日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

三匹の子ヤギの話

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長い雨のあがった日曜の午後。ヤギ牧場のほうに異変を感じて外に出ると、雄ヤギ二匹の姿が見えなくなっていて、代わりに見たことないひょろりとしたヤギが小屋から飛び出してきた。

どうやら発情して雌ヤギのアリスを追っかけているようだ。おどろく暇もなく、子ヤギが二匹よちよちあとを追って出てくる。繁殖期の季節にあたり、雄ヤギどうしを交換したこの日、赤ちゃんを産んだばかりの母アリスが、新しい雄ヤギの恋の相手になってしまったようなのだ。

すぐには状況をのみこめず眺めていたのだが、鬼気迫るいきおいの雄ヤギと本気の追いかけっこをしている、その母のあとをついてまわる子ヤギはとても危険な状態だ。それで柵の向こうに立ち入って、子ヤギたちを小屋へと避難させた。ひとしきり母を呼んで鳴いたあとは、小屋のすみで丸くなって寝てしまったが、これがぐったりしていて心配である。

母アリスと新参者の雄ヤギの追いかけっこは止むようすがない。それどころか、雄ヤギが退散のそぶりをみせると、アリスの方から追いかけて彼に闘いを挑むほどなのだ。「ほしいなら私を倒してみなさいよ」といわんばかりで、むしろ新参者の挑戦を受けて立っているようである。

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ぐったり寝入る赤ちゃんヤギ

冬の空は暮れはじめて、このまま赤ちゃんたちを置いていくのも不安がのこる。ヤギのなかには育児放棄をするものがいると聞いたことがあった。スマートフォンで検索してみると、初乳は無理にでも飲ませたほうが良いと書いてある。子ヤギの体力は5時間ほどしかないのだという。

ますます放っておけず、母ヤギが小屋に走り込んできたときに、とっさのことで彼女の角を両手でとらえた。どんな意図があったのかもう覚えてないが、意外にもアリスが抵抗して後ろ脚を踏ん張ったので、拮抗して静止する状態になった。

このときがチャンスだった。起きてはおっぱいを探して他のヤギに近づき、突き返されていた子ヤギを、母の腹のしたに誘導した。アリスは動きを止めたまま、赤ちゃん二匹は本能のまま乳房をさがしあて、ようやく母乳にありつけたのだった。

夜になり二回ほど様子を見にもどったが、アリスと新参ヤギとの恋の武闘は終わりそうになかった。22時、今日はこれで最後にしようと外にでる。新参ヤギも、アリスに挑んだことを後悔しているのではないだろうか。昼間の勢いはなく、惰性でアリスに立ち向かっているようである。

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雨上がりの牧場で戦ったため泥だらけになったアリス、とその子どもたち

子をはらむまではヤギコミュニティのボスだったアリスである。ひょろっこい新参ヤギには格のちがう相手であった。傍目に勝負はついているが、アリスのほうはまだまだやる気である。

それでふたたび割って入ってアリスをとらえ、子ヤギのそばに連れて行った。二度目は子ヤギたちもなれたもので、すぐに母のおおきな乳房にありついた。今度は長い時間、ふたりの姉弟は乳を吸った。母ヤギは腰をさげてじっとしている。満足した子どもたちが乳房をはなれて、アリスを解放してあげると、彼女は小屋の入り口まで歩いて、しばらく夜の風景を眺めていた。

赤ちゃんたちが鳴きながら小屋をうろつくと、ふいにアリスが一匹に鼻先を近づけた。おしりの匂いをかいで、鼻先でおしりをつつき、自分の腹の下にいざなう。びっくりして、しばらく成り行きを眺めてしまった。お乳を吸わせているうちに、母の本能がわきあがったのだろうか。

安堵して気づくと、深くなった夜の静けさに耳をかたむけるように、他のヤギたちも沈黙している。おだやかな、しかし神聖な夜に感じられた。

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まだ草は食べられないけど、成獣のマネをして草をくわえる子ヤギ

翌朝、仕事に出る前にふたたびヤギたちを見に立ち寄った。昨日の様子だと大丈夫だろうと思ってはいたが、念のため確かめたい。朝早く刈っておいた草を抱えてヤギ小屋へ行く。アリスはすっかり母親然としているし、新参ヤギも昨日とは打って変わっておとなしくなっていた。

