日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

スピリチュアルなドキュメンタリー映画をSF設定で読み解く

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先日、スピリチュアル系のドキュメンタリー映画を観てきた。サイエンス・フィクションの視点で見ると大変興味深く感じられたので、忘備録までに書き残しておこうと思う。

幼い子どもと話してみると、胎内にいたころの記憶を話し出すことがあるのだという。母親の胎内にはいる前の記憶や、前世のことまで話す子どももいるそうだ。前世をはっきり覚えていたケースは一件だけ紹介されていたけれど、胎内にいた頃やそれ以前の記憶を話す子どもは数例あって、どれも共通して似通っている。

  • 胎内に入る前は別の場所(魂の国、または魂の星)にいた
  • 魂の集まる場所には、神様(大仏のようなイメージ)がいる
  • 子どもたちは光の玉(青)で、物質的なものではない
  • テレビのようなスクリーンに母親(候補)が映し出される
  • 子どもたちは自分で母親を選ぶ
  • 虹のようなすべり台にのって母親のところにいく
  • 母親の胎内では、お腹からオレンジ色に透けて、向こう側を見ている

子どもたちは「自分で母親を選ぶ」そうで、生まれる前から意思を持って、この世界に降り立つらしい。大人たちはそうした子どもの持って生まれた意思に気づかず、子どもを「育てよう」とするので、子どもたちの意思をつぶしてしまうことがあるそうだ。本当は、子どもを「育てる」のではなく、持って生まれたものを「伸ばす」ことのほうが大切なのだという。

霊長類への進化の途上で…

胎内記憶をもつ子どもたちによると、地上とは別の場所に「魂の星」があり、彼らはそこから母親となる人間を選んでやってくるのだという。子どもたちは胎内に入る前、青い光の玉だった。

最近「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー: リミックス」という映画を見たのだけど、作中に「小さな神」なる存在が出てきた。彼は宇宙の初期から漆黒の空間に漂っていて、そのうち意識を持ちはじめ、宇宙のどこかにいる別の知的な生命を探す旅に出る。彼自身はいろんな姿になれるけれど、じっさいにはエネルギー体であり、青い光の玉で、ちいさな惑星の核になっている。

そのアイデアをかりれば、人間として生まれる以前の魂は、何らかのエネルギー体だったと考えられるかもしれない。しかし、進化論に親しんだ私たちには、この証言を簡単には理解しきれない。魂は虫や動物にも宿るのか、そうなら彼らは、虫や動物になることをも自分で選ぶのか。

これは完全に根拠のない話なのだけど、こういう推測が立てられるのではないだろうか。

地球上の生き物は、単細胞生物からはじまり、多様に進化した。虫はともかく哺乳類には、おそらく自分自身を判別し、他の個体の考えていることを想定し、相手をあざむいたり、身内をなぐさめたりすることができる。象は鏡にうつった自分自身を判別するし、チンパンジーやカラスが同種の相手をだます行為も研究されている。

人間の脳は「爬虫類脳」「旧哺乳類脳」「新哺乳類脳」に分別できるという。原始的な衝動を司る爬虫類脳、情動に関わる旧哺乳類脳、理性や言語を司るのが新哺乳類脳となり、進化の過程でベースとなる古い脳の上に新しい脳が積み重なっていったと考えられている。

情動の脳までは他の哺乳類にも共通してみられるが、発達した大脳新皮質は霊長類が保持し、その先の論理的に考え文字を表す行為は、人間だけの特別なものと考えられる。その「人間だけの特別な」進化の段階のどこかで、地球外生命体による霊長類の肉体への宿借りが始まったのではないだろうか。

つまり、哺乳類が論理的な思考を備えた脳の発達までたどり着いたとき、この地球外の存在は、広い宇宙に存在する生命体の中で彼らがすまうのに充分な環境をそなえた個体を、われらが惑星に見出したのである。

理性的な魂と、肉体という束縛

人間とは理性をもつ生き物であり、理性こそが他の生き物と人類を分かつ点になる。

そうふまえると「魂の星」にいる神やエネルギー体は、きわめて理性的な存在だと考えられる。そのため彼らは、地球上の生命が理性を宿すのに必要な脳の進化に至るのを待つ必要があった。理性的な存在である彼らは、理性を維持するだけ進化した人間の肉体に入り込み、宿主の肉体と一生分の時間をともにするのである。

一体なんのために、という問いに答えるのは難しい。単純に山があるから登るようなものかもしれない。物理的な肉体で地球という環境を生きることにともなう実感は、かのエネルギー体にとって貴重なことなのかもしれない。ただひとつ気になったのは、証言する子どもたちが「戦争はよくない」と言っていたことだった。

命は失われても、また彼らは戻ってくることができる。だから一つの命が終わることは彼らにとって問題ではないように思える。それでも「命を大切にしなければならない」のは、彼らが地球上の霊長類の肉体を宿借りしているゆえの、彼らなりの矜持なのかもしれない。

「戦争で地球じたいが失われてしまうから」と言っていたことも興味深いと思った。地球外生命体である彼らにとって、宿借りする個体の住む惑星じたいが失われてしまうわけである。

このことは理性的な彼らであっても、宿主のもつ古い脳の影響をまぬがれないことを示唆している。なぜ人間は互いに憎み合い、戦い、あるいは怠惰な生活に身を委ね、ときに破滅に向かって歩いていくのか。それは魂が人間という肉体に縛られているからである。

さらに人間は原始的な脳の影響ばかりではなく、そういった古い脳の発想に支えられる社会の影響からも逃れられない。いわゆる世間体というものへの適合である。「魂の星」からやってきた存在は、こういった理由で理性的に振る舞うことが困難なのである。

地上に生きる使命

地球という惑星にも寿命があるので、彼らは人類の叡智により惑星を延命するか、他の惑星に移動するか、あるいは新たな環境を作り出す課題があるのだが、しかし皮肉なことに争いを好み、情動に左右されてしまう人類は、ようやく手に入れた科学技術によって、自ら住まう惑星の寿命を縮めようとしている。

「魂の星」から地上にやってくる存在は、はじめから意思をもってくるのだという。その意思を忘れてしまうのは仕様なのだろうか。しかしその意思の存在を信じるのなら、原始的な衝動に打ち克ち、理性的な判断につとめて生きることが望ましいのかもしれない。

これまで私は「魂の星」からやってくる理性的な存在を「彼ら」と呼んできたが、今、この文章を打たせているものは、はたして地球上に進化した霊長類のもつ自我なのだろうか、それとも霊長類に宿る「彼ら」そのものなのだろうか――。

謎は尽きない。


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