日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

母校を訪ねる

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運動場のわきに車を止めてドアをひらくと、なにか気配を感じて、耳をそばだてて聞こえたのは松の梢に風の渡る音だった。

いつか京都の鷹ヶ峰を訪れたとき、あたりに人のたてる音もなく、松籟ばかりが笛の音のように響く侘しさに感じ入ったものだけど、まさか母校をたずねて同じ実感をえるとは思わなかった。

そういえば小学校の校歌には「まわりの松の梢には、たえなる学の聞ゆなり」という歌詞があった。草のおいしげった運動場にそっと踏み入って、しばらく歩くあいだ、なつかしい旋律が耳の奥に遠く響いていた。

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母校の中学校は一年半前から休校というかたちをとっている。生徒がいないわけではなかったが、いろいろな事情があって、当時の生徒たちはみな他の学区に移ることになった。今後も数がそろわないと廃校になる流れにある。

多感な10代を過ごした校庭を歩いてみる。体育館へ向かってみんなの憧れの先生が歩いて行く後ろ姿(こわい先生で私は苦手だった)、バレンタインデーでクラスの男の子から「余ったから」と板チョコをもらった自転車置き場、テニス部のコートは草にうもれてしまっていた。

ひんやりとした音楽室、古くさくて好きだった図書館。思い出の多い校舎はとりこわされて、新しい校舎ができていた。不思議と悲しさといったものはなかった。学校というものは大人たちの郷愁のためにあるのではなく、今の、将来の子どもたちのためにあるものだろうから。

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そういえば東京で通勤電車にゆられる毎日を過ごしていたときに、一編の小説を書いた。中学生の私は、恋の季節を迎えて行く同級生たちに同調できない。親友にも「付き合っている人」ができて、周囲に適応していく彼女をおもしろくない思いで眺めている。

憂鬱な気持ちを音楽室の机に書き込んだところ、次の音楽の時間に返事がきた。「春が嫌い」「私も」――私はとまどいながらも机のうえの文通に心を傾けていく。別の時間にこの席に座るはずの、見えない友人に向けて。

あの物語の舞台が、そのままこの校舎だったことが思い出された。音楽室の窓際の席、埃っぽい楽器室、校舎から実技棟への渡り廊下、夕方の校舎におちる長い影、体育館からの部活動の声。

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主人公は私とイコールではないけれど、私が感じていたことを反映している。外の世界・他人への関心や、それを怖れて内の世界に入っていってしまう弱さ、そのはざまに揺られている。この校庭はいろいろな風景や感情のゆれうごくちいさな箱庭になって、私の中に生き続けている。

草木のしげった給食室の手洗い場、松の葉のつもる校舎の裏。一年半ですっかり時間に置いてけぼりにされてしまっているけれど、まだきれいな職員室棟の前を通った時に、このひっそりとした校舎は、またこの場所に子どもたちの声が響くことをじっと待っているような気がした。