日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

蔡國強展:帰去来&コレクション展 戦争と美術 @ 横浜美術館

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横浜美術館ではNY在住の現代アーティスト蔡國強の、国内7年ぶりの大規模個展を開催中です。

駅のデジタルサイネージで告知されている動画を見つつも、はたしてどんな展示なのかと想像つかないままでしたが、火薬をつかったインスタレーションということで、作品はその瞬間の焼きついた跡といった感じ。発火イベントを念頭において見たほうが、作品の魅力が伝わるように思いました。

子供のころ、父親がマッチの箱に山水画を描いているのを見たことが、蔡國強のアートへの目覚めだったのだそう。はたしてマッチ箱の山水画と火薬の魅力が幼心に結びついたのか、のちにはキャンパスに火薬をまいて火をつける試みに至った蔡氏。母親が麻布で必死に火を消し止める姿を見ながら、「火をつけるより、消すタイミングのほうが重要」だと思ったのだとか。クレイジー。

蔡國強、横浜美術館で火薬ドローイング爆破制作 | インターネットミュージアム

展示会の前に横浜美術館内で、火薬ドローイングの制作が行われたようですが、毎日爆破イベントをするわけにもいかないので、会期中は映像で当日の様子や、これまで手がけたプロジェクトの紹介が流れています。それを見るに、蔡氏の本領はこういったイベントにあるんだろうなと思いました。

美術館におさまるアートは、なにか善いものでなければならないと思われがちですが、けれど表現欲というものは、必ずしも善にもとづくわけではない。イベントとしては高揚感をもたらす爆破表現が、美術館におさめられると、私自身そこになにか意味をもとめてしまうことに気づきました。*1

しかしながら、こむづかしく考えることが良いかどうか別として、こむづかしく考えてみると、蔡氏にとって爆破は、世界を隔てる壁(多くの場合、国境)を打ち破るものではなかったかと思うのです。

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蔡國強「夜桜」(2015年)*コントロールを自然に委ねるなど偶然性をはらむ表現手法に、東洋らしさを感じているとのこと。

幼いころマッチ箱に見た父の山水画、その小さな世界からもっと遠くへと望んだとき、その推進力となったのが火薬の力であったかもしれません。蔡氏にとって国や国境というものは、彼を抑圧するもののひとつだったのではないかと思います。

過去作品、外星人のためのプロジェクト シリーズでは、爆破芸術による宇宙人との交信を夢想していますが、それこそに、国や国境、民族をこえた視点で芸術を描こうとした蔡氏の思いが、写しだされているように思います。

火薬の力が小さな世界を打ち破り、中国や日本という自分をとりまく膜をも打ち破ってくれた。だから彼には火薬の力への信頼があって、世界をつなげるアートにしうるとも考えるのではないか。

展示の最後を飾る「壁撞き」は、透明な壁に向かって飛びかかる狼の群れのオブジェ。

ベルリンの壁が壊されたのち、しかし東と西の併合の難しさを目の当たりにした蔡氏は、「見える壁は壊せるけど、見えない壁を壊すのは難しい」と感じ、見えない壁に、それでも果敢に打ち破ろうと挑むことをやめない、99匹の狼のフィギュアをつくったのでした。

この作品では、狼の目線までしゃがんで鑑賞するひとがたくさんいて、おもしろかった。同じ目線でその先を見れば、狼の見ているものや心境が分かる気がするのかも。インスタレーションやオブジェのおもしろさは、鑑賞者との関係性にあらわれる気がします。

コレクション展 戦後70年記念特別展示 戦争と美術

横浜美術館のコレクション展。この時期は戦後70年の夏にちなんで、戦争と美術がテーマです。

ドイツではナチスシュルレアリスム構成主義など前衛美術を退廃芸術として弾圧していきますが、日本でもプロレタリア美術への弾圧がおこり、同時に戦争を記録し、ときに賛美する戦争画が描かれました。

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世相が戦争へと傾いていく時代、美術のあり方がどうであったかを追います。アートが政治と結びつくことが是か非かという問いを感じ、いろいろと考えさせられました。

日本のポツダム宣言受諾が告げられると、ニューヨークではタイムズ・スクエアにあつまった人々が、見知らぬ人どうし、ハグとキスを交わして喜びあいました。

翌日8月15日、日本でも玉音放送によって終戦が告げられます。報道写真家の濱谷浩は、疎開先の新潟で終戦を知ると、その瞬間外へ飛び出して、青空にぎらぎらと輝く太陽をフィルムに収めたのでした。

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展示はその後さらに、戦後の美術へとうつっていきます。昨日は戦争を称揚していた人々が、今日にはあれは悪いことだったと言っている。いったいあの戦争はなんだったのか。欧米の文化をどんどん吸収していく日本社会にいて、その矛盾を問うような作品も展示されていました。

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ミュージアムショップに雑誌「太陽」が置いてありましたが、こちらは展示に関連して、戦争画の特集。コレクション展では幅広い視点だったものが、雑誌の方では戦争を後押しした「戦争画」のほうに焦点をあてて取り上げています。

ここらに関しては思うところもあったのですが、国立近代美術館でも「誰がためにたたかう」展をやっているので、それまで少し自分の中に感想をためておこうかと。もう会期終了してしまいましたが、太田記念美術館の「浮世絵の戦争画」も同じ軸のテーマで、なかなか面白い展示でした。

戦後70年、それまで言及を避けられていた戦争画へと、眼差しを向ける各美術館の夏の展示です。
いくつか見つつ、美術と政治というテーマは自分なりに考えたいなあと思いました。

*1:「表現欲というものは、必ずしも善にもとづくわけではない」というのは、爆破表現そのものに、破壊願望を感じてしまうからです。蔡國強にとって爆破表現とは、壁を打ち破るものでありつつも、破壊願望も一部あるのではないかと思い、”制限された暴力”というイベント・作品名からも、作者自身、爆破に関して暴力性を感じ取っているように思います。