日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

柳幸典 ワンダリング・ポジション @ BankART Studio NYK

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本当はもう少し早く出かけたかったのだけど、会期が1/7まで延びたそうで、それなら人の空いてそうな年始に行こうかな。と、そんなわけで年明け早々に横浜へ出かけてきました。

瀬戸内海の犬島で展示された「イカロス・セル」をはじめ、代表作「アント・ファーム・プロジェクト」シリーズや、それに新作を交えた展示。午前のうちだったのでまだ人も少なくて、3階まであるフロアでゆっくり鑑賞できました。

白地に赤の立体回転機?の中を走る戦車(ネズミのキャラクターのマークがデザインされている)の図案は、「ワンダリング・ポジションってそういう」って思ってしまう出迎えでしたが、まだまだ展示は手始め。

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プロジェクト・アーティクル9

2階フロアには、世界中の国旗を砂絵で描き、その中にアリを巡らせることで国旗のかたちを崩していく「ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム」。あるいは国旗がたんなる表象のものに過ぎないことを示唆するようです。

国境を超えて人が行き交えば、国のかたちはいつしか崩れてしまう。または自然のめぐりには国境なんて関係なく、環境の変化が国のかたちを変えていくかもしれない。制作意図も明確にあると思いますが、最後のところをどう解釈するかは、かなり見る人に委ねられる気がしました。

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アント・ファーム・プロジェクト

国旗つながりで「日の丸」をアレンジする作品も、お札の砂絵も、根底には私たちが命さえ懸けるものが、観念の中にあるにすぎない、はかないものだという意識があるように思います。

「PACIFIC」プロジェクトは、日本の古い呼び名である”あきつしま(秋津洲)”を名称に持つ、フィリピン沖に沈んだ軍艦を取り上げたもの。母国から遠く海底で眠りについたままの戦艦に、かつて確かにあって、戦後の喧騒に忘れ去られてきた、もう一つの日本の姿を重ねるようです。

この比喩をどう受け止めるかも個人差がありそうです。

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ヒノマル・プロジェクト/パシフィック・プロジェクト

3階では、犬島プロジェクトの作品がいくつか紹介されており、アーカイヴ動画のものですが、三島由紀夫の短編小説「英霊の聲」からの文章が垂れ下がる「ソーラー・ノート」はとても気になりました。

文字の一つ一つは金メッキの鉄板で、風が吹けばゆれて、光にキラキラと輝きます。動画は無音でしたが、文字は音の造形であります。揺れて光るたび、耳には聴こえない音を響かせるよう。ここでは、血文字のようなミラー・ノートとイメージを明暗に対比させているのでしょうか。

通風口のような狭い通路をくぐると、その先につぎつぎ文章が浮かび上がる「イカロス・セル」。ここにあるのは「太陽と鉄」におさめられた三島由紀夫の晩年の詩、<イカロス>です。

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イカロス・セル

狭い空洞の中を進むとき、光へとまっすぐに向かいながらも、同時に生じる軋みをも感じます。理想に向かって高く昇るとき、天の青に近づくほどに、昏い太陽は同じだけ強い力で身体を引き寄せる。青と赤のはざま、上昇と墜落の誘惑、その倒錯。

私が私といふものを信ぜず あるひは私が私といふものを信じすぎ 自分が何に属するかを性急に知りたがり あるひはすべてを知つたと傲り 未知へ あるひは既知へ いづれも一点の青い表象へ 私が飛び翔たうとした罪の懲罰に?
太陽と鉄 - Wikipedia

横浜美術館「BODY/PLAY/POLITICS」展でも、GHQ管轄下にあった横浜と三島由紀夫をつなげた作品があったのを思い出しました。犬島の「イカロス・セル」の方が良かったという声も見ましたが、横浜で三島由紀夫の言葉について思い馳せるのも、またひとつかなと思います。

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project godzillaの部屋

締めくくりはゴジラをモチーフにした作品です。横浜といえばゴジラ(第4形態)のルートでもあり感慨深い。ここでは一人ぽつんと鑑賞できて、とても贅沢な気持ちになれました。既視感あると思ったら、東京国立近代美術館靉光「眼のある風景」の引用でもあるんですね。

フィリピン沖の「あきつしま」、三島由紀夫、横浜、戦争、戦後、二つの核体験…展示作品の個々別々のテーマが、最後ゴジラに集約される感じがよかった。2016年のゴジラには、それだけ芯の通った政治的視座(主張ではなく)があったのだなあと思いました。

