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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

ミュシャ展 @ 国立新美術館

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スラヴ人の伝承や歴史を描いたミュシャの「スラヴ叙事詩」が全点そろう、ということで企画を知ってから楽しみにしていた展示会でした。

アール・ヌーヴォーの花形イラストレーターとして知られるミュシャですが、後年は作風を変え、祖国チェコのための作品を多く描きました。朝いちの会場を待って、ひとまず真っ先にスラヴ叙事詩を見に行こう!と意気込んでいたのですが、くだんの作品は展示室はいってすぐの展示室で待ち受けています。

20点からなるこの歴史神話画は、3フロアにわたって展示され、作品一枚づつの説明をガイド機で聞くことができます。今回の展示では、アール・ヌーヴォー時代の作品は最小限にとどめ、スラブ叙事詩に焦点をあてています。

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ミュシャがパリ万博*1のデザインを手掛けた1900年は、時代が大きく揺れ動いた時期でした。さらに、1918年オーストリア帝国からチェコスロバキアが独立すると、彼は精力的に建国にちからを貸しました。ミュシャのデザインした切手や紙幣も、会場に展示されています。

渡米して資金提供者を得たミュシャは、1910年チェコへ戻り、スラヴ叙事詩に取り掛かります。しかし制作にあたって取材を重ねるうちに進行がおくれ、プラハ市に寄贈されたのは祖国独立後10年たってからのこと。前衛美術が風靡していた時代、写実主義に逆戻りしたミュシャの作風はいくぶんか古臭く、民族の独立というテーマも時代おくれとなってしまっていたのでした。

1939年ナチス・ドイツ主導によりチェコスロバキア共和国は解体され、消滅しました。ミュシャもドイツ軍にとらえられ、愛国心を刺激する絵画を制作したとして尋問をうけます。祖国に人生を尽くした画家は、釈放4ヶ月後に体調を悪化させ、78歳の生涯を閉じることとなるのでした。

ナチス・ドイツによるチェコスロバキア解体 - Wikipedia

ナチズムの台頭に、プラハ市はこの20枚連作の絵画に覆いをかけ、秘蔵しなければなりませんでした。また、戦後は社会主義リアリズムのもとで批判的にうけとめられ、長らくひと目にふれることはなかったといいます。画家の死後、全作品が揃って展示されたのは2012年のこと。チェコ国外では今回が初めてとなります。

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スラブ人というのは民族ではなく、スラブ語派を話す人々ということのようです。スラブの文化圏の人々がかつてはひとつの民族であったという考えは「汎スラヴ主義」にもとづくもので、ミュシャはその一種シミュラークルなものを具現化しようとしたと言えるのかもしれません。

「スラブ叙事詩」の中でも繰り返し出てくるのが、聖書がスラヴ語に翻訳される場面です。かつてはスラヴ語の聖書の所持が認められない時代があったこと。言語はスラブ人にとっての強いアイデンティティのひとつなのかもしれないと思いました。

個人的には、スラヴの偉人たちを描いた作品が印象に残りました。宗教改革者ヤン・フツが殉教させらせた後、フツの信奉者を率いてカトリック派との戦いを勝利に導いた戦士ヤン・ジシュカ。すべての人々に教育をほどこすことが、平和への一歩だと説いたヤン・アーモス・コメンスキー。スラブ叙事詩に繰り返しでてくる宗教指導者たちの存在は、ミュシャにとって大きなものだったのでしょう。

以前、同時代に活躍したルネ・ラリックミュシャの展覧会を見たときに、大量生産を念頭に入れたモダンデザインに傾いていくラリックと正反対に、古典的に逆戻りしていくミュシャが印象的でした。ひとつの民族がアイデンティティを保とうとするときに、美術は大きな象徴になるものですが、ひるがえってそれは権威的なちからを欲することと重なるのかもしれません。権威としての顔もまた、美術のもつ横顔であるように思いました。

