ライアン・マッギンレー BODY LOUD @ 東京オペラシティ アートギャラリー
お出かけ日和がつづく初夏のこのごろ。
初台駅へライアン・マッギンレー写真展を見に行ってきました。
「現代アメリカでもっとも重要な写真家」ライアン・マッギンレー。ぱっとみて「わかる」というような作品ではないけれど、単純に、そろそろ久しぶりにオペラシティのアートギャラリーに行きたいなと思っていたというのもありつつ。
思えばこの「わからなさ」に惹かれたのかもしれない。大自然の中でヌードになる若者たち。彼らの屈託のなさが、フレームの向こうの世界を一種のユートピアに見せています。それでいながら、モデルの個々の物語は消し去られているような、その違和感もどことなく印象に残る。
写真のモデルは、親しい友人や身近な知人たちなのだそう。自分の作品を見返していると、その中にはガールフレンドだった相手や亡くなってしまった知人などもいて、かなり個人の体験と密接につながっている作品なのだとか。
2012年の美術手帖では、マッギンレー特集の一環で映画監督のガス・ヴァン・サントとの対談が収録されています。そういえばガス・ヴァン・サントも、アメリカの若者の姿を、批判でも賛美でもなく、よりそうように描こうとした監督でありました。
マッギンレーは友人たちとのつながりの延長で作品を撮っている。批評家たちの目線は、そんな屈託のなさとはべつのところにあるようです。
ポートレイトのモデルたちは、他者の視線に自分をさらすことを、ごく自然のこととしておこなっています。その自己表現は演劇的ながら、自意識の強さはむしろそれほど強くない。特別な自分ではなく、ただ友人の前でふざけてみせるみたいに。
オンラインとオフラインの間の境界線のなさ、個人と世界の距離感のなさに、新しい感覚を感じるのだそうです。そう言われてみれば、そうかな..。
あなたの写真は社会への反抗の意味合いもありますか? という質問に、ヌーディズムじたいが反抗の文化だからね、意識はしているよ、と答えたマッギンレー。
ユートピアを描くような平和的な作品ですが、若者どうしの絆の確認を見せられるようでもありました。それはひるがえしてみれば、大人たちのつくりあげた価値観とその世界への不信であったかもしれません。
25歳のとき開催した個展がきっかけで、いちやく時代の写真家となったライアン・マッギンレーに、今は懐かしきアメリカン・ドリームを重ねているのだという人もいます。
それは同時に、米国の格差社会という背景も背負っているのだという解説がおもしろかった。アメリカという国が象徴するものは、この数十年のうちに、アメリカン・ドリームから格差社会へ変わってしまった。
アメリカの歴史や社会背景を知ったうえで見ると、より面白いかなと思ったりしました。
既存社会への反抗は単純にロックって言うんだと思ってたけど、オルタナティブって言葉をつかうと、またちがったニュアンスがあるなあと思った。
ライアン・マッギンレー BODY LOUD !
期間:2016年4月16日[土]─ 7月10日[日]
会場:東京オペラシティ アートギャラリー[3Fギャラリー1, 2]
開館時間:11:00 ─ 19:00 (金・土は11:00 ─ 20:00/いずれも最終入場は閉館30分前まで)
休館日:月曜日(5月2日[月]は開館)
入場料:一般 1,200円(1,000円)、大学・高校生 800円(600円)、中学生以下無料
収蔵品展の「はなのなかへ」「project N 64 タナカヤスオ」もよかった。
日本画「吉野の追憶」は、桜の山にかかった夕霧が斜陽に照らされた光景を描いています。
東の空は宵闇にしずんで、夜とのはざまで花は燃えるような輝きをはらむ。暮れの桜の妖艶さを思わせる一枚。花が魅せる幻惑的な世界が多い中で、いっけん普通の景色を描きながら、とても幻想的な作品でした。
関連URL
http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1347433362074/
http://gallerist.cocolog-nifty.com/epic/2010/07/photography-aft.html