慈しむようなまなざしは、その後の作品にも引き継がれていきます。「落ち穂拾い」で描かれるのは、農家の人々があえて畑に残しておく落ち穂を、あとから拾う人々の姿なのだそうで、ミレーはそういった、より貧しい人々へも視線を向けたのでした。

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ジャン=フランソワ・ミレー 「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」 (1857-60)山梨県立美術館

羊飼いを描いた作品に、ひょっとするとミレーの作品は、当時の宗教画だったのではないかと思いました。ミレー自身はカトリック教徒でしたが、彼の絵は北米のプロテスタントの人々により受け入れられたのだそう。ミレーへの敬意を生涯持ち続けたゴッホも、そういえばプロテスタントでした。

信仰と労働に禁欲的に励むこと。思うにミレーの絵画に見えるのは、次の時代をよびこむ気風がおこりはじめていた、そこに芽生えた新しい倫理観ではなかったかと思うのです。

と思っていたら、館内VTRで、筒井道隆さんがちょっとだけ似たようなことを言っていました。いわく、ミレーは労働者を神話のイメージまで引き上げたのだと。たしかにそう考えると、「種をまく人」が当時賛否を引き起こしたという話も、理解できるような気がします。

http://www.nhk.or.jp/nichibi/40/
NHKの特設サイトで館内VTRに使われていた日曜美術館の動画がみれます。

筒井さんのインタビューはとても面白くて、ミレーが新しいことに挑戦し続けた画家であることを指摘していて、ミレーといえば素朴な農民を描いた画家ととらえがちですが、ミレー好きを自認する筒井さんはさすが、既存のイメージにとらわれず見るのだなあと思いました。

第二展示室は、バルビゾン派の画家たちを中心に、彼らと交流のあった画家の作品をずらりと展示。企画展でも、オンフルール郊外につどった画家(サン=シメオン派)が紹介されていましたが、自然発生的なコロニーとして、バルビゾン派もよく似た感じでしょうか。メンバーも少しかぶってる。

彼らが愛したフォンテーヌブローの森に開発の話がもちあがったとき、テオドール・ルソーやミレーはこのことに反対をして、おかげで森は今日までその姿をとどめているのだという話。しかし19世紀末にすでに環境保護の意識が芽生えていたのだなあと。

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ギュスターヴ・クールベ「川辺の鹿」(1864頃)山梨県立美術館

牧歌的な作品を描いたバルビゾン派の人々でしたが、印象に残ったのが、彼らと交流のあったクールベでした。荒々しい海景画を描くなど、クールベの作品には際立った激しさを感じます。「川辺の鹿」では、追われて森を飛び出してきた鹿の姿が、陽光に浮かび上がる一瞬を描いています。

ノルマンディーの浜辺に集う人々に、高い金額で自分の絵を売ったり、パリ万博のそばで個展をひらいてしまうエピソードを思い出すと、クールベの筆の力で世界を変えようと望むような、自我の強さや熱さを見る気持ちになりました。

個人的に好きだったのが、トロワイヨンです。対象を光と影で浮かび上げる感覚的な演出があって、企画展のノルマンディー展でも、好きな作品がいくつかありました。

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コンスタン・トロワイヨン「市日」(1859)山梨県立美術館

作品は、ノルマンディーの浜辺で動物の売り買いをおこなう人々を描いています。バルビゾン派の作品には、当時の人々の生活を描きとめる風俗画の味わいもあって、そこも好きなところです。

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ところで、サン=シメオン派とバルビゾン派はどう違うの?という質問がネットであって、そういえばと思い直したりしました。パリ郊外フォンテーヌブローの森のそばに集ったバルビゾン派と比較して、ノルマンディー海岸近く牧場に集ったサン=シメオン派は、海のバルビゾン派なんて呼ばれるらしい。

バルビゾン派は労働者をおもに描いて、サン=シメオン派は郊外に余暇を楽しむ富裕層を描いたのだから、思想や感覚に差はあるようにも思いますが、どちらも近代化していく社会の流れにあったことは、やはり似通っているかなあと思います。

企画展と常設展を比較して考えると、サン=シメオン派にはイギリス風景画やピクチャレスクの感性の影響が少し顕著かなと思ったり。かえってバルビゾン派ロマン主義的な眼差しにも気づかされるのですが、親密なものへ向ける視線をより得ていったのは、バルビゾン派の方かもしれません。

企画と常設でそんな比較考察もできる、そんな贅沢な一日なのでした。

甲府市観光など

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芸術の森公園には緑の芝にオブジェがごろごろ。
美術館内のレストランでランチをいただくなど。午後早めについたけど、もっとゆっくりしたかった。

次の日は舞鶴城公園をぐるっと歩いた。
あまりの炎天下に、遅咲きの紫陽花は、かぴかぴになってちょっとかわいそう。

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平日の甲府市は、観光地のよそおいというより、お仕事している人がまばらに行き交って、それもちょっと新鮮な感じ。公園から駅へと抜けたところで、喫茶店を発見したので、お昼がてら入りました。

注文したトーストセットが出てくるまでの間、お店の方がカセットデッキでラジオをつけてくれて、しばらくしてトースターのちん!という音が聞こえてきた。昭和に巻き戻されたみたいなひととき。

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ケーキはホテルのラウンジで食べたやつ。きれいなラウンジだったけれど、そこも平日仕様で、商談している人がほとんどで、地元な風景を垣間見た気がした平日の甲府市でした。