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東欧やバルカン半島*2におけるスラブ人の歴史を見ていくと、あまりに複雑な事情に混乱させられます。それはこの地域が東西の文化、宗教の交差点であったことばかりでなく、オーストリア帝国オスマン帝国、20世紀に入ってからはロシア帝国ソ連)、ドイツ帝国と、大きな国のはざまにあって、その綱引きで民族が引き裂かれていくようすも見えてきます。

ミュシャが願った民族の平和への祈りを思えば、20世紀に東欧、バルカン半島の国々がたどった道もまた、皮肉なものでした。それだけに、スラヴ叙事詩がふたたび展示されることに、その間にあったさまざまな事件を思い、複雑な気持ちにさせられるのです。

イラスト好きな人ももちろん楽しめるミュシャ展ですが、やっぱり歴史好きな人に見に行ってほしい。スラヴ人が他の民族とおなじだけ尊厳をもち、平等にあつかわれること。その願いをひとすじに描かれたスラヴの歴史絵巻。その大きな画面にかこまれて立つと、感慨深いものがこみあげてきます。

ミュシャ展|企画展|展示会|国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO
国立新美術館 企画展示室2E
2017年3月8日(水)ー 6月5日(月)
午前10時―午後6時
※毎週金曜日、4月29日(土)-5月7日(日)は午後8時まで
※入場は閉館の30分前まで
休館日 毎週火曜日(ただし、5月2日(火)は開館)

写真を撮れるというので、プリントされたポスターとかかなと思っていたら、スラヴ叙事詩そのものの撮影がOKでした。ちゃんとしたカメラ持っていけばよかった。

夜は、渋谷のシアターイメージフォーラムで上映中の、人類遺産を見てきました。

世界的にも有名な廃墟などの映像をつむぐ作品。作中にまったく説明がないので、いったいどこの風景だろうと気になって、パンフレットまで買ってしまった。

いちばん強烈だったのは、米ニュージャージー州の遊園地のジェットコースターが、ハリケーンの襲来で海に着水してしまった「Jet Star」。人々を驚かせたその姿は、今は撤去されてしまったのだそう。廃墟のほとんどは、長らく残ることなく消えていってしまうのだそうです。

パンフレットも廃墟マニア目線の文章で大変味わい深かった。ブルガリアの旧共産党本部、米インディアナ州のゲーリー・メソジスト教会。日本からは軍艦島、それにまだ記憶に新しい、福島県の立ち入り制限区域…この辺りは海外の幻想的な廃墟とはちがった生々しさがありました。

自然音が重ねられた廃墟の映像を見ていると、今という時間から意識が剥がされていくようです。これは、いつかくる未来を見ているだけなのかもしれないという、漠然とした不安が心をよぎります。それだけに、「これは過去でも未来でもなく、現在なのだ」という、パンフレットのコメントに考えさせられました。

人類の築きあげてきた文明も絶対のものではなく、地上の長い時間のひとつの季節のように過ぎ去る。文明の跡を草木が柔らかにおおい、金属は錆びて朽ちていく。人のおごりを見せつけられるようでもあり、それゆえの安らぎであるようにも思える。見終えたあとはなんとも言えないシビアな気持ちになります。

ミュシャ展と映画「人類遺産」、重厚な一日でした。

*1:パリで売れっ子イラストレーターだったミュシャが、スラヴ民族に思いを向けるようになったのは、パリ万博でオーストリア政府の依頼により、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の装飾を任されたことにきっかけがあります。取材のためバルカン半島を旅するうちに、帝国の支配を受けて抑圧される同胞を目の当たりにし、オーストリアより依頼を受けている自身へも複雑な思いを抱くようになるのでした。

*2:バルカン半島オスマン帝国の衰退期にあり、この土地に住むスラヴ系諸民族がトルコ人の支配に対して蜂起した反乱に乗じて、ロシア帝国が支援するかたちで介入、露土戦争を引き起こします。ロシアが戦争に勝利すると、ロシア南下に懸念のあったオーストリアがイギリスとともに干渉し、1878年ベルリン会議によってオーストリアボスニア・ヘルツェゴヴィナの施政権を得ることに成功するのです。