日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美 | Bunkamuraザ・ミュージアム

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Bunkamura 広告/サンドロ・ボッティチェリ「ケルビムを伴う聖母子」1470年頃|ウフィツィ美術館

バンクス花譜集展に続いて、Bunkamuraザ・ミュージアム今春の展示はボッティチェリルネサンス

メディチ家の保護をうけルネサンス期に数々の傑作を残したボッティチェリ
展示は、ルネサンスを象徴するメディチ家と画家ボッティチェリをふたつの軸に、フィレンツェの華やかな一時代の興亡を追うつくりです。

フィレンツェにおこった近代経済の成立から、フィレンツェルネサンスを衰退させた修道士サヴォナローラ宗教改革まで、美術品を通して歴史を知る。世界史好きな人は絶対行ったほうがいいよ!ってくらい面白かった。論文ひとつ読むような濃密さでした。

それに加えて今回は日本初公開作品をふくむボッティチェリの作品17点という堂々たるラインナップ。
作品の感想をちょっとと、展示会コンセプトのルネサンスフィレンツェの経済についてまとめようと思います。

銀行家の芸術支援と聖母像

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サンドロ・ボッティチェリ 「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」1477-1480年頃 ピアチェンツァ市立博物館*展示期間3月21日~5月6日

聖母子像の作品が多かった今回の展示会。入ってすぐ来館者を迎える「ケルビムを伴う聖母子」や、円形の美しい額に収められた「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」には思わず心を奪われます。とくに「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」はイタリア政府の門外不出リストに登録される一品。

見事な額縁は2003年の修復の際に、ルネサンス期の彫刻・木工細工師ジュリアーノ・ダ・マイアーノの工房の作だと判明、当時は金箔が施されていたことが分かっているそうです。
その額縁つきの作品は下記サイトで見れます。

額のモチーフは麦かな? 別の絵の説明で、パンの原材料になる麦は、イエスが「私の体である」と述べたことに重ねて、イエス・キリストの体の象徴として使われると書かれていました。ゴッホが最晩年に描いた刈入れどきの麦畑が死を想起しているというのも、そこからきているのかなと思ったりした。

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サンドロ・ボッティチェリ「聖母子と洗礼者ヨハネ、二人の天使」1468年頃 フィレンツェ,アカデミア美術館

ちょっと気になったのが「聖母子と洗礼者ヨハネ、二人の天使」という作品。母マリアのそばに二人の天使と、その背後に洗礼者ヨハネの姿があります。マリアとヨハネは半ば目を伏せるようにして、子イエスを見つめているのだそうです。そして幼子が見上げる上方は、開けた青空。

ヨハネの位置からは母の腕の中の赤子は見えないように思えますが、記号的なポーズとして解されるのでしょうか。一方イエスも、まっすぐに天を見上げて、赤子のわりにははっきりした意識をもっているようです。どこか不自然ではありますが、それぞれの表情やポーズは意味性の上に置かれています。

ヴィーナスの誕生」の女神は、のちのマニエリスムにつながる、身体を引き延ばして描く描写が見られますが、この作品のデフォルメというに近い人物たちの関係性の自在さにも、独特なものを感じました。ありのままを描くのとは異なる、内面性をもとにした誇張表現というような。

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サンドロ・ボッティチェリ 「受胎告知」1481年頃 フィレンツェウフィツィ美術館

今回のメイン作品、横幅5メートルの大作「受胎告知」は、サンタ・マリア・デッラ・スカラ施療病院の回廊に描かれたフレスコ画です。マリアの水色の衣服と、対から現れる大天使ガブリエルのオレンジの衣服は淡い赤紫の背景で結ばれて、色彩の対比、静と動の対比など、音楽的な美しい一枚。

大天使の衣服や髪が風になびいているのは、すごい速さで現れたためではないでしょう。90年代音楽シーンでよく見られた、ビルや崖の上や、送風機の前で歌ったりするときのあの煽り風かもしれません。

というのは冗談で、地上にふわりと降りたつ様子を描いています。絵の中に誇張した動きの効果を入れているのも、この絵の魅力的なところです。背景の「閉ざされた庭」は処女であることの隠喩。つまり受胎告知を受けたマリアが処女であったことを示唆しています。

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サンドロ・ボッティチェリ 「ヴィーナス」1482年頃 トリノ,サバウダ美術館

ヴィーナスの誕生」の女神を主題に黒の背景で描いたものは、この作品をふくめて3点知られているそうです。解剖学的な正しさを失わせても、姿形の美しさを強調して描かれています。優しい色彩の中の「ヴィーナスの誕生」とは違った味わいがあります。

黒の背景に立って女神のポーズが示す恥じらいは、より際立って感じられるようです。この絵で女神は透けるような衣装をまとっています。背景に薄手の布が闇に透けてたなびくのが見えます。

古代彫刻「恥じらいのヴィーナス」のタイプから着想を得たという一連の作品ですが、15世紀のイタリアにおいては極めて異教的で享楽的なテーマでした。メディチ家の独裁政治を痛烈に批判し熱烈な支持を集めた修道士サヴォナローラによって、このような芸術は「虚栄の焼却」にさらされていきます。

メディチ家の庇護を受けながらルネサンスの気風の中で作品を描いたボッティチェリでしたが、サヴォナローラの思想へ傾倒したのちは、不安感と不均衡、戒めのテーマなど作風に変化が見られます。表現の春を謳歌した画家の心境の変化がどのようなものだったのか、ぼんやり考えたりしました。

最後は少しさみしい締めくくりですが、まるでフィレンツェとともにその生涯を生きたようなボッティチェリの作品を、歴史の大きな流れの中に見るような美術展でした。


*3/28(土)〜6/28(日)渋谷Bunkamuraザ・ミュージアム


フィレンツェと近代経済についてのテーマでの感想。

作品の感想

ボッティチェリ聖母像は淡い色彩に豪華な額縁がよく似合って、展示では優美な雰囲気をたっぷり味わえます。けれども実はそれよりも、記号としてのポーズをとる人物たちや誇張された身体など、独特の雰囲気が印象に残りました。

また、ボッティチェリの作品ではないですが、一枚の絵に物語の推移が描かれた作品が何点かありました。日本画では時おり屏風一枚に季節の推移を描いたりするので、時間の自由な捉え方がここでも見られたことに、ちょっと驚きました。

私が考えていた遠近法や写実性などの西洋絵画らしさというものは、長い歴史の途中から現れてきたものかもしれないと思いました。

最近行った府中美術館の動物画展の図録では、絵画における主題としての動物を、西洋と日本で比較されていました。とても興味深く読んだのですが、西洋に動物を愛でる心がなかったわけではなく、厳格な西洋絵画の枠組みでは、動物が主題になりづらかったのだというようなことが書かれていました。

西洋と日本の違いを考えるときに、互いの世界で何が欠けていたのか? ではなく、何を重要視したのか、ということを見ていくほうが、意義深いのかもしれない。空間や時間を自在にとらえる作品は西洋にもあって、ただ変遷の過程で、空間・時間の厳格なとらえかたを重視していったのだと。

西洋絵画の厳格さと、それとは逆の自在さについて考えたりして、思わぬ面白さがありました。