日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

ヤギの家族の話

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帰郷したら、うちの近くの農家が飼っているヤギが大家族になっていた。母親がしきりに「子ヤギがかわいい」と言うのだが、ヤギはどうみてもかわいくない。いぬには喜怒哀楽があるし、ねこにも機嫌があるし、馬には哀愁がある。ヤギはなにか、は虫類的なまなざしをしている。

そう思っていたけれど、あるときうちのワンコをつれてヤギ牧場のそばに来たら、ワンコが「遊んで」といわんばかりに、キューキュー鳴き出した。そしたら牧場の柵をするりと抜けて、子ヤギが道に飛び出してきたのだった。そのときのワンコのあまりの歓喜ぶりに、子ヤギはすぐに柵の向こうに逃げ戻ってしまったけれど。

たぶんそれがきっかけだったのだけど、子ヤギにすっかり心をうばわれてしまった。大人のヤギは相変わらず冷血動物のようなまなざしをしてるけど、子ヤギ(雄)は好奇心が旺盛で、おなじ頃に生まれた子ヤギ(雌)とかけっこをしたりして遊んでいる。

はじめはヤギとたわむれるために庭の畑の草刈りをして、草を貢物に献上していたが、そのうちヤギのコミュニティを観察するのが楽しみとなってしまった。用事があって数日うちを離れることもあったのだけど、戻ってくるたびに、せっせと草刈りにいそしむ日々である。

社畜的な生活をやめて帰郷したというのに、家畜のために労働しているとは、これいかに。

ヤギをかわいく思い始めてから、ふと、なぜヤギ牧場主はヤギを飼っているのかという疑問にぶつかった。

かわいいから飼っているわけでもあるまい。ひとつ思い当たったので、母親にそれとなく聞いてみたら、たぶんそうだろうねという。私の育った島では、ヤギを食す文化があるのだ。ヤギ汁は今でも時おり需要があるらしい。

牧場主は夕方ごろ軽トラックに草を運んでやってくる。ヤギとたわむれることはなく、草の束を餌場においたらササっと帰っていく。シメるヤギを選ぶ立場で、ヤギの一家に情をもったら務まらないだろう。ヤギをヤギ以上のものとしてみてはいけないのだ。

とはいえ、私はすっかりヤギの家族に情を見出していたし、刈った草をあげながらヤギ家族を眺めるのも今さらやめられない。それに、食文化としての需要があるからヤギを飼うのであって、そもそも活用の用途がないのに家畜を養うことなどそうそうないだろう。

むかしは島のヤギは、ほとんどが野生だったという。人間が飼うようになったのは数が減少してからだろうか。今はどの土地にも所有者がいて、戦後は農地改革で島のあちこちが開拓され掘り返された。今はたぶん野生のヤギはいないと思う。

宮島や奈良の鹿のように人間と野生のヤギが共生できればいいけれど、それも理想論で、今さら現実にはむつかしいだろうと思う。けっきょくヤギは、牛や馬と同じように人間の需要のもとで生きているのだ。

ヤギのための草を刈っていて思うのは、これは採算性がないとなかなかやり続けられないということだ。もしも私が裕福だったなら、ふれあいヤギ牧場をつくって、乳搾り体験をやったりして観光産業にしたいと思うけれど、そんなことができる人は余裕のある人だけで、そんな特殊な人以外もヤギを飼い育てる動機には、やはり食文化が下支えになるのだろうと思う。

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ヤギのコミュニティには母親ヤギが三頭いて、おそらく父親ヤギは一頭のようだ。ハレムうらやまし、と思いがちだけど、母ヤギは子ヤギと固い絆を育むが、父親には冷たいようで、よく餌のとりあいでつつかれている父親ヤギである。

母ヤギのおっぱいばかり追いかけていた子ヤギも、二ヶ月ほどたつと草をはむようになって、母も我が子をそれとなく突き放す。仕方なく草を咀嚼しはじめる子ヤギなのだが、その頃から他の母子ヤギとの餌をめぐる戦いがはじまる。ヤギの社会はかなり上下関係が厳しいようなのだ。

母ヤギが守ってやって、体のちいさな子ヤギは安心して餌を食べることができる。弱いヤギは母子ともに餌不足になりがちである。そんなわけで草をあげるときは、なるべく弱い母子ヤギにも行き渡るように、工夫して餌やりをする。具体的には、ボスヤギ一家をひと束の草で引きつけておきながら、他の母子ヤギにも草やりをするといった具合だ。

そんなある日、二頭の子ヤギのうち、一頭の母ヤギの姿が見当たらないことに気がついた。詳細は分からないけれど……残された子ヤギが他のヤギにいじめられていると聞いて、さもありなんという気持ちになった。

父に「飼い主に言えばうちで引き取れると思うよ」と言われたけれど、もうしばらく様子を見ることにした。この子ヤギ(雌)には、同じ時期に生まれた遊び友達の子ヤギ(雄)がいるので、母親のいない寂しさはあるだろうけれど、人間に引き取られるよりは、ヤギの群れの中にいたほうがいいんじゃないかと思ったこともある。

考えてみたら孤高の父親ヤギも、彼を守る母親の存在はなくて、二ヶ月前はボスヤギにつつかれてばかりいたけれど、今はうまい具合に餌を食べるポジションを確保している。そうやってヤギも成長していくのかもしれない。

今日は雨が降っていたけど、子ヤギが気になるので、けっきょく庭に出て草刈りをした。ボスヤギ一家にも満足してもらわないと他のヤギをつつくので、コミュニティまんべんなく餌を準備するとなると、けっこうな量が必要になるのだ。

まだ餌のとりあいを知らない子ヤギの二匹は、おでこをくっつけながら草をはんでいた。もう少し成長したら、闘争するようになってくるのかな。ヤギの草やりなんて毎日のことにするつもりはなかったけれど、もしかしたら日課になってしまうかもしれないなと思った。


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世界でもポピュラーな家畜であるヤギですが、日本でのヤギの家畜シェアはダントツに低い。それで「職あれば食あり」と、ヤギの働く場を広げていこうという趣旨の記事。肉食や搾乳はもちろん、皮、毛の活用、それに除草作業。
ただ、ヤギはグルメではないと書いてありますが、食い意地ははっていて硬い草でも食べることは確かですが、好き嫌いはあって、好きな草葉は目の前の草をほっぽりだしてでも食べようとします。ヤギは鈍感に見えてけっこう賢いです。

全国山羊ネットワークという団体があることを知りました。やはりヤギの活用方法を広げていこうという試みであるようです。