日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

旅日記 沖縄

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旅の日記は鹿児島まででおしまい。と思っていたけど、やっぱり書いておかないと後から記憶からすっぽり消えそう・・・ということで、忘備録的にもうちょっとだけ。

鹿児島新港から那覇港まで南下する海の旅は、早朝に奄美大島について、ちょろちょろと離島によった後、夕方に那覇に着く予定。祖母の故郷である奄美大島を船上からしみじみと眺めたい、という密かな思いがあったのだけど、早朝すぎてなにも見えなかった。

代わりに翌朝、徳之島についたところでまたせっせとデッキに出たら、もうすっかり海の色はエメラルドグリーンで、やまとは遠くなりにけり、という心境になる。

九州ではずっと冷え込んだ春だったけれど、那覇につくとさすがに暑かった。一日半かけて南に下ればそりゃそうか。湿度が高くて、夜の7時だというのに夕暮れどきの街はこれから夜の喧騒を迎えようとしていて、タイとかベトナムとか、そういう南の国の雰囲気があった。

この洗練も何もない、コンクリートの平屋根が続く風景。旅人なら異国情緒にもなるのだろうけど、ここに生きるとなるとこの風景を愛せるのだろうか。などと考えながら宿に向かう。

この日は友人と待ち合わせて夕ご飯を食べて、翌日は那覇市内をぷらぷらお散歩。

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葛飾北斎は「琉球八景」という名所画を描いているのだけど、北斎琉球に来たことがあるわけではなくて、冊封使の書いた『琉球国志略』に収録された「中山八景」という絵図を元にしているのらしい。その中山八景の場面をたどるという素晴らしい記事があって、東京を発つ前に読み込んだりしていたので、この日の目的は「琉球八景めぐり」。

調べると、ゆいレールの壺川から牧志までの間を半日ほどで巡れそう。詳細は気が向いたらどこかでまとめるとして印象的だったところを書いておくと、波上宮の裏手にある波の上ビーチや、臨済宗のお寺だった崇元寺跡がよかった。

海外からの観光客があふれる波上宮と打って変わって、地元の人の憩いの場という雰囲気の波の上ビーチでは、すぐそばの公園でテーブルを拡げて碁を指しているおじさんがいたり、崇元寺跡には小学生くらいの子どもたちが遊んでいて、住んでいる人の活気があるなあと思った。

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夕方は北谷にあるアメリカンビレッジへ行った。冬に見た「タンジェリン」という映画は、L.A.を舞台にトランスジェンダーたちの騒がしいクリスマスの一日を描いた作品で、全編スマホ撮影で話題になった。カラフルでチープでエネルギッシュな絵に惚れ込んで、ここならあの色合いが撮れるんじゃないかと思ったのだけど、想像とちがって観光地な感じだったので、あらら。

遅めの昼ごはんをとって、バス停へと向かう。と、入り口に近い広場で弾き語りをしている二人組がいた。立ち止まって聴き入っている人もいる。沖縄というとヒップホップやパンクロックのイメージが強かったけど、爽やかなフォークソング。めっちゃ歌うまかった。

弾き語りの音楽の流れてくるアメリカンビレッジを背にすると、バス停に向かう道の向こうは夕暮れの空だけぽっかりと見えて、お節介にも、あの二人は今いちばん幸せな時間なんじゃないかと思った。この先、音楽で成功してもしなくても、自分たちがつくった音楽の空間に共鳴してくれる人が今このとき集まってきて、それは何にも代えがたい、とても純粋な瞬間に思えた。

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北谷から名護までは路線バスで90分くらいかかる。その途中は万座毛やムーンビーチホテルとかあって、ザ・リゾート地という感じ。あまり関わりのない沖縄の一面だ。

名護のドミトリータイプの宿はマンションを改築した感じで、親戚の家におじゃました気分になる。相部屋には韓国の女の子が先にいて、日本語が上手くて、とても気さくな人だったのでホッとしたし、嬉しかった。長い旅で、人恋しくなっていたのかもしれない。

韓国の焼きそばを貰ったけれど、お返しできるものがほとんどなくて、翌朝ベットのわきに美容液パックを数枚とお礼メモをそっとおいて部屋を出た。そしたらテレビの部屋でくつろいでいる彼女に出会って、あれっ出かけてると思ったのに。なんとなく照れくさい気持ちになった。

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わざわざ名護に行ったのは、辺野古へのアクセスとして良かったから。辺野古は沖縄の普天間基地を縮小する代わりに滑走路をつくる代替候補地になっていて、けっきょく米軍基地縮小になってないじゃないかと反対されている場所でもある。

沖縄に滞在する二日間でどこに行こうかと悩んだけれど、工事が着手されていることを思うと、今しか見れない辺野古の海を見ておきたいという気持ちがあった。あと、何かと問題がおこって話題になりやすい地域でもあるので、自分で行って何を感じるかを知りたいというのもあった。

名護から辺野古行きのバスにのると、乗客は私ひとりで、バスの運転手は「(このバス)77番だよ」と声掛けられたので、やっぱりちょっとめずらしい人に見えたかもしれない。

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辺野古の基地移設に反対している人たちは、海の近くのテントにあつまって、ゲートのほうに出向いて抗議をしているみたいだった。私はというと、遠くから眺めるつもりで行ったので、逆に冷やかしに来たような気持ちになって、けっきょく近くの公園から海を展望しただけだった。

辺野古はとても静かな集落で、基地の問題を抱えて紛糾しているとは思えないくらい穏やかだった。海を眺めているあいだ、公園のベンチで昼寝をしていたおじさんが起きて帰っていってしまったので、ちょっと申し訳なかったな。

30分後のバスにのると、那覇まで向かう。酔い止め薬でウトウトしながら、バスがコザの風景を通り過ぎるのを見た。祖母の住んでいた街で、嘉手納基地の金網がずうっと続いている街でもある。那覇バスターミナルで降りると、ゆいレールに乗り換えて空港をめざす。

那覇の喧騒も、北谷やコザで見る基地との混ざりあいの文化も、穏やかな辺野古の海も、ぜんぶ同じ沖縄。南北に細長い島を上り下りするだけで、いろんな表情が見えてくる。目には見えないけれど、時流のはやい土地とゆるやかな土地があって、沖縄はその流れのすごく急な場所なのかもしれないと思った。