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日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

映画の感想 - ハドソン川の奇跡

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ニューヨーク・ラガーディア空港を発った矢先、旅客機USエア1549便はカナダ雁の群れに衝突して両エンジンが停止し、機長の判断によりハドソン川に着水する。155人の乗客は奇跡的に全員生還。しかし国家運輸安全委員会(NTSB)は近くの空港に引き返せた可能性を問い、サレンバーガー機長(サリー)を追求する。

運が良かっただけで機長の自分本位な判断だったのではないか。大勢の命がかかった危機において、独善的な判断を良しとできるのか。マニュアル化された判断と人間らしい判断の間で、倫理観が揺れ動かされる。

衝突から着水までのシーンが繰り返されるが、管制官の見解や、着水したことによる影響の大きさから、NTSBの検証も妥当に感じられるし、機長の判断は運が良かったにすぎないのではないか、とも思わされる。大きなチームで業務を行うときに、誰が担当しても均一の品質が担保できるよう、属人的な判断を排していくのは真っ当なことなのだ。

しかし、繰り返される着水までのシーンは、最後の回想シーンのための伏線だということが分かってくる。うまいなあ! と思った。ああいう描かれ方をすると、もうぐうの根もでない。

サリー(元アメリカ空軍大尉)がかつて乗っていただろう戦闘機の着陸のシーンは、属人性の象徴としてのものだったのかもしれない。形をかえて繰り返される着陸・着水は、同じようで毎回もたされる意味が違う。時系列シャッフルが多用されているけれど、ループしてても毎回意味が異なる、みたいな象徴性があって、おもしろかった。

本筋とは離れるけれど、もしもNTSBの言うとおり運が良かっただけの判断だとしても、乗客はみな機長に感謝をしている。それだけでもいいような気にも一瞬なる。彼らは「大きな物語」を得たのだから。けれど、その考え方はとても危ういことにも同時に気付かされる。

その考え方を認めてしまうと、"平和の尊さを味わうために戦争という虚構を担わされている子どもたち"の存在も許してしまえるから。(←スカイ・クロラ

2つの価値観の間を、登場人物や観客が揺れ動かされるのは、そういえばアメリカン・スナイパーにも似てたかな。

今回、一応の答えは物語の中で出るのだけど、この社会では、いつも答えが決まっているのではなく、個々のケースで問われていく。その価値観の綱引きの間でぶつかり合いながら、真剣に答えを出していかないといけない。

「あなたは英雄だ」「奇跡だ」と言われるたびに、サリーは否定する。「英雄か否か」はアメリカン・スナイパーの問いでもあった。この作品に限って言えば、「いっけん機長の独善的判断に見えるが、そうではない。周囲との連携があって成功したのだ」ということなのだろう。

コンピュータのシミュレーションでは今なお汲めない判断の要素がある。機長はただあの場において細かな要素を汲んで総合的な判断をし、周囲がそれを支えた。英雄でも奇跡でもなく*1、組織のいち員として相応な判断をしたのだ。

真実はどちらだと、問うて問うて、96分の濃密さ。派手ではないけれど緻密で真摯、これは見てよかった。

関連URL

Wikipediaの内容はとても充実していた。着水時の動画とかあって、こりゃすごいってなった。

メーデー民というひとびとがいるとは知らなかった・・・番組内で出てくるコールサインの解説とかしてくれてて、すばらしかった。メーデー民はやっぱりハドソン川の奇跡見に映画館行ったのかな。

ナショナル・ジオグラフィックchで深夜0:00から毎日放送しているシリーズもののドキュメンタリー番組。「ハドソン川の奇跡 」の回は2016/10/9(日)16:00より再放送。

*1:事件を扱ったドキュメンタリー番組でも、「当時は晴れていた」「川が穏やかだった」「救助隊がすぐにかけつけることができる環境にあった」など幸運が重なった「奇跡」だとは言っているけれど。