日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

映画の感想 - ハクソーリッジ

観てから時間がたってしまったけど、感想の下書きをしてたので、ちょっと改めて投稿を。

今年の夏はなんとか映画館でハクソーリッジを見ることができました。いつもはディズニー映画とアメコミヒーロー、と子ども向け映画をおもに上映している映画館だけど、その合間をぬって大人向けの作品を上映してくれます。

アート映画やドキュメンタリー作品も上映してくれるので、なんだかんだ毎月一回は映画館に通っています。沖縄戦で戦場となった前田高地を舞台にしているハクソーリッジは、きっと上映してくれるにちがいない、と思っていただけに、上映が決まった時はとても嬉しかったです。

感想をなるべく手短に。

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© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

第二次世界大戦のはじまろうとするさなか、信仰心から人を殺さないと神に誓いながらも、軍隊に志願する青年ギズモンド。若者たちが進んで戦地に向かう中、自分も衛生兵として前線で戦う兵士たちの助けになりたいと考えていた。しかし訓練でかたくなに銃を持つことを拒否する彼に、上官や同僚たちは不満をつのらせていくーー。

戦争映画ではあるけれど、私個人的には戦争うんぬんというより、ひとりの青年の「成長物語」という印象でした。

主人公の父親は第一次大戦を経験し、戦争がむごく、また虚しいものであることを知っています。父は兵に志願した息子に、命を「女(にもてること)と名誉」と引き換えにしたおろかなものだとなじる。その勲章のために、いったい何人の親しい友人が命を落としてきたのか。しかし、結局は二人の息子とも戦争に志願することを選ぶのです。

「男に生まれたなら、一人前の男になれ」という世間の要求の強さが、この作品の前提にはあるように思います。作中では、志願したが入隊テストで落ち自殺した二人の知人の話が出てきます。志願して入隊できなかったのには、たとえば身体上の理由など、当人になんらかの原因があったのかもしれません。だからこそ彼らは、入隊できないことが、自身の欠陥であると理解して絶望したのかもしれません。

主人公は町の外れの、飲んだくれの貧しい父親のもとで育ちました。自然を愛する心やさしい彼は、いい年になるまで女性と話したことのない、少し世間から外れた、いわば男らしさに欠ける青年。そんなギズモンドは町で出会った看護師の女性に一目惚れし、その出会いから彼の人生が変わっていくのです。

思うに、彼が彼女に出会ったときから、彼は「男になる」ことに憧れたのでした。結婚を約束しながらもなぜギズモンドは戦地にいくことを選んだのか。大切な人を手に入れたからこそ、彼女にふさわしい一人前の男になろうとしたのではないかと思います。

もちろんこれはメタファーの話であって、戦地に行く人が皆そうということではないでしょう。一方で、この物語は監督であるメル・ギブソンの物語なのだろうとも思います。すなわち監督自身が、そういった「男らしく」あることの強い要求にさらされながら育ったのだろうと想像されるのです。

中盤をすぎて実際に戦地におもむいてから、訓練中には打ち解けられなかった仲間が、ふと志願の動機を話すくだりがあります。軍隊に入ることで、社会的弱者であった彼が、一人前のアメリカ市民として迎えられたことを示唆する場面です。なぜ戦争に行くのか? という疑問への、ミクロな視点の答えをかいま見るようでもあります。

しかしギズモンドの父が懸念するように、戦争の犠牲になるのは多くの場合、上級市民の輪の中に入ろうとあがく社会的弱者なのであり、青年に一人前になることを要求する大人たちは、その焦燥を利用しているにすぎません。世間の要求に答え、血の犠牲をはらって一人前になったからといって、その犠牲を世間は顧みてはくれない。父はそのことを知っているからこそ、二人の息子の出征に失望したのでした。

けれども、父親が若かったころにそうであったように、息子もまた「男になること」への入り口に立っているのです。

この作品は戦争の良し悪しを問う話ではないし、フェミニストのいうような「男らしさ」からの解放を呼びかける話でもありません。どんな社会でも、生まれて人は社会に入っていく。そのときに何かしらの社会化をうける。社会生活をいとなむ以上、人は世間の価値観にじぶんを合わせていこうとするのです。

主人公は恋人と出会うことにより、男らしさという価値観に自分の身の丈を合わせようとします。しかし、父とは異なる答えを見てもいる。ギズモンドは、一人でも多くの人を救うことによって社会的役割をにない、一人前になろうとしました。大人になる方法を思うときに彼は、世間ではなく、自分自身の中にあるものさしに依ったのです。

そのものさしを言葉でいえば「信念」ということになるのでしょうが、監督の宗教性からかんがみると、おそらくそれは「信仰」ということだろうと思います。激戦からもどった主人公が水をあびるシーンは、洗礼のメタファーであるという話を聞いたけれど、そのときギズモンドは本当の信仰を得たともいえるのかもしれません。

人生に正誤がないように、ある意味で、映画にも正誤はないのだろうと思います。軍隊を通して一人前の市民になる、という筋書きにひそむマチズム的な社会要求、その中で自我をすり減らしてきたのは、他でもなく監督自身だったかもしれません。しかしその価値観をたんに内面化するのではなく、葛藤した末のひとつの結実として本作があるのではないかと思いました。

飲んだくれの父親が抱く失望は、マチズムな社会要求に対する葛藤の跡であるとも言え、若い息子が胸に秘める信仰心は、その要求に従いながらも自分を失わない、希望の姿なのだろうと思います。

と、ごちゃごちゃ書いたけど、そんなこと考えなくても面白い作品でした。戦闘シーンがすごいと聞いていたけど、ほとんど顔を覆いながら見ていたので、そこはあんまり覚えていない。

感想を書いていて、立派な「社会の構成員の一人になる」と「男になる」は、イコールではないけれど、歴史的にみるとほとんどイコールであるのかなとも思いました。「社会の構成員の一人になる」ことへの葛藤は今の時代、女性にももちろんあるわけで、そのあたりもう少し自分でも掘り下げて考えたいところではあります。

おまけ。

うらそえプラス