日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

[雑文]喋るように歌う - 音楽と方言について

音楽と方言について、つらつらと。

久しぶりにカラオケに行って楽しかったので、むかし聞いてた曲をひっくり返してた土曜の夜。
Coccoのエメラルドというアルバムをitunesでダウンロードしなおし、たぶん数年前も聞いてただろう「ニライカナイ」「絹ずれ」などをYotubeでみたりして、感慨にふけっておりました。

エイサーの掛け声からはじまって、クランベリーズっぽいファルセットがまじって、こんなかっこよかったっけ、と思ってしまった。

https://itunes.apple.com/jp/album/dreams/id14393107?i=14393109&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog

2000年 沖縄サミット、こういう感じだったらかっこよかったのになあ!
と、思いつつ。といっても、安室奈美恵も私はとても好き。むしろどちらかというと、共感があるのは彼女の方かも。

どの辺に共感があるのかということを語ると、私がリア・ディゾンも大好きなことをつけ加えなければならないのですが、フィリピン人とフランス人の両親をもち、彼女自身はアメリカに育って、日本の文化に興味をもっていたという、ごちゃ混ぜ感があるところが、たぶんに好きなのです。

Again and Again

Again and Again

その話のながれからいくと、Coccoには混ざりけのないものを感じます。
このプロモーション・ビデオを見て、私は椎名林檎を思い出していたのでした。

それから宮川香山の超絶技巧「高浮彫り」も。
クニ(文化的側面としての国)の輪郭の強さというか。
素晴らしいとは思うけれど、どこか膜の厚さを感じて、その内側にふれることができないような。

そんなことを書くと批判めいてるようだけど、そうではなくて、一歩引いて見ようとする自分の意識がふとできてしまう、ということです。

Coccoは自分とちがうなあと思いつつも、とても惹かれる人です。
祖父を沖縄芝居役者に、父を美術家にもって育ち、ドキュメンタリー映画「大丈夫であるように」では、日常に歌があって踊りがあったこと、祖父についてなど、いくらかふれています。

この映画は少し見る人を選ぶかもしれないけれど…ライブシーンもたくさんあって、何よりも、彼女が自分の中にある濃い「沖縄」の像との距離感に、若い頃は煩いがあったこと、でもそれが自分と切り離せないもの、自分のものなのだと気づいたこと。そういう揺れが見えて、とても好きな作品です。

それに「絹ずれ」のウチナーグチVerもすごい好き。たまたまテレビで見たんだと思うけど、ざーっと鳥肌たった。

再活動後の彼女の曲は、つき抜けるような爽快感のある曲が多いような気がしていて、クランベリーズがいちばん近いけれども、逆に身近なところで、リターン・トゥ・イノセンスって曲で勝手にサンプリングされて、その歌声を世界に知られた台湾の郭英男を思い出したりもします。

老人飲酒歌

老人飲酒歌

  • 郭英男 & 馬蘭吟唱隊
  • マンドポップ
  • ¥153

台湾の張惠妹も、デビュー当時はこういった民族的な歌唱を取り入れてましたね。プユマ族出身として台湾で話題になって、今はグローバルに活躍する張惠妹ですが、中国の国歌を歌ったことでコンサート休止に追い込まれたりと、彼女も背負うものが何かと大きなミュージシャンであるように思います。

あと、情報を集めてるうちに台湾の歌手、蔡依林と安室奈美恵のコラボレーションした曲を見つけてしまった。台湾のアイドルは、飛行機の機内オーディオでたまたま聴いて、すごいはまった時期があるのですよ。蔡依林すごいかわいいの。「說愛你」「桃花源」あたりね。

蔡依林と安室奈美恵で、アジアの歌姫ってところですかね。なんか感慨深い。

で、いろいろ掘り起こしているうちに、別のひとの曲にも行き当たった。

喋るように歌うといえば、トレイシー・チャップマンとか、ネリーとか。スペインの南部訛りで歌うBebeとか。ほんと、こういうの好き。

So

So

Malo

Malo

  • bebe
  • ポップ
  • ¥255

Cocco沖縄本島のひとだけど、下地イサムは先島諸島宮古島のひと。

もともとは東京で働いていたみたいですが、島に戻り、むかしから音楽をやっていたこともあって、思いつきで弾き語ってカセットテープに吹き込んだものを身近なひとに渡したら、それがあっという間に島中に広がったのだという話。

島の人は近所にでかけるとき、草履で行き来するわけですが、島の草履にそうそうバリエーションはないので、ひとしきりおしゃべりした後、適当な草履をはいて帰っていき、こうして草履入れ替え事件が発生します。

サバ(草履)ぬにゃーん、は「あれっ俺の草履がない!あの草履、高かったんだよ!」という島ならではの出来事をうたった曲です。

サバぬにゃーん (Lost my sandal)

サバぬにゃーん (Lost my sandal)

  • 下地 勇
  • ワールド
  • ¥255

これ聴いて、宮古島の方言って美しいんだなあとびっくりした。

方言を際立たせて、芸術の域にまで持っていくのは、たとえば「仁義なき戦い」の広島弁もそう。
特別というわけではないし、どの方言にも特有の美しさはあるけれど、こういう形を与えられる機会があってはじめて、気づくことができる。

けれど、こういった文化も、あと数世代経れば、消えてゆくものなのかもしれない。
方言というものを、自分の言葉のように話せない私も、その流れの先端のほうにいるのかもしれない。

下地イサムの歌には、文化の輪郭はあまりないように思います。
いろいろなものと溶け合って、今という時代にふと浮かび上がった、はかない輪郭。
だから何度聴いても、感じるものがちがうのかも。昨日と今日の風がちがうくらいの、ささやかなちがいだけれど。

そういえば、なんでしゃべる時は方言なのにブログで標準語になっちゃうの、っていう記事を読んで面白かったんですけど、不特定多数に向けるときはどうしても標準語になってしまいますよね。でも、自分が自分であることと結びついているのは、方言のほうだったりする。

方言は使わないと消えていってしまうし、ブログでも音楽でも、映画でも、方言を際立たせると、それはその時代に刻印する行為でもある気がしました。