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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ―境界線への視線 @ ポーラ美術館

art

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秋のお休みがとれたので、箱根の美術館めぐりへ出かけてきました。とはいっても、いつもコースは決まっていて、ポーラ美術館と岡田美術館です。どちらも空間ごと楽しい美術館。

美術館目的でしたので、どんな展示をやっているのかは来てみてのお楽しみ。ようは下調べをあまりしてなかったのですが、予想外に面白くて、図録まで買ってしまう始末でした。

パリの19世紀と20世紀、都市と郊外、その境界線を意識しながら、アンリ・ルソーユトリロ藤田嗣治佐伯祐三など日仏の画家をとりあげる。コンセプトは面白いものの、並んだ作品はとりとめなくて、荒いラインナップかな? それでも藤田嗣治の子どもを描いた作品や、佐伯祐三のとらえたパリの光と影など、並んだ作品は自分好みで、結果よければ良しと、そんなところで。

19世紀末、近代化の進むパリ。城壁の外には「ゾーン」と呼ばれる周縁にバラックが立ち、さらに都市を支える工場によって郊外が形づくられます。華やかな都市ではなく、美しき郊外でもない。この周縁を描いた画家がアンリ・ルソーであり、日本から単身留学した藤田嗣治でした。

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アンリ・ルソー 《シャラントン=ル=ポン》 1905-1910年頃

税関吏のルソーは城壁の周囲を監視にあたる仕事をしており、この日曜画家が描いたのは、彼の勤務中に目にする馴染みの風景だったようです。夕暮れに染まる空と遠くパリの街並み。城壁のこちらとあちらを行き来していたルソーですが、境界を隔てたパリは、どことなく遠い。

藤田嗣治の訪れた20世紀初頭のパリは、原色を多用するフォーヴィズムや、多視点に描くキュビズムなど新しい動向の中にありました。日本で習ったアカデミックな手法がまったく役に立たないことに気づかされながら、藤田は自分なりの画風を追求していきます。

初めて思う通り描けて"でんぐり返し"をした作品は、南米旅行で偶然見つけた際に、売った額より高値で買い戻したそう。藤田の随筆集にも書かれたこの作品、「巴里城門」も展示。江戸城跡を思い出すという理由で繰り返し描いた城門跡は、故郷を偲ぶ哀愁が感じられます。

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ウジェーヌ・アジェ「金のコンパス」の宿 、モントルグイユ通り72番地、パリ2区 1905年頃

とくに良かったのが、この時代のパリを記録したアジェの写真です。画家の道を諦め職業写真家になったアジェ。淡々とパリの街並みを切り取った彼の写真は、マン・レイはじめ前衛芸術家たちの「シュルレアリスムの美学」を投影されることとなり、思いもよらない事態から、やがて「近代写真の父」と呼ばれるまでになります。

「芸術家のための素材」を撮っていたアジェの顧客の中には、藤田やユトリロもいました。素材ですから、アーティスティックな主張があるわけではありませんが、普段は目に留めないような「ゾーン」の風景や人々へも等しい眼差しを向け、詩情あるパリの街並みの写真を残しました。

都市がふくれあがるとともに、変貌しようとするダイナミズムを露わにし、その周縁には猥雑な空間が立ち現れる。変わりゆく風景を、芸術家たちはそれぞれの感性でとらえたのでした。

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モーリス・ユトリロ《シャップ通り》1910年頃

アジェは「古きパリ」を記録することに使命を見出していたようです。その彼の撮った路地の写真を手元に置いて、哀愁ある風景を描いたのがユトリロでした。そのユトリロから影響を受けたモーリス・ド・ヴラマンク、彼が指導した佐伯祐三の作品も展示。

ユトリロは画家であった母親を見ながら育ち、自然と絵筆を持つようになりましたが、絵に関してはほぼ独学だったようです。そのため初期の作品はパースが不安定なものが多い。ただそこがユトリロの魅力でもあり、部分的には狂いがあっても全体としてはおさまっている。

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佐伯祐三《アントレ ド リュー ド シャトー》1925年頃

佐伯祐三は絵の勉強をしっかり受けている人ですから、正直ユトリロより上手いのです。しかし学があるだけに、心象そのままに引く無垢な線は彼には描けない。そこで佐伯が画面に取り入れたのは、緊張感をはらむ光と影のバランスだったのではないか、と思いました。

