調べものをしていたら、ほぼ日さんのコンテンツで、はじめてのジャズというイベントの様子を書き起こしたものを見つけて、ページ分割19あるんですけど、夜中に読み込んだりしてました。
山下洋輔さんがスタンダードなジャズ史を語るとなりで、タモリさんが乱暴なこと言ったりして面白かったんですが、紹介されてる楽曲も良くて、ついつい調べ込んだりしてしまったもので、自分用にメモと言う感じのエントリーです。
と、まあ、ジャズを知ってる人にはつまらないことしか書いてないので、元記事読んだほうが、山下洋輔さん率いるバンドの演奏の試聴もできて、ずっとおすすめです。
ジャズ前史 ブルース/ワークソング
アメリカという新大陸で、アフリカとヨーロッパがまるで衝突するようにして出会った。
その結果、生まれたのがジャズです。
ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめてのJAZZ2 ほとんど丸ごと再現ツアー
アメリカ大陸にアフリカ系の人々が奴隷として連れてこられたのが1619年。同時に、植民地宗主国の人々によっても西洋音楽文化が持ち込まれました。そうした中でもクレオールの人たちは、双方の音楽文化に触れる機会があり、その混ざり合いから新しい音楽ができてきたのでした。
アメリカ新大陸にさまざまな人々が移り住んで、100年ほどの期間、ジャズが生まれる前のアフリカ系アメリカ音楽には、ブルースやワークソングがありました。
ブルース歌手ロバート・ジョンソンは、ミシシッピを飛び出して北へ、シカゴ、ニューヨーク、カナダと旅をしながらデルタ・ブルースを広め、「クロスロードで悪魔と契約した」という伝説があるほど卓越した技術で、土地のミュージシャンたちの演奏を自分のものにしていきました。
ワークソングはその名の通り労働歌。Black Womanという歌が良かったのだけど、itunesになかったので、BlackBettyという歌で。アラン・ローマックスはアメリカの民族音楽を収集・記録した研究家。この曲の初期録音は、海外版wikipediaを読む限り、刑務所で収録されたもよう。
ワークソングにはコール・アンド・レスポンスの原型が見えるのですが、強制労働で働く囚人たちの哀歌という側面もあります。ナット・アダレイ「ワークソング」はファンキー・ジャズの代表的楽曲。労働歌というにはすっかり洗練されてますが、掛け合いは引き継いでいるのかな。
ラグタイム
ブルースやワークソングにはまだなかったのが音楽理論。アフリカ系アメリカ音楽を西洋音楽の教養でピアノ音楽にしたり、彼らのダンスのリズムを取り入れたクラシック曲が作られたりして、2つの文化がゆっくり混ざり合っていきます。
農場奴隷の息子に生まれたスコット・ジョプリンは、その才能に気づいた母親がピアノを買い与えたことで、10代でサロンや売春宿でピアノを演奏して稼ぐほどに。クラシック演奏家への夢を抱き、大学へも通います。ヨーロッパ音楽にアフリカ系アメリカ音楽のハーモニーとリズムを取り入れた彼の音楽は、のちにラグという音楽ジャンルとして知られるようになります。
https://itunes.apple.com/jp/album/maple-leaf-rag/id531130426?i=531130518&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog
そんなこともあってアメリカで流行したラグタイム。ケーク・ウォークは、もとはケーキをかけて競った黒人のダンス*1。20世紀初頭の華やかなりしパリ、モンパルナスでもラグタイムダンスが流行り、ドビュッシーはそこからインスピレーションを得たのかもしれません。
ジャズ黎明期 ディキシーランド・ジャズ
1920年に施行された禁酒法に、マフィアたちは密造酒の輸入、もぐり酒場の経営などで莫大な利益をあげました。ジャズ・エイジ*2と呼ばれた狂乱の1920年代、ジャズは酒場で大いに演奏されました。しかしこうした文化は、1930年の世界恐慌で鳴りを潜めてしまいます。
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アル・カポネもジャズが好きだったそうで、お膝元シカゴでは、ルイ・アームストロングや、ジャズ・ピアノの父と呼ばれたアール・ハインズが活躍しました。ニューオリンズのバンドがシカゴ、ニューヨークに流れて広められた、この辺りをディキシーランド・ジャズといいます。
ニューヨークのハーレム地区にあった高級ナイトクラブ「コットン・クラブ」も、多くのジャズ・ミュージシャンを世に出しました。このクラブの専属バンドとして活躍したのが、「A列車で行こう」などの楽曲で知られるデューク・エリントンです。
第一次黄金期 スウィング・ジャズ
1933年には禁酒法が撤廃され、景気も上向きになり始めました。明るい兆しが見え始めたこの時代に、陽気なビッグバンド・ジャズが支持されます。グレン・ミラーやベニー・グッドマンといった白人のビッグバンドが、その人気に大きな役割を果たしました。
ロマンチックなメロディで人気の高いグレン・ミラー。トロンボーン奏者で売れない日々に苦しみますが、彼が結成した楽団で、奏者の諸事情からトランペットの箇所をクラリネットに変えたことで、クラリネット・リード奏法ができあがり、数々のヒット曲のきっかけとなりました。
