日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

母ヤギは子ヤギの夢を見るか

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ふと考えたことがある。子ヤギと離れ離れになったとき、母ヤギは「あの子だいじょうぶかしら」と心配することがあるだろうか。

ヤギは現金な生き物で、目の前にあることによく反応する。おいしい草に惹きつけられても、視線の先を別の餌に向けてあげれば大丈夫、今度はそっちのほうに夢中になる。

哲学的ゾンビという言葉がある。私たちは自分で考え、判断しているような気になっているが、それが本当に自分の判断だったのかは、科学的に証明できない。他者との会話で、私が「そうなんだ、すごいね」と答えたとき、脳からの指令より先に「答える」という行動をおこしている。

それは「考えて判断」したのではなく、ただ反応したにすぎないのだ。人間でさえその仮説があるならば、いわんやヤギをや。ヤギは目の前の子ヤギを我が子だと反応して可愛がるものなのだが、もし目の前に子ヤギがいなければ、もう子ヤギのことを心配しないのかもしれない。

母ヤギがいなくなると、たいていの子ヤギは寂しげな姿を見せる。心情でいえば、やはりそれは母を恋い慕うものに見えるが、それさえも、人の心がそのように写し見ているにすぎないのかもしれないのだ。

その思いつきは、時期がくると離れ離れになる親子ヤギをしのぶ私にとって、正直なところ一種の安らぎに思えたのだった。

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双子ヤギの母親になったベティ

そう考えてから一年ほどがたった。ベティは二度目の出産をして、双子ヤギの母になった。母になる時期が他のヤギより遅かっただけに、彼女の強い母性本能にはしばしば驚かされた。

子ヤギたちが生まれてしばらくいた部屋がお気に入りで、格子をすり抜けて、夜はその部屋で寄り添いあって寝るという日々が続いたのだが、ベティはいつまでたっても戻ってこない我が子をさがして、どっぷり夜になった牧場を、かぼそい声でメーメー鳴いて我が子を探すのである。

こんな寒い夜に一匹だけいつまでもどうして、と思って、理由が分かって、なるほどと思った。その日はベティだけ特別にその部屋へ連れていき、子ヤギたちと一晩をすごさせてあげたのだった。

母ヤギは目の前にいない我が子を心配するか? その答えはもう出ていた。彼女たちは姿の見えなくなった子ヤギを探して、寒い夜でも呼びかけて歩くのだ。

いつだったか、牧場の外を逃げ回っていた子ヤギをとらえたとき、暗くなりかけた夕闇のむこうから、母ヤギアリスがじっと私を見つめるのに気がついた。今まで心配して「帰ってきなさい」といわんばかりに「ンーンー」と鳴いていたのに、そのときアリスは子ヤギではなく、私を見つめたのだ。

それはまるで「我が子に何もしないでくれ」と強く思い訴えるようでもあった。

またあるときは、子ヤギのハンナが、夕暮れどき、いつまでも小屋のむこうをずっと眺めているのを見つけたことがある。長いトンネルの先に、ほのかに見える光のように、小屋をはさんで反対側の小さな庭が青白くうかびあがっているのだった。母ヤギと別れて間もないときだった。

あのなんとも言えない時間を、人の心の写す心象だと思おうとしてきた。今もなかば、そのように思っている。けれども、やはり母ヤギは子ヤギを思うし、子ヤギは母ヤギを思うものなのだ。それは、ふだん彼らがお互いの姿をさがして寄り添い、夜を過ごす姿を見ていれば、ごく自然なことだろうと思う。

子ヤギのメルがひとりになったときは、はじめにケニフおじさんのところに寄り添った。何か違うと思ったのか、それからハンナのそばにいって、彼女のにおいをかいだあと、少し離れたところで寝そべるのだった。メルは母の姿を探していたのかもしれない。分かっていたのだけれど、そう思うことが、私はどこか怖かったのだと思う。

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母シンディーと別れた日のメル。ケニフおじさんに甘えている。

ベティの初めの子、ニーナは、出産と下痢症がかさなり、三ヶ月ほど闘病したが、残念な結果になってしまった。先に下痢症を発症したメルにかかりきりで、彼女のことをあまりかまってやれなかった。メルのことが終わったあと、ニーナについても覚悟をした。治療したメルは想像以上に苦しめてしまったし、それだけに、ニーナは静かにいかせてあげたいという思いがあったのだ。

ニーナがなくなる前日、隔離していた部屋から、母を慕って彼女はメーメー鳴いた。近くの部屋に、母ヤギベティの気配がすることに気がついたのだろう。これが最後になるかもしれないと思って、彼女をベティーのそばにつれていった。

格子の金網ごしに、ベティーはニーナにちかよった。彼女の子は自力でたてず、敷き藁をしいた箱の中で丸くなっていた。我が子のにおいを確認したあと、ベティーはニーナに、その無角のあたまをぐっと押し当てるのだった。そうしてその場を去ろうとする母に、ベティーはもういちど鳴いた。母はさりがたく振り向いて、我が子をふたたび眺め見たのだった。

ヤギの心はひとには分からない。あのときベティーは我が子の最期を感じ取っていただろうか。そうしてそれを受け止めたのだろうか。

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母ヤギべティーと子ヤギのニーナ。週末の庭で。

見ないようにしたいだけで、世の中はもっと残酷で、もっと情緒に満ちているのかもしれない。その心をそうだと受け止めることで、私は人の世界の原理でしか彼らに接することのできない罪を、自分のものとして認め得るのだろう。