横浜美術館ではNY在住の現代アーティスト蔡國強の、国内7年ぶりの大規模個展を開催中です。
駅のデジタルサイネージで告知されている動画を見つつも、はたしてどんな展示なのかと想像つかないままでしたが、火薬をつかったインスタレーションということで、作品はその瞬間の焼きついた跡といった感じ。発火イベントを念頭において見たほうが、作品の魅力が伝わるように思いました。
子供のころ、父親がマッチの箱に山水画を描いているのを見たことが、蔡國強のアートへの目覚めだったのだそう。はたしてマッチ箱の山水画と火薬の魅力が幼心に結びついたのか、のちにはキャンパスに火薬をまいて火をつける試みに至った蔡氏。母親が麻布で必死に火を消し止める姿を見ながら、「火をつけるより、消すタイミングのほうが重要」だと思ったのだとか。クレイジー。
展示会の前に横浜美術館内で、火薬ドローイングの制作が行われたようですが、毎日爆破イベントをするわけにもいかないので、会期中は映像で当日の様子や、これまで手がけたプロジェクトの紹介が流れています。それを見るに、蔡氏の本領はこういったイベントにあるんだろうなと思いました。
美術館におさまるアートは、なにか善いものでなければならないと思われがちですが、けれど表現欲というものは、必ずしも善にもとづくわけではない。イベントとしては高揚感をもたらす爆破表現が、美術館におさめられると、私自身そこになにか意味をもとめてしまうことに気づきました。*1
しかしながら、こむづかしく考えることが良いかどうか別として、こむづかしく考えてみると、蔡氏にとって爆破は、世界を隔てる壁(多くの場合、国境)を打ち破るものではなかったかと思うのです。
幼いころマッチ箱に見た父の山水画、その小さな世界からもっと遠くへと望んだとき、その推進力となったのが火薬の力であったかもしれません。蔡氏にとって国や国境というものは、彼を抑圧するもののひとつだったのではないかと思います。
過去作品、外星人のためのプロジェクト シリーズでは、爆破芸術による宇宙人との交信を夢想していますが、それこそに、国や国境、民族をこえた視点で芸術を描こうとした蔡氏の思いが、写しだされているように思います。
火薬の力が小さな世界を打ち破り、中国や日本という自分をとりまく膜をも打ち破ってくれた。だから彼には火薬の力への信頼があって、世界をつなげるアートにしうるとも考えるのではないか。
展示の最後を飾る「壁撞き」は、透明な壁に向かって飛びかかる狼の群れのオブジェ。
ベルリンの壁が壊されたのち、しかし東と西の併合の難しさを目の当たりにした蔡氏は、「見える壁は壊せるけど、見えない壁を壊すのは難しい」と感じ、見えない壁に、それでも果敢に打ち破ろうと挑むことをやめない、99匹の狼のフィギュアをつくったのでした。
この作品では、狼の目線までしゃがんで鑑賞するひとがたくさんいて、おもしろかった。同じ目線でその先を見れば、狼の見ているものや心境が分かる気がするのかも。インスタレーションやオブジェのおもしろさは、鑑賞者との関係性にあらわれる気がします。
コレクション展 戦後70年記念特別展示 戦争と美術
横浜美術館のコレクション展。この時期は戦後70年の夏にちなんで、戦争と美術がテーマです。
ドイツではナチスがシュルレアリスム、構成主義など前衛美術を退廃芸術として弾圧していきますが、日本でもプロレタリア美術への弾圧がおこり、同時に戦争を記録し、ときに賛美する戦争画が描かれました。
世相が戦争へと傾いていく時代、美術のあり方がどうであったかを追います。アートが政治と結びつくことが是か非かという問いを感じ、いろいろと考えさせられました。
日本のポツダム宣言受諾が告げられると、ニューヨークではタイムズ・スクエアにあつまった人々が、見知らぬ人どうし、ハグとキスを交わして喜びあいました。
翌日8月15日、日本でも玉音放送によって終戦が告げられます。報道写真家の濱谷浩は、疎開先の新潟で終戦を知ると、その瞬間外へ飛び出して、青空にぎらぎらと輝く太陽をフィルムに収めたのでした。
展示はその後さらに、戦後の美術へとうつっていきます。昨日は戦争を称揚していた人々が、今日にはあれは悪いことだったと言っている。いったいあの戦争はなんだったのか。欧米の文化をどんどん吸収していく日本社会にいて、その矛盾を問うような作品も展示されていました。
ミュージアムショップに雑誌「太陽」が置いてありましたが、こちらは展示に関連して、戦争画の特集。コレクション展では幅広い視点だったものが、雑誌の方では戦争を後押しした「戦争画」のほうに焦点をあてて取り上げています。
ここらに関しては思うところもあったのですが、国立近代美術館でも「誰がためにたたかう」展をやっているので、それまで少し自分の中に感想をためておこうかと。もう会期終了してしまいましたが、太田記念美術館の「浮世絵の戦争画」も同じ軸のテーマで、なかなか面白い展示でした。
戦後70年、それまで言及を避けられていた戦争画へと、眼差しを向ける各美術館の夏の展示です。
いくつか見つつ、美術と政治というテーマは自分なりに考えたいなあと思いました。
*1:「表現欲というものは、必ずしも善にもとづくわけではない」というのは、爆破表現そのものに、破壊願望を感じてしまうからです。蔡國強にとって爆破表現とは、壁を打ち破るものでありつつも、破壊願望も一部あるのではないかと思い、”制限された暴力”というイベント・作品名からも、作者自身、爆破に関して暴力性を感じ取っているように思います。