日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

おにいちゃんといっしょ!:ヤギ編

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ハンナは早くから母と離別して、一人ぼっちになった。ヤギの世界は容赦ないもので、エサの時間になると幼い彼女は自分より大きなヤギにつつきまわされて、呆然としてしまう。

ハンナには一週間早生まれの幼なじみがいて、この雄ヤギのフェリックはか弱い彼女を追い払わないので、食事のとき午後の涼みのときと、ハンナはフェリックのあとをついてまわっている。

そのフェリックは、生まれて間もないうちから背伸びをしたがる子どもであった。敷地内を走り回ったり、柵をぬけて外に出てみたり。人が与える草に親ヤギたちが集まるのを見て、まだ乳飲み子なのに大人のマネをして鼻を当ててくる。

ハンナのばあい、その群れの向こうでぼんやり眺めているのが常であった。彼女にしてみれば姿かたちもヤギとはことなる人間にはちっとも興味がなく、大切なのは、いつもそばにいてくれる母であり、遊びにさそってくれるフェリックなのだ。

思うにハンナは兄のような存在のフェリックを通して、彼女の住む世界を知っていったのだ。フェリックにさそわれてかけっこをしたり、大人のするような頭突きごっこもした。

フェリックが大人の真似ごとをしてみせるとき、その相手はいつもハンナだった。しかし、体格も大きくなり、大人相手に頭突きを挑むほどたくましくなったフェリックは、次第にその関心を外の世界へと向けていく。

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フェリックに頭突きをするハンナ

ヤギたちはエサを食べる際に、他のヤギを追い払って縄張りを示す習性がある。フェリックもそれを覚えていき、自分より体の大きなお姉さんヤギたちを追い払うまでになった。時おりフェリックは、ハンナに対してもツノで彼女の体を持ち上げて、のけてしまおうとする。

それは他のヤギに向ける攻撃本能というよりは、ハンナに「ボクもう大人なんだからな」と見せつけているようでもある。しかしおっとりしているハンナは、そんなフェリックの大人びた思いになど気づく様子もなく、むしろ彼に頭突きを仕返すほどである。

ハンナにとってフェリックは、いつまでたっても幼い頃かけっこをしたお兄ちゃんヤギなのだ。

ところで、この幼い雄ヤギの背伸びをした振る舞いには、理由がある。フェリックの母は成獣ヤギの中で、もっとも低いつつき順位にいる。観光客の人たちが草を持ってくるときも、群がるヤギたちから一歩引いた場所でじっと佇んでいるような母ヤギである。

ひとり立ちできるはずのフェリックだが、食事のときは母のそばを離れない。フェリックが生まれてから、彼女は少し気が強くなって、若いヤギを追い払うくらいにはなった。思えば朝から晩までメシくれコールに余念のないフェリックの熱意は、母のことを思ってなのかもしれない。

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群れの王者ダニエル

あるとき群れの雄ヤギ、ダニエルが発情期になってしまい、てんやわんやの大騒ぎになった。そのときフェリックも、成獣ヤギのその気にあてられてしまい、他の雌ヤギの背後にまたがることを繰り返した。

まだフェリックがお母さんのお乳をおっかけている頃でもあって、どの雌ヤギも子どものやることと気に留めてもいなかったが、ダニエルだけは違った。おれの女どもに手を出すなといわんばかりに、フェリックを追いかけ回したのだった。

ここでもハンナはおっとりしどおしだった。突然じゃれあってきたフェリックがダニエルに追い払われても、キョトンとしているだけなのだ。そんなやりとりを眺めながら、いつかはハンナとフェリックもそんな関係になるのかしら…と思っていたのだが、様子は少しちがうようだ。

他のグループにシンディーという雌ヤギがいる。彼女はまだ若くはあるが、いち早く発情期にかかり、一時はダニエルといい雰囲気にもなった。しかしその時にはダニエルの発情期は済んでおり、想いはさほど盛りあがらず、二匹の恋はすれ違いに終わった。

おそらくこの頃を境に、シンディーは母ヤギと距離をとるようになった。彼女もフェリックに似て、ませていて独立心のつよいヤギなのだ。

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雄ヤギたちの熱い視線を集めるシンディー

シンディーは母たちと離れて、時おりフェリックのそばにきて草を食べたりする。当然、頭突きで応戦するフェリックなのだが、それもそれで、お互いをよく認識しあっているといった風なのだ。なによりも、あの擬似発情期の時、フェリックが後を追いかけたのはシンディーであった。

次の発情期がきたら、おそらくシンディーをめぐってダニエルとフェリックの戦いが繰り広げられるだろう。そう思うと、もともとのんびりしていることもあって、ハンナの恋の季節はもう少し先になりそうである。

ハンナもハンナで、この頃はどうにかたくましさを身につけはじめている。人が草を持ってくることを覚えたらしく、柵に近づく者があれば、その小さな体で俊敏に反応して駆けよってくる。大人たちより先に草にありつければ、あとは草をくわえたまま遠く逃げればいいのである。

相変わらずおっとりしているが、彼女なりに大人の階段をのぼっているようである。それぞれに成長していく二匹だが、ヤギたちの発情期も過ぎ、フェリックの大人への焦燥期も落ち着いたこの頃、相変わらずフェリックの近くを自分のテリトリーと認識してついてまわるハンナと、彼女の好きなようにさせているフェリックの姿を見ることができる。

二匹の母がちがうことははっきりしているのだが、父親がどうなのかは明らかではない。父親がどうであれ、ほんらいは母と子でグループをつくるのがヤギコミュニティなのだが、早くに母と別れたハンナと、そんな彼女とともに育ったフェリックの場合は少々特殊のようである。

ある夜に帰宅すると、夜風に涼んで過ごすヤギたちの姿があった。こういうときハンナはどこで休むのだろうと、そっと様子をうかがうと、フェリック母子のそばで丸くなっていた。いつもはハンナをつつきまわすフェリック母であるが、こういった夜は特別なのかもしれない。

ヤギの世界は厳しいようで、それでいて情に満ちた世界なのである。