日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

映画の感想:ロシアン・スナイパー/マーシュランド/草原の実験

シネコンの映画会員になったのに、小規模劇場にばかり行っててなんだかなーってこの頃ですが、大きなタイトルは後々だれかの話題に出て思い出しても、ミニシアター系のものはそのまま忘れ去られそう…ということで、大した感想ではないけど、忘備録的に書いておこうかな。

ロシアン・スナイパー

原題は「セヴァストポリの戦い」。第二次世界大戦ソ連へ侵攻するナチスとのクリミア半島をめぐる攻防で活躍した女性スナイパー、リュドミラ・パヴリチェンコを描く。伝説のスナイパーというと必ずあがる名前らしく、ソ連軍は勝利の象徴となった彼女を失うことを恐れて、射撃教育隊の教官に任命し、戦線から引き上げさせたほど。

そんな彼女は、ルーズベルト大統領夫人とも親交があったそうで、物語は大統領夫人が彼女との出会いを回想することから始まります。ただでさえ理解し難い共産主義国の兵士たちの中に女性兵士がいて、驚いた夫人が「なぜここに(女性の)あなたがいるの?」と問う。彼女はまっすぐ前を向いたまま「309人のナチスを殺しました」と。

教養もある美しい女性が、敵兵とはいえ、なぜ多くの兵士を殺せたのか。夫人は彼女を知りたいと思いますが、その問いは欧米諸国の眼差しのように感じます。製作はロシア・ウクライナの合同製作。国際的に広く見られる作品を意識したのかも。ハリウッド作品と言っても違和感ない見やすさでしたよ。

リュドミラ・パヴリチェンコを演じるのはロシアで活躍中の女優さんだそうで、すごく綺麗な人だった。厳格な父親に育てられたパヴリチェンコは、冷静で強い女性に育つのだけど、戦場では命をかけて共に戦う上官に心ひかれていく。上官の気をひきたいために、難しい射撃を試みて怒鳴られたりする。

彼女に想いを寄せる医師の青年に、戦地へ行くことを引きとめられて「適材適所よ、私は射撃を習った」と答えるパヴリチェンコ。誰もが大きな枠組みの歯車のひとつなら、そこでベストを尽くすだけ。医師の青年も、ならばと医師として戦地へ赴くのでした。

パヴリチェンコのナチスは人ではないというような冷淡さや復讐心も描く反面、全体を通して、戦争は誰も幸せにしないことを描いています。青春も恋も、結婚も家族も、すべて戦争とともにあった。けれど、戦争はあまりにも多くのものを奪っていく。ナチスの兵と対峙し、米国大統領夫人と会話する中で、彼女の心にも揺らぎが生まれる。

とても面白かったけど、上映は東京のミニシアター一館だけなんだなあ。しかもナイトショーで一週間。もったいな。

ロシアン・スナイパー
原題:The Battle for Sevastopol
上映日:10/31(土)~11/6(金)
監督:セルゲイ・モクリツキー
出演:ユリア・ペレシド、ジョアン・ブラックハム、エブゲニー・ツィガノフ
実在した女性スナイパーの真実を描き“第二次大戦終戦70周年”の掉尾を飾る戦争超大作!
2015年/ロシア・ウクライナ /123分
テアトルシネマグループ

マーシュランド

フランコ政権後から民主主義化へと転じたスペインを舞台に、アンダルシアに配属になった二人の刑事が追う、姉妹の行方不明事件。リベラルな若き刑事ペドロと、フランコ政権時代からのベテラン刑事ファン。どことなく反りの合わない二人。疑念から始まる二人の距離感の変化も話の軸のひとつ。

スペイン南部アンダルシアは、かつてはイスラム教徒の土地であり、現在はスペインでも貧しい地方のひとつでもある。事件とともに描かれる、いち地方の土地の事情や、二人の刑事をとりまく政治事情もあって、後から思い返しては、癖になる空気感の映画だったなあと思いました。

これ、ラストについてあれこれ意見を聞きたい作品なのだけど、ネタバレになっちゃうと思うと書きづらい。でもやっぱりちょっとだけ書こう…刑事もののお約束ってあると思うんですが、たとえば、犯人は権力のがわにいたという展開。この作品もその流れを踏まえていると思うのです。けれど、作中でそこまでは描かなかった。

そう考えると、回収されない伏線や事件の手がかりの集約する点が、ストーリーの枠の向こうに存在していると予感させるラストは、うまくまとめたと言えるかもしれません。ストーリーの解釈とは別に思うのは、民主化以前のスペインへの揶揄というのもあるんだろう、とも思いますが。

全体の雰囲気は、スペイン版キリングみたいな感じ。あーこの展開みたわーってなる人もいるかもしれないけど、ああいう土地感の強いサスペンスが好きな人は、そうと分かってても気に入るはず。キリングはデンマーク制作のドラマだけど、他の人の感想を読むと、ポン・ジュノ殺人の追憶」を思い浮かべる人が多いっぽい。

閉鎖的地方の連続殺人事件というパターンではありますが、政治色にじむところは、ミレニアム / ドラゴンタトゥーの女あたりを思い出して、どちらかというと北欧サスペンスを下敷きにしている気もしました。途中知り合う記者と若い刑事と、バーで再開して「カポーティに乾杯」って言う場面が、いろいろ象徴してるようで好き。

草原の実験

タイトルが多くを語りすぎている感がいなめなくもないけど、中央アジアをイメージした幻想的な映像と、セリフは一切なし、場所や時代の語られない中で進んでいく物語とその映像美に、事件はどう描かれるのかと、むしろ期待しながら見たのでした。

丁寧に描かれる日々の美しいイメージ。単に室内を撮るだけの場面でも、午後の光がはねて、壁にゆらゆら揺れるなど、すべてのシーンが絵になるよう。それから、古い機械が印象的に出てくる。カメラや映写機、プロペラ機、ラジオ。世界地図や押し花のノート、その世界に浸るだけでも満足のできる作品です。

ストーリーはというと、当初よく分からなくて、ラストが推測できただけにハードルをあげてしまったかなと思ったけれど、あとから考えると、あれでいいのかもと思い直したりした。

夜に世界地図を眺めていると、窓越しに懐中電灯のライトが当たる。嵐のなかの強制的な身体検査。女の子が歩く先に現れるフェンス。この土地の向こう側をぼんやりと望みながら、結局はそうはならない。彼女の人生に突然あらわれたロシア人青年は、彼女の外の世界への憧れの象徴だったのかも。

保守的な地域に現れる来客は、調和を崩すものか、あるいはその世界から彼女を連れ出してくれるものかと思って見ていたのだけど、そのどちらでもなくて、憧れはあるけど、ここを出られないという、少女の心の両面性を表していたのかもしれないなと思った。

http://sogennojikken.com/index.html

随所にアンドレイ・タルコフスキー監督「サクリファイス」のオマージュがあるらしく、そっちも見るといろいろ見えてくるかも。ところどころ印象的に描かれる水のイメージが気になりました。

でもあのラスト虚淵さんなら、青年は実は実験を進める責任者のひとりであった、みたいな締めにしたなー。って思うのは、自分の価値観でしか見てないな。いかんいかん。