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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

映画の感想 - この世界の片隅に

movie

事前の感想に、戦艦の描写や戦闘機の音のリアルさをあげているもの、舞台や舞台考証の緻密さをあげているものをいくつか見て、ハードな話なのかな、と思いながら見に行ったのですが、ほのぼのアニメでしたね。

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広島生まれのすずは絵を描くのが好きな、ぼんやりした女の子。クラスのはぐれ者の水原哲に課題の絵を代わりに描いてあげるなどして、二人の間には特別な絆がある。19歳のとき縁談話が転がり込んできて、良いか悪いか分からないまますずはお嫁に行くことになる。

トンネルを抜けると、そこは軍都・呉。誰もが軍の仕事に携わって生きている街。すずの嫁ぎ先は、呉の港を見晴るかす山の斜面の家で、夫の周作も義父母も優しくしてくれるのだけど、出戻りがかっている義理の姉ケイコは、新しい家族の存在が気に入らない。

見知らぬ土地で、見知らぬ人々と家族になっていく。故郷への思いと、新しい土地になじまなければという思い。そんな中、太平洋戦争はいよいよ激しさを増していきーー。

ああ、これって、「瀬戸の花嫁」だなあと思ったのでした。離島へ嫁ぐ女性が、弟へ「父さん、母さん大事にしてね」と言い聞かせる。故郷への思慕や、新しい土地で生きていく決意。

瀬戸の花嫁

瀬戸の花嫁

女性にとって結婚するということは、しばしば結婚相手の生まれ育った土地を、自分の故郷にしていくということでもあります。「この世界の片隅に」は、別の土地に嫁いだ女性の喜びや哀しみを、淡々とした日常に笑いを交えながら描いています。

ほのぼのと描いた「この世界の片隅に」と同じテーマながら、もう少し人生の濃淡を交えて描いた作品に「幻の光」があります。

夫(浅野忠信)を突然の自殺で失ってしまったゆみ子(江角マキコ)は、周囲の人のすすめで奥能登の旅館に勤める民雄(内藤剛志)のもとへ嫁ぎます。新しい家族との日々、能登半島のまばゆい夏や、薄暗い冬の光と影の中で、彼女は死の気配にふれ、そこから少しずつ再生してゆく。

幻の光 (新潮文庫)

幻の光 (新潮文庫)

代わり映えのない日常を繰り返す、ただそのことが、私の肌のその外にある世界に、私が受け入れられる接点である。その裏返しで、彼女たちが新しい土地の日々を受け入れていくことは、解けることのない不条理、つまり人生そのものを受け入れていくことでもあるのです。

当時、女性の心の機微をここまで描ける人はきっと女性にちがいないと思ったのでしたが、是枝監督も原作を書いた宮本輝さんも、どちらも男性だったので、意外に思った記憶があります。

宮本輝さんは少年時代、関西から北陸へ移り住んだ経験からか、北陸の風景を印象的に描いた作品が多くあります。子ども心に慣れ親しんだ土地からの引っ越しは辛かったようで、けれども暮らし続けるうち、ここもまあ悪くないな、と思うようになっていく。

この手の話に共感してしまうのは、私の母もまた、離島へ嫁いだ女性だからです。見知らぬ土地を故郷にしていくことは、女性ばかりにある出来事ではないですが、たくさんの人の通った後が野分道になるみたいに、多くの女性の辿った心情だからこそ、女性としての文学性*1を帯びるのだと思います。

この世界の片隅に」の原作者、こうの史代さんは、別の土地に嫁ぐ女性の心情を描きながら、さらに嫁ぎ先の義理の姉や遊郭の女性との関わり合いなど、女性どうしの関係性をも描いています。むしろ夫との関わり合いの表現は、彼女たちと比べるとやや淡白かもしれません。

映像化された前作「夕凪の街 桜の国」では、別れかけていた恋人との関係性を、彼の姉との旅行で取り戻していく様子が描かれていて、女二人でラブホテルのお風呂に入るシーンなど、もうこれはシスター・ロマンスと読んでいいのかもしれない、と思ったものでした。

今回はそこまで濃いものはないですが、夫の周作をめぐってある、義理の姉と遊郭の女性*2の二人との関係性は、ある種すずと周作の関係よりも複雑で濃密なものです。百合文学とまではいいませんが、女性どうしの関係性をより描こうとしている、と言えるのではないでしょうか。

それから、何気ないワンシーンや劇中の小物で心情や時代性を表す演出がたくさんあって、話はシンプルだけど、何度も見ても味の消えない飴玉みたいな映画だという気がします。

子どものころ潮干狩りの日にいた浅瀬の鷺は、哲がプレゼントする羽や、空襲のときにすずが追いかける鷺など、ある象徴をもって繰り返し出てきます。灯火管制下の電球も幾度となく出てきますが、戦後、夜の闇に沈み始めた呉の港に、ぽっと民家の窓が明るむシーンなどとても良い。

終戦を知ったすずが段々畑へ飛び出して見た、ひとつだけ上がった旗の影には、その一瞬に、今まで気を向けもしなかったもうひとつの戦争の終焉が、象徴的に表されています。さりげないけど意味深いシーンが、いくつも積み重なってできているのです。

冒頭に書いたように、この作品を実際に見に行くまで、軍艦だ戦闘機の攻撃がリアルだだの、登場人物の名前が元素名だのいう感想ばかり目にしていたので、いったいどんな映画なんだろうと思っていたのですが、むしろ女性らしい感性で、ひとりの女性の生き方を描いた作品でした。

いつも見てる、映画の話をしたりするニコ生の放送でも、「この世界の片隅に」見に行っているのはおじさんばかり、という話になって、そうか、ハードな感想が多かったのは別に物語がハードなのではなく、主な客層のおじさんがハードな感想を書きがちだからなのだな。

ではなぜおじさん受けが良かったのか、というところで、これは「日常系アニメ」の系譜にある作品ではないか、という考察には、なるほど~となりました。どんな辛いことも、大抵は四コマ漫画のようにほのぼの笑えるオチで締める。女性ばかり出てくるというところも、ゆるふわ日常アニメあるあるです。

宮藤官九郎のドラマ「木更津キャッツアイ」や「あまちゃん」では、”終わらない学園祭”的な日常を描きながら、相対的に、その世界が壊れてしまう危うさをも感じさせている。「この世界の片隅に」でいうと、すずの"日常"と戦争という"世界の揺らぎ"の均衡が当てはまるでしょうか。

悲しくてやりきれない

悲しくてやりきれない

冒頭で流れる「悲しくてやりきれない」のところで、なぜだかじわりと泣いてしまった。人生とは、土地を生きるということ。それがわたしの人生に与えられた手札だと知ること。土地や人の縁、与えられたものたちを愛するということ。

*1:結婚が土地や家に結びつかないものになっていけば、また様相も変わっていくでしょうか。多様性は文学的象徴を解体していくものかもしれません。

*2:白木リンとの話はアニメでは省略されて、二人の出会いだけしか描かれていませんが、漫画であったエピソードを「あったこと」として物語を描いているのだそうです。すずが周作の手帳を届けに行く時に、かばんに入れる一瞬、手帳の裏が切り取られているのとか、そうかな?