日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

スタンド・バイ・ミー ヤギ編

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子ヤギたちは生後三日ほどすると小屋を飛び出して牧場デビューし、ぴょこぴょこ跳ね回りながらこの世界を謳歌している。一週間をすぎると、柵の隙間をくぐり抜けて、外の世界に冒険をしにいく。耕運機や草のストックが積まれた建物の奥は、長々と続く雨の日に格好の遊び場だ。

三匹の子ヤギはつれだって新しい世界に踏み出し、藁の上ではねてみたり、耕運機の下で休んだり。ときおり母ヤギが心配してメーメー呼びかけるが、お構いなし。「お母さんもおいでよ」と言っているかどうか、ときおり鳴き返してみせるけれど、戻る気はない様子である。

子ヤギの好奇心は旺盛で、狭いところにも入っていくし、建物の続くところ奥までも探検する。三匹いれば恐いものは何もないといった風だ。この頃の子ヤギたちは力関係も何もなく、母親がちがってもお互いにじゃれあっている。

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三匹のあとをつけてカメラを向けた。ファインダー越しに無邪気な子ヤギたちを見ていると、なんとなくスタンド・バイ・ミーを思い出した。小学生の頃に映画を見て、たいへん影響をうけた私は、幼なじみの子に「みんなで家出したいね」と夢を語ったことがある。

幼なじみは意外にも同調してくれて、私たちはさっそく家出をすることにした。おろかな私は母親に「家出することにした」と話し、親同士の話し合いがもたれ、代わりに家族ぐるみでバーベキューしようという話になる。「そうじゃないんだよ」と思ったが、口にはできなかった。子どもには大人の目の届かないところに、自分たちだけの世界をもちたい時期があるのだ。

スタンド・バイ・ミーは単なる少年たちの冒険物語ではない。主人公たち4人の関係性が永遠ではない予感が、物語のなかに散りばめられている。その陰りが、あの夏の日の短い冒険をいっそうまばゆいものにしている。

物語は原作者スティーブン・キングの半自伝的小説とされるが、もしそうならキングの物語の舞台がだいたいいつも郊外の田舎町なのは、彼の少年期の原風景によるものなのだろう。物語の底に流れる「どこにも行けなさ」は、田舎育ちの私じしん共感をおぼえるところがある。

幼いころは無邪気によりそいあえた友人が、成長するにつれ別々の道を歩いて行く。かれらの道行きのはざまにある溝は、かれらの背負う家庭環境の差に起因している。いつかは大人の事情に絡み取られ、その窮屈な世界に閉じ込められるのだけど、いまこの時は、つよく願えばどこまでも行けるような気持ちでいる。

人間の私にも興味津々のまなざしを向ける子ヤギに、そんなことを考えていた。母親のよぶ声に、恋しくなったのか一目散に駆け出して、小屋の方へと戻っていく。お乳でお腹いっぱいになったら、また遊びにもどってくるのだろう。

子どもの仕事は遊ぶこととはよく言ったもので、人間もヤギも変わらないみたいだ。この世界がどこまで続いているのか、土の匂いや草の歯ざわりを確かめながら、世界を知ろうとしている。子ヤギたちが少々はめを外しても、そっと見守るだけにしようと思うのだった。