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柳幸典さんの作品はメッセージ性がはっきりしているだけでなくて、見せ方の仕掛けもあって、とても面白かったです。つい長々といてしまいました。

外に出ると、河口湾の向こうの赤レンガ倉庫はたくさんの人で混雑している模様。日差しも西に傾いて、冬の早い暮れという感じになっていましたので、寄り道せずに帰りました。

「太陽」は<敗戦の日の太陽>であり、海外旅行先の船の上で見た<和解した太陽>であり、「鉄」は鍛えられるべき身体(筋肉)なのだといいます。

アート作品には三島由紀夫の言葉を引用している作家も多い気がしますが、何がそこまで惹きつけるのだろう、どういう文脈でとらえているのだろう、と、気になるところではあります。

戦後にGHQがやってきて、ギブミー・チョコレートから親米国家になった。変わりゆく社会に、たやすく順応していくことへ違和感を覚えた人もいたのでしょう。三島由紀夫の生涯は、矛盾をはらんだ戦後日本の鮮烈な反照であるようにも思えます。

フィリピン沖の軍艦「あきつしま」に写るものは、戦後の日本が置き去りにしてきた何かであるかもしれません。誰が、なぜ、戦争をしたのか。そのことを真摯に問わずに今日まで来てしまったことは、戦後に平和を標榜してきたはずの私たちの、もっとも罪深い一点かもしれません。

いったい戦争の責任を誰がとってきたのか。戦争を賛美したその口で、欧米社会を賛美してきたのではなかったか。ただ、その先の議論が必要なのに、今は「そういう問題がある」という認識の提示にとどまっているもどかしさも、また感じます。

追記
産経新聞で、三島由紀夫の自決9ヶ月前に録音されたテープがTBS社内から見つかったという記事があって、とても面白かったです。自分の文学について、生死観や憲法9条について語っていて、三島由紀夫の作品研究のヒントになる要素がたくさんある、と述べられています。

対談の相手は『太陽と鉄』を英訳した英国人翻訳家ジョン・ベスター氏。おもしろかったけど、あまり話題にはなってないのかな。新聞のウェブ記事はすぐアーカイブから消えてしまうので、興味がひかれたところだけ引用します。

三島由紀夫文学館特別研究員の山中剛史・日大芸術学部非常勤講師)「自分の小説は構成が劇的に過ぎるという発言や、大きな川の流れのような小説は自分には書けず、カテドラル(大聖堂)のような建築物が理想だ、などと言っている。三島が小説の理想や自分の欠点について、ここまで率直に話したのは他に聞いたことがない」と指摘する。

「僕は油絵的に文章をみんな塗っちゃうんです。僕にはそういう欠点があるんですね。日本的な余白がある絵ってあるでしょう。それが僕は嫌いなんです」

「美とは、何か。自分の一回しかない時間を奪い、塗りつぶし陶酔する濃密なかたまり」

「僕は今の日本じゃ、言葉を正すこと以外に道はないんだろうなって思い詰めている。文体でしか思想が主張できない」

三島「僕、憲法9条が全部いけないって言ってるんじゃないんです。つまり、人類がですね、戦争しないってことは立派なことです。第2項がいけないでしょ。第2項がとにかく念押しの規定をしているんです。アメリカ占領軍がね。念押しの指摘しているのを日本の変な学者がね、逆解釈してね、自衛隊を認めているわけでしょ。そういうことをやって、日本人はごまかし、ごまかし生きてきた。二十何年間。で、僕は大嫌いなんですよ、そういうことは。僕は、人間はごまかしてね、そうやって生きていくことは耐えられない。本当、嫌いですね」

三島「生きているうちは人間みんな、何らかの意味でピエロです。人間は死んだときに初めて人間になる。人間の形をとる。死んだときに。なぜかって、運命がヘルプしますから。運命がなければ、人間は人間の形をとれないんです。でも、生きているうちはその人間の運命が何か分からないんですよ」

肉体ができあがる前は、死というものは外側にあった。肉体ができあがったら、死というものが自分の中に座る場所を見つけた。という語りも、ちょっと考えさせられます。「肉体ができあがる」というのは、ボディビルをやっていた三島由紀夫ですから、たんに成人するということではないですよね。

テープ音声が断片的に聴ける動画もありました。



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