締めくくりは、仏国籍を取得した1955年以降、パリに暮らしながら絵筆をとり続けた藤田嗣治の、子どもをモチーフとした作品です。とくに「小さな職人たち」シリーズは、可愛らしい中に風刺的な雰囲気のある作品。このシリーズは奈良美智さんの作品を思い起こしてしまいます。

思えば子どもというのは、まだ社会のメンバーとして数えられていない、外縁の存在でもあります。「小さな職人たち」に描かれるのはその日しのぎの職業人、すり、囚人などの犯罪人など、社会のアウトサイダーの人々。同じ外縁の、しかし社会を超越しうる聖性を秘めた存在として、彼らを子どもに変えて描いたのかもしれません。

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展覧会図録(藤田嗣治《小さな職人たち》シリーズ紹介のページ)、洗濯ばさみ

パリに来たばかりの藤田は、異邦人だった自身と重ねるように城壁の外の風景を描きました。晩年もまた社会のアウトローたる人々に視線を向けた。社会の周縁への共感を強く持っていた人でもあったのですね。エコール・ド・パリの作風、戦争画とは異なる一面を見れた展示でした。

ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ―境界線への視線
9月10日(土)-2017年3月3日(金)
午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
年中無休(ただし展示替のための臨時休館あり)
大人 ¥1,800
ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ―境界線への視線 | ポーラ美術館
 
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さて、ひとつ下の階ではコレクション品から19世紀末、20世紀の西洋と日本の絵画、アール・ヌーヴォーの工芸品を展示するエリアでは「ドーム兄弟の世界」展が開催されていました。

ここは撮影可でした。モネやセザンヌオディロン・ルドン、ラウル・デュフィ、日本からは黒田清輝 「野辺」、岸田劉生「麗子像」などなど。佐伯祐三の船を描いた一枚も。これもあれも撮影可? と驚いたものの、なかなかない機会、たくさん撮りためてきました。

午後おそい到着だったので、レストランのラストオーダー前にすべりこんで、遅めのランチ。レストランはしっかりしたお値段ですが、そのぶん美味しい。エリンギやブロッコリーなど素材がしゃきしゃきしてました。

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閉館のアナウンスが流れるころに外に出ると、もうすっかり夜の暗さ。山の夜の冷え込みに、暖かい格好で来てよかったとしみじみ思う。ほどなくバスが来て、強羅駅まで戻ります。

この日のお宿は箱根ケーブルカーの公園下駅から少し歩いたところにあるホテル。強羅駅からも歩けます。いつもはあまり泊まったところをあれこれ書かないですが、ここはロケーションがあまりに良くて、そのわりに宿泊費もリーズナブル。こんなにお得で大丈夫、と思っていると、経営努力の並々ならない感じも伝わってきたりして。

朝起きてブラインドをあけてびっくりして、思わず写真を何枚も撮ってしまった...笑。

どうやら、どの部屋も裏手の庭に面しているもよう。アメニティグッズや応接、食事など簡素ですが、館内の雰囲気がとても良かったです。それとも箱根の宿は、どこもこのくらいのロケーション持ってるのかな…?

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あと、レストランも素敵だったんですが、窓の外を眺めていると、中庭をそろりと猫の影が。そのうち部屋のひとつに寄って、たぶんナデナデされている様子。なにそのサービス。

思えば先日、大洗に泊まったときは、週末の予約は全然とれず、平日でもあまり安くはなかったのです。いまや人気観光地ですね。それに比べて箱根は宿も多いのだと思うのですが、(価格を絞っても)良い宿をさくっと選べるのには驚いたのでした。

箱根山の警戒レベルが上がった時期もあったので、影響もあったのかな。海外の観光客もたくさん見かけましたが、箱根湯本や小田原の方に帰っていく様子でした。箱根はよい美術館も多いですし、ご年配の方だけでなく、足を向ける人が多くなってほしいなと思ったのでした。

旅のおともには美容シートマスクが便利。あまった美容液はボディ用に使うといいのです。少し前まではホテルに泊まると化粧水おいてあったりしたのですが、最近はないことのが多いので、かといって荷物も増やしたくないときに重宝してる。月6万くらい美容につかう人などは、ちゃんと一式を持っていくんだろうなと思うけど・・・。