日々帳

140字で足りないつぶやき忘備録。

志村ふくみ――母衣(ぼろ)への回帰 @ 世田谷美術館

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「この色は何から取り出したんですか」
「桜からです」
と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いてこう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。

大岡 信「言葉の力」

書籍で知るばかりだったので、世田谷美術館での志村ふくみ展は、染織家としての志村さんに向き合う機会。言葉のひとつひとつに再会できればいいかなと出かけたけれど、とても良かった。

柳宗悦民藝運動への共鳴から織物を始めた母の影響で、染織家の道を歩んだということですが、伝統的な染織家というより、もう少し革新的な立ち位置にあるのでしょうか。作品に自然のありかたが抽象的に反映されているようすは、本阿弥光悦の焼きものなど思い出したのでした。

http://www.fashion-headline.com/article/2016/03/09/13914.html

展示構成は一色の糸で織った着物から始まり、冬の琵琶湖や源氏物語リルケの詩に触発された作品へと移っていきます。後半は実験的な試みや、原点を振り返る作品。一色の着物は単調な展示だけど、作品リストの素材を見つつ向かい合うと、ひとつの色に宿るイメージを想像できる。

「薫梅」は梅から染めた色。糸一本では白にしか見えなさそうですが、寄り集まると淡いピンクになる。花一つでは儚い梅の香りも、梅林いっぱいに咲くと、ほのかに漂う甘い匂いになります。その梅の静かな香りを思わせる色です。

臭木という木の葉は渋い匂いがあるそうですが、白い花は百合のような良い香りで、瑠璃色の実は青の染料になるのだそう。臭木から染めた「天青」は、その名の通り爽やかな薄青。小さな白い花が雲のように咲く白雲木、その樹皮から染めた「銀鼠」は、凛とした銀色の着物でした。

玉ねぎからの染め物は二点。茶色から赤みがほんのり立ち上がってくる「唐茶」もいいですが、「高麗茶」は滋味の品格があります。高麗の井戸茶碗にある質素の気品を思わせる。色ひとつずつの由来やイメージを楽しんで鑑賞しました。

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引っ越しが済むまでスキャナはおあずけ。イラストはすべてイメージ≠実物です。

この中に大きく展示されているのが「母衣曼荼羅」、母衣はボロ切れの当て字です。染織家になるきっかけとなった母への想いで紡がれているのだそう。青の幾何学のグラデーションがさざなみを作って広がるその一枚は、どことなくクレーの抽象画を連想させる。

と思っていると、今回の作品集の志村さんの文章で、パウル・クレーの「厳しい時代には表現が抽象になる」という言葉に思いを馳せているものがありました。「芸術は見えないものを見えるようにする」彼のその言葉に共感し、励みにしているのかな。

クレーの絵画にも色一つずつの楽しみがあります。色の組み合わせは、音楽を奏でるような調和を意識している。志村さんにも、その感覚があるのではないかと思いました。43色の糸を張ったインスタレーション「光の經」は、色を奏でる琴のよう。その前にたつと、色から立ち上がってくる幾つもの音楽が聴こえてくるようです。

では志村さんはどんな抽象絵画を、どんな音楽を描いてきたのか。代表作を展示するエリアは、その色の奏でる音楽や物語を味わえる空間です。雪の湖を見たいと湖西線に乗り込んだ冬の日、山々の稜線は雪の白に染まって、琵琶湖の青ははっとするほど深く、枯葦の金箔は鈍色の風景の中に明るむ。そんな冬の風景から生み出された琵琶湖三部作は、とても良かった。

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志村ふくみ《光の湖》(京都国立近代美術館)/《湖上夕照》《鈴虫》(滋賀近代美術館)*展示会ポストカード裏面

その他さっと見たところ、藍色に渋木の黄色が散る「光の湖」がいいなと思ったのですが、もし誰かが着るなら、と考えると、がぜん目を引くのは「湖上夕照」です。深い藍色、その湖面に夕暮れの光が照って、縞模様をつくる。燃えあがる茜と夜の迫った湖の暗い藍。

源氏物語をモチーフにした作品も展示。紫根と臭木(薄青)で染めた「夕顔」の繊細な色合い。「篝火」は茜と渋木、藍と黒を細かにとりまぜて、複雑な心を表しているよう。白を貴重にした「蛍」も涼やか。でも、この中なら「鈴虫」がよかったかな。深い緑から鈴虫の音がりんと響いて、琴の調べが漂う。瞼の裏の色彩がほのかに明るむ。色と音の明度の溶け合い。

教科書の文章で、志村ふくみさんの桜の染め物の話を知っている人も多いと思いますが、桜を染料にした「常寂光寺の桜」も展示されていました。「湖上夕照」のピリッとした赤と青の混じり合いもいいですが、こちらは青みや黄土色からもほのかに桜色が漂って、花に酔いしれる春の夕暮れを見るようです。

まだまだ書き足りないですが、そろそろ締めくくり。国内とどまらず海外の文学からのインスピレーションも取り入れて、意欲的な作品がつづきます。伝統的に限らない、つねに新しさを模索している姿が垣間見えるようでした。

ふだん見ている風景に、たくさんの色の瞬間をとらえている。その身のうちに寝かせている色にまつわる光景が、草木から色を取り出すときや、布を織り上げていくときにひらめいていく。色をまとった糸で紡ぐ詩的な世界。

志村ふくみさんの本を読んでいたのは大学生のころだったけれど、多感な時期ならではの共感があったように思います。何かの折で志村さんの言葉に再会すると、その情緒豊かな感性が、年齢に関係なくどっしりとあることに驚かされて、ほんの少しの時間その世界に引き戻される。

忘れていた感性をつかのま取り戻すようでした。日常に戻ると、また手放してしまうけれど。

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カフェでサンドイッチを注文して、遅いランチをすませると、外はすっかり夕闇に沈んでいました。秋雨の続いたあとの晴れの日でしたが、ひんやり肌寒い。もう夏は終わっちゃったのかな。あと、なぜか公園に桜が咲いていました。

志村ふくみ――母衣(ぼろ)への回帰
世田谷美術館
前期 9月10日~10月10日
後期 10月12日~11月6日
一般 1000(800)円
10:00~18:00(入場は17:30まで)

企画展 | 世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM

関連URL

志村ふくみさんの公式サイトです。染織をどう後世につないでいくか、を意識されているのが伝わってきます。

滋賀県出身の志村ふくみさんの作品は、滋賀県近代美術館に多く収蔵されているようです。今回出展の作品もこちらで概要を見ることができます。

杉についてのサイト、コラムやイベントの紹介。クサギについて詳しく書いてあります。

花の紹介でも香りに注目したところが興味を惹かれました。白雲木の香りは「芳しくない」「いい香り」と意見が分かれるのですが、ここでは「清涼感のある鋭い香り」と。気になります。

京都の染料の専門店のようです。販売を兼ねてもいますが、草木染めの種類を参考にできます。