https://itunes.apple.com/jp/album/one-oclock-jump/id41266085?i=41266107&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog山下さんもタモリさんも「スイング感ある」というのがカウント・ベイシー。スウィングとはなんぞやという感じなんですけど、ジャズ特有のリズムだとか、ものすごい手練れの者がゆるっとやってみせる技だとか、人によって説明がいろいろでして。
スウィング・ジャズは、白人たちが黒人音楽を自分たちの音楽の流れにしようとした、みたいな説明もどこかで読んで面白かったんですが、哀歌という歴史的な感情面を省いて、スウィングなどの演奏スタイルをもっていちジャンルとしようとした、と解釈もできるかもしれませんね。
黄金時代 モダン・ジャズ
なんにせよ、ジャズがアメリカ音楽となった時代でもありました。そうした表舞台の一方で、譜面どおりの演奏をするビックバンドとは異なる流れが起こってきます。
NYのジャズクラブ「ミントンズ・プレイハウス」のオーナーはジャムセッション参加者に飲食を振る舞って、野心的な奏者を集めることに成功します。アフターアワーズのセッションでアレンジをたたかわせる中から、ビバップが始まり、モダンジャズの時代が幕を開けました。
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アート・テイタムはスウィング・ジャズの伝説的ピアニスト。クラシック奏者を目指していましたが、門戸は開かれず、ジャズの道を選びました。先天性の白内障で視力のほとんどないテイタムでしたが、ひとたびピアノの前に座れば、超絶技巧で多くの音楽家を魅了したといいます。
アート・テイタムの演奏は、モダン・ジャズ前夜といったところでしょうか。メロディを弾きながら、ハーモニーをどんどん変えていく。こうした和音をもとにしたアドリブ展開は、アルトサックス奏者"バード"こと、チャーリー・パーカーによってより明確におしすすめられ、”ビバップ”スタイルができあがります。
https://itunes.apple.com/jp/album/confirmation-take-3/id134756800?i=134756854&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog
チャーリー・パーカーの即興演奏をピアノで引き継いだのがバド・パウエルです。ピアノ、ベース、ドラムで編成されるピアノ・トリオを取り入れたパウエルは、右手の演奏に特化することでメロディラインを引き立たせ、ピアノでの即興スタイルを作り上げました。
実験的な演奏から、大衆の嗜好に近づいたハードバップの時代、ソロのアドリブ演奏が前面にでて、よりメロディアスなフレーズが好まれます。トランペット奏者のリー・モーガンは、そのスタイリッシュな着こなしとあわせて、ハードバップのイメージを大きく担いました。
https://itunes.apple.com/jp/album/p.s.-i-love-you/id2745756?i=2745736&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog
チャーリー・パーカーとともにミントンズ・プレイハウスでジャム・セッションをしながら、一風変わった演奏スタイルで唯一無二の存在感をもったピアニスト、セロニアス・モンク。
バド・パウエルに音楽理論を教えたりもした教養あるモンクでしたが、自身の演奏の突飛さはなかなか理解されず、長らくバックミュージシャンをつとめる日々。どうも彼は理論のその先を見ていた、あえて理論からのずらしをしていたのではないか、などと、そのミステリアスな演奏に惹きつけられるファンも多いようです。
さて、ここまでは個人技を中心に見てきましたが、ジャムセッションは技巧だけではなく、和音の解釈にもとづくアレンジ展開、つまり頭脳の競い合いでもありました。理論というルールのもとでの競争という一種スポーツのような演奏は、ビバップ時代の特徴でもあります。
https://itunes.apple.com/jp/album/bags-groove-take-1/id815927760?i=815927862&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog「Moanin'」は32小節の繰り返しの中で、それぞれの奏者がアドリブ演奏をしてコーラスを繋いでいきます。立ち上がりリー・モーガンのトランペットにはじまり、テナー・サックス、ピアノ、ベースとそれぞれにアレンジを効かせて展開を見せていく。
「Bag's Groove」の仕上がりはTake 2の方がいいらしいのだけど、Take 1では、リーダーのマイルス・デイヴィスが年長のモンクに、トランペットのバックではピアノは控えるようにと言ったとかで、全体にピリッとした緊迫感が漂って、人によってはそこに聴き応えがあるらしい。
