日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

映画の感想 - 戦いの記憶

激動の昭和史 沖縄決戦

気がついたら戦争映画ばかり見てる今日この頃。ミニシアターやら名画座行って思ったけど、話題じゃない作品見るのって、ちょっと落ち着く。いくつか見たい作品もあって、しばらく通いそうな予感。

本作は「日本のいちばん長い日」(昭和版)の岡本喜八監督が描く沖縄戦。149分の長尺ですが、もうほとんどのシーン涙なくして見れなくて、劇場出るときには疲れ果ててしまった。淡々と描いてるので、お涙頂戴劇ではないはずなのだけど。

戦記ものとして:戦略を俯瞰で見る

感想を手短にしたく、ポイント三つにしぼって書きます。ひとつは軍事戦略を俯瞰で見るという点で、見応えがあること。「日本のいちばん長い日」もそうですが、岡本監督は幕僚それぞれの駆け引きを描くところがあって、この作品でもそこを淡々ながら描いていて、見てるとどんどん引き込まれます。

台湾沖航空戦で日本軍が勝利したという誤報から、レイテ島に戦力をつぎ込む大本営でしたが、そのため手薄になった台湾へ沖縄から、一個師団(沖縄防衛軍の3分の1)を派遣することになります。沖縄に編成された第32軍は、これに懸念を示しますが、大本営の反応は冷ややかなものでした。

当初は大本営の戦略と、現地防衛軍との微妙な認識のズレだったものが、事態が進むにつれ、大本営は本土決戦に備えて兵力の温存に傾き、第32軍も自分たちが捨て石であることに気づいていくのです。

こういった上層部と現地の戦略や見解の食い違い、戦力の規模とその経緯などが丁寧に描かれ、こういう書き方もなんですが、戦記ものが好きな人には見応えがあるのではないでしょうか。

人物の描写:キャラクターにたくしたもの

2点目は人物の描き方です。先にふれた心理駆け引きとつながりますが、大本営と第32軍のほか、軍内の幕僚らのやり取りが巧みに描かれます。八原高級参謀は米国留学の経験もあり、見識の広い人だったようです。しかし武勇を尊ぶ軍部と合理的な判断をとろうとする八原と、何かと方針が対立します。

米軍の艦隊の数をみて、まともに戦っても無駄死にになると判断した八原は、持久戦を提案しますが、大本営は総攻撃を仕掛けるようにと檄をとばします。これを受けて長参謀長は、一度も攻撃せず皇国になんと詫びるのか!と詰め寄りますが、そのたび八原は彼を説得するのでした。

ひとり冷静な目をもつ八原に、軍部の非情さと非合理さ、そして沖縄の悲惨な状況はどう映っていたのか。彼のその苦悩と葛藤は、物語をつらぬく一本のすじでもあります。

終盤でひとり岩場にたどり着く八原が、老人に「皆は死んだのになぜお前は生きているんだ」と責められ、とその時、崖の上に米兵の姿を見る。あのシーンで、岡本監督は八原という人物に、ひとつの理想を重ねたのだなあと思いました。

沖縄を描く

3点目、沖縄についてです。先に述べておくと、この作品では牛島中将はじめ日本軍の、沖縄の人々を戦闘に巻き込むまいと配慮する姿を繰り返し描いています。本作には現地軍への批判性はありません。

一方で沖縄の若者が進んで志願し、日本軍とともに命を尽くすシーンも描かれます。そのことが集団自決につながった悲劇でもあるのですが、しかし確かにこの時、彼らは日本のために命を捧げたのです。

ひめゆり学徒隊はその名をよく知られていますが、鉄血勤皇隊はどうでしょうか。召集対象より若い14歳以上の子供たちが戦闘要員として、学校ごとに編成されました。その死亡率は実に5割。日本本土の盾として沖縄が流した血は、あまりにおびただしいものでした。

作品では司令官の死を知って、子供たちが教師に「これからどうすればいいんですか」「沖縄はどうなるんですか」と涙ながらに尋ねるシーンがあります。教師は短く「生きなさい」と答えるのです。

当初は沖縄のためにと、この地にやってきた日本軍でしたが、実際そうはならなかった。戦いは本土決戦の時間稼ぎのためのものであり、彼らやその家族を守るのは、彼ら自身でしかないのでした。

すべての武器を楽器に

白旗の少女はドラマ化もされたので、沖縄の人でなくても知っている人もいるでしょうか。沖縄戦では多くの民間人が集団自決し、また、米軍の投降の呼びかけに応じず命を落としました。けれども投降した者は助かった。「命どぅ宝」という言葉は、そういう経験がいっそう磨きをかけたのでしょう。

こうした歴史が学ばせた精神は、沖縄の人々の中に継がれているのではないか。沖縄にも多様な意見があります。知人と話していても感じますが、国家的右派に好意的な意見(経済的に基地は必要)もあれば、民族的右派の意見(民族自決権をもつべきである)もあります。ですから、そうとは言っても、ここで取り上げる意見は、そのうちのひとつでしかないとも思います。

琉球国であったとき、沖縄は清国と薩摩に二重に従属していました。うわべでは従っても心はここにあらずと、そうした曖昧さは、その評価は別として、小さな民族が生き残る工夫だったのではないかと思うのです。そして、さらにそこに、沖縄戦や米軍占領下の経験が重なります。

こうして育まれた国家への信頼の希薄さは、喜納昌吉の「すべての武器を楽器に」という言葉につながるようにも思います。民族アイデンティティをどう保つか。そのために持つものは武器(戦うこと)ではなく、歌であり踊りであろう。国家という枠組みは、彼らを守ることはほとんどなかったのだから。

再三述べますが、この姿勢に批判的な人ももちろんいます。うつり身の軽さではなく民族的な強さを持とうと思うと、しかし独立論という極論になっていかざるをえないのではないでしょうか。どの姿がよりよいのか、簡単には答えを出せない問題だと思います。

本作は古い作品でもあり、悲惨な歴史をあつかった作品でもあるので、興味がない人はなかなか手をのばすことはないと思いますが、沖縄に刻まれた歴史の記憶と、日本本土から見えるものの差を感じることができるので、少しでも関心があれば、ぜひ見てほしいなと思う作品でした。

新文芸坐では二本立てで、深作欣二監督の「軍旗はためく下に」をやってました。用事があって見ずに帰ってしまったのが心残り。新文芸坐いいですね。次の企画の時もまた行こう。

イギリス艦隊がきて、次にフランス、最後にアメリカ艦隊がやってきた。二重従属のさなか、開港を受け入れるわけにいかない。王府はのらりくらり外交で事態を収拾しようとするが…。小国たる琉球の宿命をユーモアと悲しみを交えて描いてて、一気に読ませる。名著だと思います。