ところが草を食むヤギたちの中で、一頭だけ部屋のすみに座っている雌ヤギがいる。これまで彼女のそばによりそってきた息子フェリックの姿がないことが思い出された。薄幸な面立ちのエルザが、この日はいっそう寂しげにみえた。

草をひと握り投げ与えると少しだけ食んだ。ダニエルやフェリックは今頃、別のヤギコミュニティで新参者となって迎え入れられているだろうか。ダニエルも他の雌ヤギにさっそく発情してたりするのだろうか。フェリックはまだ幼いから、今秋でそれは早いかもしれない。

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アリスの子どもを鼻で愛撫するエルザ

エルザは立ち上がり、小屋の入り口まで歩いて、また座った。赤ちゃんヤギが彼女にちかづく。おどろいたことに、エルザはつながりのない赤ちゃんヤギを鼻で愛撫して、自分のちかくにいざなうのだった。何に刺激されたのか、彼女もまた母親の気持ちになっているようなのだ。

そのうちにエルザは隣の部屋にいき、横たわった。気づくと何やら脚をゆっくり振り動かしている。具合が悪いのかと思った。彼女の脚のあがきは徐々にはげしくなり、苦しそうである。その様子を見てはっとした。エルザの腹の中にも赤ちゃんがいるのかもしれない。

ほどなく、しっぽの付け根の産道からゼリー状の球体が頭をだした。やっぱり! 出産がはじまったのだ。ヤギの分娩は比較的軽いという。これはもう見守るしかない。エルザが苦しげに身をよじって声をあげるのを見ていると、胸が張り裂けそうになった。

心配をよそに羊水に包まれた肢体はじょじょに出てきて、立ち上がったエルザが部屋のすみでふたたび座り込んだあと、完全に彼女の産道からぬけでてきた。産声はなかった。エルザが体を折り曲げ我が子の羊水をなめると、産み落とされたばかりの赤ちゃんヤギはわずかに動いた。

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まだ羊水のかわかない我が子をなめてあげるエルザ

体をくの字に曲げて赤ちゃんの体をなめるのは少々しんどそうだ。羊水にぬれた毛がいくぶんか乾いたころ、持っていたタオルで赤ちゃんヤギをかかえて、敷き藁のある部屋へと移動する。エルザも立ち上がって我が子を追ってきた。

赤ちゃんヤギは母に舐められながら、小さな頭を持ち上げようと頑張っていた。仕事にいく直前にもう一度たちよって様子をうかがうと、立ち上がって母乳を飲んでいる。雄ヤギかな、と勝手に思っていたのだけど、雌だった。フェリックに妹ができたのだ。

梅雨の頃の発情期に、ダニエルが追いかけた恋の相手はエルザだったことを私は知っている。なかなか実らない恋に割って入って、その焦燥を受け止めたのがアリスであった。しかし私の知らないところで、ダニエルは自分の初心をつらぬいてエルザをも射止めていたのだ。さすがはウシ科、ハーレムをつくる種族である。

すっかり恋敗れた新参ヤギ、ケニフは、もうこりごりしたのかアリスには挑まなかった。その代わり、幼いハンナが「遊んでくれるの?」と短い尻尾をふってあいさつをしたところ、しばらく追い回されていたので、あれからどうなったのか少々心配である。

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赤ちゃんヤギの枕になってあげるケニフ

ダニエルとフェリックは、内心イケメンのヤギだなあと思っていたが、ケニフを見ると、それが勘違いでなかったことを認識させられる。ケニフは、ホラー映画でなかなか死なない脇役みたいな顔をしている。けれども優しいところもあって、出産に苦しむエルザのそばにきて、心配そうに最後までよりそっていたのがケニフだった。

ひょうきんな顔をしているけれど、心優しい雄ヤギである。ダニエルのように威嚇しながらテリトリーを主張することもない。私の手から草をもらうのも初めは躊躇しているようだった。そんな新参ヤギと新しい赤ちゃんヤギ三匹で、小さなヤギ牧場はあたらしい季節を迎えたのだった。