この緊張感から一転して「Cool Struttin'」は、ゆったりしたテンポながら、おのおののアレンジはしっかり聴かせる。
メロディを聴くというより、奏者が演奏でお互いに綱引きをする、ときにスリリングに、ときに遊ぶようなその駆け引きを楽しむのも、ジャズの醍醐味であるようです。
モードジャズ
しかし、アレンジ合戦も次第にマンネリ化を見せていきます。なぜなら分解したコードをもとに展開していくことには、導かれるスケールやフレーズに限界があるから。そこで、コード進行にもとづくアレンジ展開をやめてしまおうとしたのが、マイルス・デイヴィスです。
もとのコードに音を足したり、別のコードに置き換えたり、転調したり…これまでのコードを複雑化する方法と真逆に、彼はコード進行を単純化し、音階での展開を試みました。「So What」で使うコードは2つだけ、そこに古い教会音楽で使われた音階でアレンジ展開していきます。
https://itunes.apple.com/jp/album/india/id14178213?i=14178215&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablogコードのしばりや、短調から長調への推進といった力学からの解放は、アレンジ展開の可能性を広げました。そこからさらに、西洋音楽の理論的応用から脱したフリージャズが現れてきます。
ジョン・コルトレーンは遅咲きながら20世紀最大のジャズの巨人となったサックス奏者。当初は評判の振るわなかったものの、セロニアス・モンクに音楽理論を教えられてから演奏が変わり、ハードバップ、モードジャズ、フリージャズと、それぞれの時代に大きな足あとを残しました。
そのコルトレーンが晩年に「尊敬する人物」として挙げたのが、フリージャズを切り拓いたオーネット・コールマン。理論中心でスノッブなものになってしまったジャズを、もっと原始的なものにしようとした。「Lonely Woman」は不協和音でできているのに、ミステリアスで美しい。
フリージャズの背景には、1964年以降激しさをました公民権運動があるのだという説もありました。初めは西洋音楽理論の否定であったフリージャズも、次第に理論の再構築が試みられるようになった、というところでこのまとめはおしまいです。イベントもだいたいこの辺までなので。
https://itunes.apple.com/jp/album/youre-my-everything-false/id820337973?i=820338022&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog
https://itunes.apple.com/jp/album/stardust-live-1947-civic-auditorium/id137253876?i=137253913&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog
さいごに山下洋輔さんとタモリさんがついつい聴いてしまうというアルバム。マイルス・デイヴィス「Relaxin'」二曲目は、試聴にはさすがに入ってないけど、曲に入る前に楽器を鳴らしたり、「栓抜きどこ」みたいな会話が混ざってる。
ライオネル・ハンプトン 「スターダスト」は、寄せ集めのメンバーで演奏しようとして、この曲しか全員が知ってる曲がなくて、じゃ、まあこれで、って始めるのだけど…ってほぼ日さんに記事があるので、ぜひ読んでみてください。
雑感
難しいというイメージのあるジャズ。たまたま概論的にまとめてみて、改めて思ったのは、難しいなと。難しいからこそ、その深さにはまる人もいるのでしょうけれど。
というのも、ある程度聴きこまないと、見えてこないものがあるというふうに感じたからです。ジャズとは人の音楽である、と今回読んだたくさんの記事のひとつに書かれていましたけれど、メロディを聴くだけではない、演奏に現れる気質のようなものまで見てて、その人と人の演奏のぶつかり合いに、面白さがある。
でもそれってやっぱり、ある程度聴かないと分からない部分かなあ、と。そういうところはアートにも似ていると思いました。つまり、鑑賞経験を積んでしか見えてこないものがあるけれど、その手前にいるうちは、好きか嫌いかでしかとらえることができない。
ジャズの歴史をざっと追ってみて、超絶技巧のプレーヤーに惹かれがちだったりで、セッションの良さを(体感として)分かるようになるには、まだまだ時間がかかるなあと思ったのでした。
まともに感想書くと長くなる、と思ったので、雑感的なものはエントリーをわけました。
ちなみに、itunesのアフィリエイトはやってませんが、amazonはやってます。あっこれ、アマゾンで貼ればよかったかな〜。
関連URL
*1:諸説あります
*2:フィッツジェラルド『ジャズ・エイジの物語』に由来する。ニューオリンズで女性器や性行為をjass、売春宿をJass Houseと呼んだことから、狂乱を表すのにジャズという言葉を使ったと思われる。音楽のジャズは、Jass Houseで演奏するバンドをJASS BANDと呼んだからという説がある。